第21話 侍女と指輪と血と笑顔

「ねえ、マリア。わたくしからグエス様に指輪を贈るのは、ちょっとやり過ぎかしら」


 マリアがアゼリアの美しく波打つ金色の髪をくしで丁寧にいていると、アゼリアが唐突にそう言った。


 柔らかな午後の光がレースのカーテン越しに差しこんでいる部屋で、マリアはアゼリアの身支度を整えていた。今日はアゼリアの婚約式について、グエスを招いての家族会議が行われる日だ。


 だから、とびきり綺麗にして。とアゼリアから告げられたマリアは、持てる侍女力を総動員してアゼリアを美しく磨き、飾りつけている。


 けれど、鏡に映った主人の顔は、どこかぼんやりとしていて夢見心地であった。徹夜なんてするから頭が回っていらっしゃらないのだ。と胸の内でくちびるを尖らせながら、マリアはアゼリアに微笑んだ。


「アゼリアお嬢様。お嬢様はグエス様に指輪を贈りたいのですよね。でしたら遠慮せず、堂々と、あるいはさりげなく、お渡しすればよいのです」

「遠慮せず、堂々と、さりげなく?」


「はい、そうです。グエス様は、お嬢様に指輪を贈られて困った顔をするような方ですか? 違いますよね」

「ええ、違う。違うわ」

「よろしゅうございます。では、早速手配をいたしましょう」

「……てはい?」


 キョトンとした顔で首を傾げるアゼリアは、ほうけた表情と相まって美しいというよりは可愛らしく見える。

 年相応に可愛らしいアゼリアは、実は滅多に見られない。非常に貴重な姿をマリアは見たのだ。


 なんて眼福、役得すぎる! と、心の中で拳を振り上げたマリアは、徹夜明けでいまだに頭が回っていないらしいアゼリアに、丁寧な解説をしはじめた。


「よいですか。お嬢様はモルガン公爵家次期後継者です。であるならば、既製品を贈るわけには参りません」

「……そうなの?」


「そうです! 華美でなくともよいのです。お嬢様の心と思いとをこめた指輪を作りましょう。とは言っても、お嬢様がデザインを起こさなくとも、どのような宝石、どのような金属、全体的なイメージなどをお伝えいただければ、あとは職人が唯一無二の指輪をこしらえてくれるでしょう」


「そういうものなの?」

「そういうものなのです!」


 と、自信満々に胸を張ってマリアは言ったけれど、それは真実ではない。嘘でもないけれど。

 高位貴族たちは皆、宝飾品は買うのではなく自分でデザインしたものを作らせる。それは、自分で身につけるものであっても、愛しいひとに贈るものであっても、だ。


 世界でひとつだけ、という貴重プレシャス感が彼ら彼女らの自尊心をなみなみと満たすのだ。

 けれど、である。


 今、マリアの目の前でぼんやり鏡を眺めているこのお嬢様は。アゼリアは、連日の徹夜明けでとんでもなくぽんこつだ。そんなアゼリアに負担はかけたくはない、細かいデザインまでさせて疲労させたくない、というマリアの気遣いがそこにはあった。


 そういうわけでマリアは、早速アゼリアの希望を聞き取るためにメモを用意してから次々と問うた。


「まず、どのような宝石にしましょうか」

「それは色を聞いているのよね? ……そうね、赤がいいわ。石はなんでもいいの。赤くて……深い赤で、透明な石」

「承知しました。次は、指輪の土台となる金属ですが」

「それは決まっているの。金色でお願い。くすんだ金はダメよ、光り輝く金色よ?」


 アゼリアはまるで答えをはじめから用意していたかのように、マリアの質問にスラスラ答えた。滑らかに回答される石の色と金属の色とに、マリアは今にも悶絶しそうであった。


 アゼリアが選んだ色は、すべてアゼリアを示す色だ。赤い石は、赤い瞳。光り輝く金色は髪の色。

 お嬢様……ッ、無意識なのか作為的なのか、どちらなのですか!?


