第16話 応接室にてリベンジ(上)

 そういうわけで、婚姻請求に対する回答日。またの名を、アゼリアの再挑戦日リベンジ・デイ

 アゼリアは父公爵ダライアスとともに、前回通された内政用の応接室へやってきた。座る座席も以前と同じ。部屋の出入り口に一番近い席、つまり、ルイユ宰相閣下に仕えるグエスから遠く離れた席に着席した。


 はじめてこの席に座ったときは、柄にもなく緊張して空回りしてしまった。けれど、今日は違う。

 今日こそは、モルガン公爵家の力を存分に振るって差し上げなくては。

 アゼリアはひとりそう誓って、背筋をピンと伸ばして国王陛下を見据えた。


「さあモルガン公爵、それからアゼリア嬢よ。我が息子ノアベルトとの婚約を受けてくれる気になったか答えを聞かせてもらおうか」


 国王陛下……いや、国王は、無駄に威厳ある声と仰々しい態度でモルガン家に回答を迫る。

 Yes or ハイ のどちらかを選べ、と言われているようなその問いに、アゼリアは自分の頭が一瞬にしてカッと燃えたかのように熱くなったのを自覚する。


 結局、今現在のオルガン王家は腐敗しているのか。王権を有している。ただそれだけの理由で、人はここまで尊大になれるのか。


 そういえば第一王子ノアベルトも馬鹿みたいに権力を振りかざし、生まれついただけの血筋を傘にきて偉そうにしていた。ある意味、血筋なのだろう。王族といえども世襲制度の果てに劣化してしまうものなのか。

 そこまで勝手に考えて、ひとり胃をムカムカさせていると、アゼリアは自分に突き刺さるような視線を感じた。


 だから、目すら動かさずに魔術を使って視線の持ち主を探す。視線の先にいたのは、グエス・ガフの凛とした姿。

 あの日もグエスの視線に助けられた。王族が放つオーラに当てられて萎縮してしまったアゼリアを、その緊張を、グエスの視線が和らげてくれたのだ。


 有能でガフ男爵家の三男で、まだ婚約者がいない彼を、是非とも婿にする。

 決定形で決心したアゼリアはようやく落ち着きを取り戻し、再び国王を鋭く見つめた。


「この場は当事者である娘に任せます。アゼリア、前へ」

「はい、お父様」


 アゼリアの精神的な準備が整うのを待っていたのだろう。父公爵が打ち合わせ通りにそう言って、アゼリアに回答権を受け渡パスした。


 ひとつ頷きひと声発し、アゼリアは静かに動いた。椅子をガタつかせることもなく、完璧に制御された淑女の動きで立ち上がる。その所作の美しさに息を呑む気配と、感嘆の声を漏らす音が響く。


「……失礼ながら陛下。返答の前に少しよろしいでしょうか?」

「なんだね、アゼリア嬢」

「これからの王国の行く末……方針について重要なお話があります」

「……ほう、申してみよ」

「ありがとう存じます。では……」


 そう言ってアゼリアは、事前に用意して編んでいた魔術式に魔力を流して展開させた。モルガン公爵家に代々伝わる古の魔術だ。


「……盟約の限定的な解除を。『制限解除』」


 アゼリアの力ある言葉をきっかけとして、応接室内に魔術式が広がる。一瞬だけ抵抗を感じたけれど、パープルカラーの魔術痕色が光ったから魔術は成功だ。


 いくらモルガン公爵家に伝わる古代魔術といえども、国の破滅をかけた三盟約に干渉しているのだ。気を抜くと解除した制限が元に戻ってしまいそうになる。

 そう、アゼリアが使った魔術は、三盟約の制限を緩めるための魔術だ。


 これからアゼリアが話そうとしていることは、盟約の1つ目、彼の家を取り立ててはならない、に抵触する恐れがあるから。


 厳密にいうと、3つ目の、しかして彼の家を蔑ろにしてはならない、については既に現在進行形で抵触しまくっている説もあるのだけれど、こうして王城に招かれ発言できている、ということは、ギリセーフなのだろう。多分。

