第17話 応接室にてリベンジ(下)
「殿下にかけられた魔術については偶発的に発覚したものであり、主題ではありません」
アゼリアの震える喉から発せられたのは、冷静で硬質な響き。仮面のように貼りつけた
「陛下。いえ、オルガンティア王国国王陛下。王国とモルガン公爵家と間に結ばれし三盟約を今一度、結び直す必要があります」
「さ、三盟約? はて……それは?」
「やはりご存知ではない、のですね……」
言って、アゼリアはそっと目を伏せた。
国王の回答は、ある程度予想していたことだ。三盟約の真実をきちんと継承し、教育されているのならば、
どこで
そういうことは父であるモルガン公爵にのちのち任せるとして、今は話を先に進める。
「王国と
アゼリアが三盟約について簡易的に説明をすると、国王と
彼らだけじゃない。王国の中枢を担う宰相ルイユ卿も、財務官ダーシ卿も、宮廷魔術師長であるベスティア卿も、みなが驚いていた。
驚いていないのは、真実を知る者のみ。
アゼリアは驚く彼らを無視して儀典官ダンソルの方を向く。
「それを破るような真似をしてまで、国政に返り咲きたかったのですか、ダンソル卿?」
と。事前に教えてあったグエスと当事者であるモルガン家を除いて、ダンソル卿だけが驚いてはいなかった。むしろ、確信犯的な笑みをニヤニヤと浮かべ、舐めるようにアゼリアを見ていた。
「……アゼリア嬢、一体なんの話をされておるので? それよりも一昨日前でしたか、襲われたそうではないですか。……その、色々とご無事ですか?」
ダンソル卿に、なにを言われたのか、アゼリアにもすぐにわかった。きっと、アゼリアが襲撃者に捕らえられたのなら、ダンソル卿のいう通り「色々と」されたことだろう。けれど、そうはならなかったから、アゼリアは聞き流した。
それだというのに。
「貴様……ッ!」
グエスが憎悪の籠った声をダンソル卿に向けて放っていた。
グエスにもダンソル卿がなにを言わんとしていたのか、理解できたのだ。その気遣いが、怒りが、アゼリアには嬉しく思えた。今は、今この場では、それだけで充分だ。
荒ぶり
「ふふ、とぼけると思っておりました。ですから逃げられないよう、証拠を持参しております」
「なんの証拠かね、意味があるとは思えないが……」
「意味ならつけさせていただきました、ダンソル卿。こちらの書状をご確認いただければわかるかと」
アゼリアは淡々とそう告げると、一枚の書状を父であるダライアスへ手渡した。立っているものは親でも使え、である。父公爵はその書状をダンソル卿の元まで持ってゆき、長卓の上へ静かに置いた。
「なにを……。こ、これは……!」
書状に目を通したダンソル卿の顔色が、みるみるうちに青くなる。
血の気が失せる、とはこのことか。青色を通り越して白くなってしまったダンソル卿の顔は、強張り引き攣り、二の句も継げないほどである。
「わたくし、実は王城回想録の閲覧参照権限を持っておりますの。そしてその書状はグエス様に手伝って作成していただいた、ダンソル卿のここ一ヶ月間の言動を書き起こしたものから、特に怪しい箇所を抜きだしたものです」
「ダンソル卿、皆様にもわかるよう、書状に書かれていることを要約いたしますね」
「ま、待て……待ってくれ!」
待てと言われて待つアゼリアではなない。アゼリアは気にせず朗々と述べた。
「レグザンスカ公爵令嬢との婚姻式について、という表向きの内容で何度か殿下と接触されていましたね? ですが、実際には嗜好誘導魔術の行使および調整のためにその時間を使ってたと記録されています。つまり、ノアベルト殿下に洗脳魅了魔術をかけた、ということです。その際に、研究塔から盗まれた魔道具が使われた……」
「王城内は隠蔽魔術や改竄魔術の効きが、極端に悪くなるよう設定されています。だから殿下を洗脳するために魔術ではなく、強力で確実な効果がでる魔道具を使ったのですね」
アゼリアの告発に、ベスティア卿がそう付け足した。アゼリアは小さく頷いて感謝の意を表し、更に告発を続けた。
「人は嘘偽りや記憶違いを起こしますが、この記録は、王城回想録は、王城の記憶そのものです。起こったことを起こったままに記録し保管する……そういう
毅然としたアゼリアの声が、いつの間にか静まりかえっていた応接室に凛と響く。ダンソル卿に洗脳されていたノアベルトですら、アゼリアの言葉に耳を傾け呆然としていた。