 問い詰めて聞きたいところではあるけれど、優秀な侍女であるマリアはあふれる自我エゴをグッとこらえた。

 そして、何食わぬ顔ポーカーフェイスで話を続ける。


「承知しました。では最後に、どのようなイメージでお作りしましょうか」

「そうね……書類仕事の邪魔にならないシンプルなもので。ああ、そうだわ。石でも土台でもよいのだけれど、モルガン家の紋章を刻んで欲しいの」


「紋章……ですね、できると思います」

「よかった。あと、それから……わたくしの血を」

「血!? 血ですか!? ななななにをいったい考えて!?」


 とうとう、徹夜の負荷がアゼリアを錯乱状態に導いてしまったのか、とマリアは焦った。血、血、血。血だなんて、なんて物騒な。

 けれどアゼリアは、落ち着いた様子でマリアをなだめて言った。


「マリア、マリア。落ち着いて。宝石にわたくしの血を魔術的に封じて欲しいの」


 それを聞いて、マリアは安堵した。石や金属に魔術を付与する際に、媒介として血を使うことは一般的だ。


 アゼリアは魔術の天才である。だから、魔術の研鑽をするために、自分の血液をいくつかストックしてあった。それを思いだしたマリアは、納得したように頷いた。


「なるほど、魔術をかけるのですね」

「そうよ。グエス様の力になるような魔術を付与しようと思うの」

「わかりました、それも合わせて職人に伝えます。お嬢様の血は、ストックしてある分からお出ししてもよろしいですか?」

「ええ、もちろん。ありがとうマリア、よろしく頼むわね」


 そうしてしばらく、アゼリアは黙ってされるがままだった。髪を結い、化粧を施し、装飾を施す。マリアが手をかければかけるだけアゼリアは美しく輝いた。


 あとは全体のバランスを確認するだけ、となったとき、鏡越しにマリアの仕事ぶりを眺めていたアゼリアが、ポツリと小さく呟いた。


「……ねえ、マリア」

「なんでしょう、お嬢様」


 アゼリアの呟きを逃すマリアではない。すぐさまマリアは応答し、主人の次の言葉を待つ。

 するとアゼリアは、いつの間にかぼんやりしていた赤い瞳に光を宿し、イキイキとした表情に変わっていた。そして、マリアに聞いた。


「グエス様が受けていらっしゃるお父様の講義が、どこまで進んだか聞いている?」

「聞いてはおりませんが、知ってはいますよ」


「ふふ、やっぱりマリアは頼もしいわ! ねえ、どこまで進んでいらっしゃるの? 指輪に付与する魔術の選定の参考にしようと思うのだけれど」

「確か……魔術の章、第三巻八章まで進まれた、と」

「凄いわ、なんて速さなの! でもそれなら、古代魔術と血の遺産については履修済みということね……」


 どうやらアゼリアは、グエスに贈る指輪にどのような魔術を付与するか考えていたらしい。だから表情にも目にも、気力が満ちていたのだ。


 なんて、可愛いひと。マリアは、急に活気づいたアゼリアの変化を微笑ましく思う。

 堅物だとか、頭でっかちだとか。アゼリアをそんな風に評するひとはいるけれど、それはお嬢様を近くで見たことがないからだわ。と、マリアは思う。アゼリアは毎時毎分毎秒、常に前へと成長している。


 そして、モルガン家にいただけでは得られないであろう、素晴らしい変化をアゼリアに与えてくれたグエスには、感謝の念しかいだけない。


「ふふ、楽しみだわ。ありがとう、マリア。あなたのおかげでよい贈り物ができそうよ!」


 そう言ってアゼリアが笑う。その笑みは、マリアが今まで見てきたアゼリアの笑顔の中でも、とびきり美しく可憐なものだった。


 だから、アゼリアの笑顔にやられたマリアの意識が、うっかり昇天してしまいそうになったのも、無理はないのである。

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