第15話 ひとつ屋根の下(下)
翌朝、アゼリアは王城に戻るグエスを見送るために玄関まででてきていた。
化粧はアゼリアの魅力を引きだすために念入りに。ドレスだってシンプルだけど華やかに。けれど髪は下ろして昨日とは違うプライベートな時間であることを演出している。
朝5時に起きて支度をしはじめたアゼリアに、侍女マリアは「そんなことしなくても、お嬢様はお美しいのに」と呆れたように呟いていた。
マリアは乙女心がわかっていないのだ。婿として迎え入れたい殿方に、少しでも綺麗で美しい自分を見て欲しい、記憶に残して欲しい、と思う乙女の心を。
そういうわけで、若干寝不足気味ではあるアゼリアは、マリアとともにグエスを見送りしている。
「グエス様、昨晩はとても素敵な夜でしたわ」
「お嬢様ッ! また誤解を生みかねない物言いを……!」
「マリア、黙って。グエス様のお見送り中なのよ」
「明日にはまたお会いするではないですか!」
「そうよ。それでもわたくしとグエス様は、ただの令嬢とただの宰相補佐官様でしかないから……」
アゼリアが目を伏せて、沈みがちにそう告げる。するとマリアは慌てたように首を振り、アゼリアの両手をガシッと握った。
「お、お嬢様……ッ、このマリアが間違っておりました、存分にお別れをし」
「マリア、マリア。お嬢様の演技に惑わされていますよ」
そう言って、暴走手前のマリアを止めたのは、モルガン公爵家の執事アルフレドだ。
余計なことを。と、アゼリアがアルフレドを睨みつけていると、我に返ったマリアがわめく。
「はっ! お、お、お嬢様〜ッ!」
そんな侍女や執事とのやり取りを見て、グエスが耐えきれず、といった風にクスリと笑った。
「ふ、ふふ……モルガン公爵家の皆さまは、楽しい方々なのですね」
「グエス様、誤解です。いつもこうではないのです!」
「いいえ、お嬢様。我々モルガン家はいつもこうですよ」
「アルフレドっ、もう黙って! 全然話が進まないわ!」
なぜかアルフレドが、微笑ましいものでも見るような暖かい眼差しでアゼリアを見ている。横目でチラリと窺うと、なんとマリアまで。
アゼリアは急に気恥ずかしくなって、頬を少し赤らめた。正面のグエスの顔は、どうしてか見れない。貴重な笑顔を見たいのに、なぜか呼吸が苦しくなるから見ルことができなかった。
だからアゼリアは淑女の会釈をして、挨拶をする。
「……グエス様、一昨日に続いて昨日は本当にありがとうございました。感謝してもしきれません。幾度となくお礼を述べることをお許しください」
「アゼリア嬢、自分は
「それでも、わたくしは……嬉しかったから。グエス様、どうか王城へ戻る際もお気をつけて。襲撃対象はわたくしのようですから大丈夫とは思いますが、念のため」
アゼリアはそう言って、『鴉』が今朝、追加で持ってきた第三次報告書をグエスに掲げて見せた。
するとグエスの眼が、一瞬、鋭く光る。細められた琥珀色の瞳に、アゼリアは
あら、あら? なにかグエス様の気に触るようなことを言ったかしら?
けれどそれは、杞憂だった。
「アゼリア嬢……貴女という方は……昨夜はあのあと、しっかり睡眠を取られたのですか?」
「あら? ふふふ、心配には及びませんよ」
グエスに心配されたのだ、とわかったアゼリアは、ただ笑って誤魔化すことにした。誤魔化した、ということは、つまり、そういうことである。
そうして、しばらく穏やかな沈黙がふたりの間に降りた。
別れを惜しむような、もう行かなければと焦るような。そんな静かさの中で、アゼリアの頭だけが高速で回っていた。
そう、寝ていないアゼリアの頭は、斜め上な欲望を露わにしたのだ。
昨夜、アゼリアは、グエスの答えを聞くのは王城の応接室に招かれた時、と決めたけど、どうしても。どうしても、今。今、聞いてしまっても、よいのではないか、と。
アゼリアは急に乾きはじめたくちびると喉とを震わせて、思い切ってグエスに告げた。
「あの、グエス様……その、わたくしのきょ」
「モルガン公爵家令嬢アゼリア・モルガン嬢にノアベルト・オルガン第一王子よりご伝言と贈り物です!」
もう一度、共犯になってほしい、と言いかけたところで、なんと思いもよらぬ邪魔が入った。
邪魔をしたのは、第一王子ノアベルトの使いだ。空気を読まず大音声で叫んだ使者は、アゼリア目掛けて早足で近寄った。その手には、手紙らしき巻物と強烈な芳香を放つ黒い百合の花束。
いったい、なんなの。と、抗議することはできなかった。王子の使者が巻物状の手紙をしゅるりと解き、大きく息を吸ったから。
「私の美しき薔薇よ! そなたの美しさの前には霞んでしまうだろうが、受け取りたまえ! 受け取らねば私が直接訪ねてゆこう! 直接手渡して欲しいとは、なんと可愛らしいことか! ははは、私はどちらでも構わないが、せめて美しき薔薇に選択の余地を与えてやるから感謝するように! 王城での再会を待ち侘びているぞ! ……っ、…………とのことです」
ノアベルトからの手紙を大声で朗読した使者は、その顔を羞恥で赤く染めている。視線は虚ろ、顔は青褪め、体は震えている。
その気まずそうな顔を見て、アゼリアは悟った。悟った者の責任として、気の毒な使者に、言葉をかけた。
「あ、そ……そう。……もしかして、その恥ずかしい朗読は殿下の指示……なの?」
「……っ、……察していただき、ありがとうございます」
やはり、そうだった。
これは、彼の意思ではない、と。グエスへの再告白をぶち壊したのは、この憐れな使者ではなく、ノアベルトなのだ、と。
アゼリアが顔を上げて正面を見れば、グエスも使者に同情したように眉を顰めているのが見えた。
「……君も大変だね、ご苦労様」
「い、いえ……わかっていただけただけたなら、幸いです。それで……アゼリア様。こちらはどうされますか?」
使者が黒い百合の花束を抱えて見せた。黒い百合を贈るだなんて、なんて趣味だろうか。貴重で珍しいのかもしれないけれど、これはない。
けれど、だ。けれどこの花束を突き返したら、王子がここに来るという。それは、それだけは、どうにか阻止をしたい。
グエスとの楽しい夜の思い出(健全)を、ノアベルトに汚されたくはなかったから。だからアゼリアは、顔を引き攣らせながらも頷いた。
「……わかりました、受け取ります。そのほうがお互いに幸せだと思いますので」
その言葉に、使者はその顔に喜色を浮かべて安堵した。そして、アゼリアに感謝しながら花束を渡し、ホッとした顔で帰っていった。
「……な、なんだったの……」
まるで嵐が過ぎ去ったかのような空気の中で、グエスとの別れの挨拶は結局、有耶無耶となり、グエスは馬車に乗って王城へと去っていったのだった。
そうしてアゼリアのノアベルトの好感度は、やはりというか、なんというか。どこまでも下降するだけだった。
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