もうアゼリアの邪魔をする者はいない。
だからアゼリアは
あの日。アゼリアがグエスとともに襲撃された日。あの日は実に、色々なことがあって、様々なことを知れた。
グエスの反射神経のよさであるとか、グエスの胸の厚みであるとか、グエスの察しのよさであるとか。
だからダンソル卿には、とっておきのお礼をしなくては。
「ねえ、ダンソル卿。わたくしが襲撃された、というのはどこのどなたからお聞きになりましたか? 我々モルガン公爵家がそのような情報を、たとえ噂話であっても放置するわけがありませんでしょう? わたくしを
「……ぐぅ、そ、れは……」
「そして、これは自分とアゼリア嬢が襲われた際に襲撃者が落としていったものです。ダンソル伯爵家を表す紋章が施されている通信用魔道具です」
グエスが懐から取りだしたのは、アゼリアの『鴉』が拾ってきた物的証拠だった。グエスに預けていたけれど、ちょうどいいタイミングでダンソル卿に突きつけてくれた。
だされた証拠には、言い逃れができないほどくっきりと刻まれたダンソル家の紋章。
「……クソッ! 男が同乗していたのか! だから報告がない……失敗を……」
「いけません、ダンソル卿。かの方はグエス・ガフ様と申します。決して『男』などという
アゼリアが冷徹な笑みを浮かべてそう言うと、ダンソル卿はヒッと息を呑んでしばらく固まっていた。
そうして、もうなにを言っても無駄だ、と諦めたのだろう。急にガクリと肩を落としたダンソル卿は、先ほどとは打って変わってベラベラと喋りだした。
「し、仕方がなかった、仕方がなかったのだ! モルガン家が宰相と接触したならば、なにかしら対策がされてしまう……いずれ私にも辿り着く……。計画が頓挫する前に排除する必要があったのだ。宰相を……ルイユ家を引き摺り落とすためにモルガン家を利用したと……気づかれてしまっては、すべてが失敗してしまう……我がダンソル家の悲願が……宰相に返り咲くという念願が……すべて、すべて……王国の破滅など、迷信だと……ああ、ああああ……」
「では、なぜ、アゼリア嬢を襲う必要が?」
「そ、それは……」
グエスの鋭い問いに、ダンソル卿のお喋りな口がピタリと止まった。
目をキョロキョロさせて挙動不審に言い淀む、ということは、なにかやましい考えがあった、ということ。
それがなんだったのか、なんて、アゼリアにはもうわかっている。アゼリアの『鴉』はそれだけ優秀だから。けれどそれをアゼリアが口にして言うことはなかった。
なぜなら、
「口にだして言えないようなことをするつもりだったのか! なんて卑劣な!」
「……っ!」
アゼリアの代わりにグエスが怒りをあらわにしてくれたから。だからアゼリアは、ゆったりと微笑んで、静かにグエスの元へと向かって歩く。
毛足の長い絨毯が引かれた応接室は、
そうして激昂するグエスの元へ辿り着いたアゼリアは、グエスの腕にそっと手をかけて絡め取り、怒る彼を制止した。
「グエス様、グエス様。それくらいにして差し上げましょう。結果的に三盟約は破られませんでしたし、わたくしも無事です。それに、今回の件は我々モルガン家にも落ち度がありますので」
「ですが……!」
「よいのです、モルガン公爵家の後継者たるわたくしが許しているのだから」
ここは王城だ。王城内の王の応接室だ。けれど、今このときだけは、アゼリアがこの部屋の女王だった。国王ですらアゼリアの挙動に口を挟むことはない。
やわらかで波打つ金の髪、深い深紅の双貌。牢獄のような長い睫毛に囚われた赤い瞳に、誰もが囚われたい、と願ってしまうような、そんな支配者だった。
「さて、ダンソル卿。それから、皆様」
呼びかけられた面々は、グエスとモルガン公爵を除いて、みなビクリと肩を跳ねさせた。冷たく硬質で、けれど聞くものによっては暖かみを感じてしまう不思議な声色。
アゼリアはモルガン公爵家の後継者として、『
「
そうして国王とダンソル卿を交互に見やり、
「この結果を持って、手打ちにいたしましょう」
アゼリアはそう告げるとグエスから手を離し、ドレスのスカートをそっと摘んで優雅に足を引いた。そうして背筋をピンと伸ばして美しいカーテシーとともに、この応接室で起きたなにもかもすべてに、幕を引いたのである。
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