 三盟約の制約がゆるふわでよかった、とアゼリアは心底思う。


 それはさておき、『あくのそしき』の元締めであるモルガン公爵家の諜報力ちからを示すときだ。

 つまり、すっかり三盟約を忘れてしまっているオルガン王家および、アゼリアとノアベルトの婚姻を画策した黒幕への説教タイムのはじまりだ。


 そう意気込んで、アゼリアは第一王子ノアベルトをキッときつく睨みつけた。

 ——が。


「あら、まあ。なんてこと」


 本当にこの国の第一王子は、いつもいつもアゼリアの前に立ち塞がってくる。アゼリアは落胆の息を吐いて、面倒くさそうに目を細めた。

 なぜならば、ノアベルトの頭上にはピンクカラーの光の帯が、ぐるぐるぐるりと回っていたから。


 あの光は、どう見ても魔術痕色。そして光の帯は、どう見たって只今絶賛発動中の魔術式である。

 魔術痕色がピンクで頭部付近に魔術式が展開しているのなら、導きだされる答えはひとつ。ノアベルト第一王子には、現在進行形で魅了系統の魔術がかけられている、ということ。


 アゼリアが使った『制限解除』の魔術は、基本的には三盟約の制限を緩めるだけだ。けれど追加効果として、魅了や洗脳されているものがその場にいれば炙りだす、という効果もある。今回は、その追加効果が仕事をしたのだ。


 これではノアベルトに制裁を科すことができない。無知蒙昧で暗愚な王子でなはく、哀れな被害者になってしまったから。

 完全に想定外である。アゼリアの想定の斜め上を突き抜けていった感がある。


 もとよりノアベルトは、今は候補にとどまっているものの、すぐに次期王太子となる身である。『なにかしらの後継者』を好意的にみれないアゼリアにとっては、相性が最悪すぎるのだけれど。


 とにもかくにも、アゼリアに対するノアベルトの俺様王子様傲慢様なあの態度は、ノアベルトにかけられた魅了系統の魔術によるものだ、とわかっただけでもよしとしよう。否、するしかない。


「どうしたのだ、美しき薔薇よ? 私の顔に見惚れているではないか、ついに私との婚姻を受け入れる気になったのかね?」

「違います。その……どう説明すべきか……」

「私から説明しましょう、その方がよろしいでしょうから」


 アゼリアが言い淀んでいたところで、宮廷魔術師であるベスティア卿が助け舟をだしてくれた。

 さすが宮廷魔術師長である、というべきだろう。ベスティア卿は、アゼリアがあらわにした魔術痕色を見て、ノアベルトにどのような魔術がかけられているのか見抜いたらしい。


 なにが起きているのかわかっていないのは、アゼリアとベスティア卿、それからモルガン公爵を除く全員だ。

 みな、ピンクの光を冠のように頂くノアベルトと、説明役を買ってでたベスティア卿とを交互に見やる。


「一体、なんなんだ。ベスティア卿、そなたで構わん。説明してくれ」

「ノアベルト殿下に精神作用のある魔術がかけられております。まあ、洗脳魅了魔術ですね。魔術研究塔から盗まれた魔道具の効果も、そのような作用があるものです」

「私が、なんだって?」

「殿下は何者かに洗脳されています」


 ベスティア卿は酷く冷静に、あるいは冷徹にそう断言した。けれど、ノアベルトはその事実を受け入れ難いものだと思ったらしい。


「はあ? 意味がわからないな。私の思考は至ってまともだ!」


 そう広くはない応接室にノアベルトの怒号が響く。

 もしかして洗脳されると知性や品性も低下するのかしら、なんてアゼリアが他人事のように(実際、他人事ではあるのだけれど)思っていると、勇気ある声がひとつ上がった。


「お、恐れながらそれには賛同しかねます、殿下!」

「なに? ダーシ卿、貴様、自分がなにを言っているのかわかっているのか? 貴様は今、私を、頭のおかしな奴だ、と言ったも同然なのだぞ!」


 おかしいのはノアベルトの思考だ。と、突っこみたいところは山々だったけれど、アゼリアはグッと耐えた。

 ノアベルトの怒気にさらされ、ブルブルと身体を震わせて萎縮しながらも、財務官ダーシ卿がさらに反論したからだ。


「お、おかしいとは思っていたのです。殿下がレグザンスカ公爵令嬢と、こ、婚約を破棄して新たにモルガン公爵令嬢と婚姻を結びたい、と言いだすなど!」

「財務官であるお前に、どうしてそんなことが言えるのだ!?」


「レグザンスカ公爵令嬢との婚約および婚姻に向けて、公爵令嬢にささやかな心配りをしたい、けれども婚姻予算から捻出するのではなく自分が自由にできる予算から捻出したい、と相談されたのは殿下ではないですか!」

「……っ、な、なにを……」


「ネックレスや指輪は埋もれるほどあるし、ドレスや場面シーンに合わせて変える必要があるから、どのようなドレス、どのような場面シーンでも使うことのできる素材とデザインのブローチをお贈りする、とあんなに嬉しそうにおっしゃっていたのは殿下です!」

「お、おい……」


「殿下がレグザンスカ公爵令嬢のことを語るときの、あのはにかんだ笑顔は! 純粋な恋をした少年のようにキラキラとしたあの眼差しは! それだけは絶対に、絶対に忘れることなどできません!」

「……、……ッ」


「ですから、レグザンスカ公爵令嬢との婚約は、予備費を使ってまで解消したい婚約であるはずがないのです!」

「……そ、れは……」


 意外なところから爆弾を落とされたようなものである。しかしそれが逆に効いたらしい。ノアベルトは頭を抱え、困惑と苦痛とが混じった表情をさらしている。人数が限られているとはいえ、国王や臣下のいるこの部屋で、自分の恋愛事情を暴露されてしまったのだから、仕方がない。


 そうして、混乱に呻いて黙ってしまったノアベルトを他所よそに、国王がニコニコと頬を緩めて、長卓に身を乗りだした。


「アゼリア嬢よ! ノアベルトが誰かに操られていると見抜いていたのだな? だから婚姻を辞退したいと。そうか、そうだったのか……!」


 国王が突然、呵呵と笑いだした。

 アゼリアが婚姻に乗り気ではなかったことと、たった今判明したノアベルトの洗脳騒動とを結びつけ、勝手に合点し、国王はそう言った。


「えっ、ええ? いえ、それはなんと言いますか、副次的なもので……いえ、でも殿下との間にでた婚姻話をなかったことにしていただけるなら、わたくしはそれで……」


 アゼリアとしては、王族との婚姻を阻止できたなら三盟約を破らずにすむ。だから、そういうことで終わらせてしまってもいいのかな、なんて、日和ひよった考えを抱いてしまった。


 ダーシ卿の可愛い暴露とノアベルトの羞恥に悶える姿にあてられて、思考が混乱したのかもしれない。

 そんなアゼリアに、そうではないだろう、と意義を唱えたのは、意外にもルイユ卿の斜め後ろで控えていたグエスだった。


「恐れながら陛下、発言をしても?」

「うん? ああ、宰相補佐官か。申してみよ」

「アゼリア嬢が応接室内の制限を解除されたのは、王家とモルガン公爵家の間で交わされている盟約について確認する必要があるためです」


 と、グエスがアゼリアの代わりにそう告げた。驚いたアゼリアが咄嗟にグエスを見る。グエスの琥珀色の綺麗な瞳が、アゼリアをまっすぐ見ていた。

 真実を追い求める狩人の瞳。アゼリアの脳裏に、ふと、そんな言葉がじわりと浮かぶ。


 ——グエスが狩人ならば、ならば、わたくしは?

 アゼリアは日和ひよってしまった自分を恥じた。グエスが狩人ならば、アゼリアはそれを束ねる狩人の王だ。


 アゼリアがなりたいものは、今も昔も変わらずモルガン公爵家が束ねる『あくのそしき私設諜報機関』のボスだ。そうありたい、と兄を失った幼いころに決意した。


 だから、これくらいのことで日和ひよっていてはいけない。自分の問題が解決したのだから、真実なんて、王国なんて、どうでもいいだなんて、思ってはいけない。

 グエスの視線はアゼリアに、そう気づかせてくれたから。


 やはりグエス様にはわたくしの婿として、モルガン家に入っていただかなくては。と、アゼリアは更に決意を上乗せして、グエスがお膳立てしてくれた舞台に立つ。


「殿下にかけられた魔術については偶発的に発覚したものであり、主題ではありません」

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