第12話 戦う!お嬢様!

 王城を出発したモルガン公爵家の家紋入りの馬車に、男女がひと組。付き添う者はなく、けれどふたりは婚約者同士でもなかった。


 それでも同乗が許されているのは、アゼリアが乗るモルガン公爵家の馬車だから。王都ティアーの外れにあるモルガン公爵家へ向かう馬車だ。


 馬車内には簡易自動書記録用の魔道具が設置されているし、アゼリアの『鴉』が馬車を見守るよう遠巻きに護衛しているからだ。


 そんな車内で、アゼリアは馬車に乗る間際に『鴉』から渡されていた一次報告書を読む目を止めて、顔を上げた。

 目の前には顔色の悪いグエスが、座席にもたれかかってぐったりしている。


「大丈夫ですか、グエス様?」

「……すみません、アゼリア嬢……。お手を煩わせてしまいました。これではアゼリア嬢を送るのではなく、アゼリア嬢に送られていると言ったほうが正しい……」


 魔力溜まりである王城回想録を読んだことで、グエスは溜まった魔力にあてられて酔ったのだ。

 王城回想録アレは、王城内のあらゆることを雑多に記録する。分類されていなければ、時系列順に並んでもいない。


 膨大な情報データの中から自分に必要なものだけ抜き取るのだから、常に魔力を出力しつつ、アレの魔力も浴びなければならない。


 慣れていてるアゼリアですら、稀に酔うことがあるのだ。経験はあっても慣れてはいないグエスなら、こうなることは仕方のないこと。


 それに、騎士然としたグエスではなく、今のような普通の、取り繕われていない姿も、いい。乱れた髪だとか、緩められたシャツの襟元だとか。そういうのが、こう、グッとくる。


 だからアゼリアは、謝る必要はない、むしろお礼を言いたいくらいだ、という内容の言葉を淑女らしく整えて微笑む。


「いいえ、そんなことありません。気になさらないでください。それに、凛とした姿以外のお姿も見れて役得です」

「……ありがとう、ございま、す?」


 何度も瞬きして首を傾げるグエスを微笑ましく思いながら、アゼリアはグエスの対面に座ったままで、お辞儀をした。


「それにしても、探しものが見つかってよかった。お手伝いいただき、ありがとう存じます、グエス様」

「お役に立ててよかった。……記録検索ではあまりお力になれませんでしたが」


 グエスが縮こまりながら頭を下げる。そうは言ってもグエスは、ちゃんとアゼリアの力になってくれたのだ。

 側にいてくれるだけでアゼリアの熱意テンションが上がるので、膨大な量の記録を検索したあとでも疲労をまったく感じていないほどに。


 だから、そんなにかしこまらなくてもいいんですよ、とアゼリアが声をかけようとしたところで、馬車がガタンと大きな音を立てて激しく揺れた。


「きゃっ!」

「危ない!」


 咄嗟にふわりと抱きとめられるアゼリアの身体。抱きとめたのは、もちろんグエスだ。

 極普通の男性の体型だ。適度な厚みのある胸板、細くも太くもない腕。日常的に軽い戦闘訓練を行なっているのだろう、全体的に引き締まっていた。


 馬車の揺れとともに投げだされたアゼリアの身体を、受け止めることができるだけの運動神経と反射能力を持っている。

 これは、やはり、掘りだしもの……!


 アゼリアはグエスの腕の中で、絶対に彼を自分の婿にする、と密かに誓う。もう何度も誓っているから、何回目の誓いかもわからないけれど。

 黙りこくって誓いを立てているアゼリアを心配したのだろう。グエスが気遣って声をかけてきた。


「大丈夫ですか」

「ああ、失礼いたしました。わたくしとしたことが……」

「アゼリア嬢、お怪我はありませんか?」

「大丈夫です、グエス様が受け止めてくれましたから」


 そう言ってアゼリアは、そっとグエスの腕から離れる。

 ああ、なんて名残惜しい。けれど淑女たるもの、いつまでも未婚の殿方の腕の中にいるわけにはいかない。

 それに、馬車の外では物騒な音が続いている。護衛騎士と馭者ぎょしゃは無事だろうか。


 モルガン家の家臣はみな、襲撃にあったときは自分の命を最優先で守れ、と厳命されている。

 だから、馬車内のアゼリアたちに手が回っていない、というこの状況は、襲撃者たちが相当な手練れか、想定よりも多人数ということだ。


「一体、なにが……」


 馬車外の戦闘音に気づいたグエスが、外を確かめようと、ガラス窓にかけられたカーテンに手をかけた。

 それをアゼリアはやんわりと制して、開けてはならない、と首を振る。


「敵襲ですね。狙いは、わたくしでしょう」


 と。アゼリアは簡潔に告げた。

 なにせ心当たりが多すぎる。


 今日一日を振り返ってみても、モルガン公爵家の正式訪問として宰相閣下に面会しに行っているし、第一王子に忠告だか脅しつきで絡まれもした。その後、宰相補佐官であるグエスを引き連れて書類保管庫にまで足を伸ばしている。


 目当てのものを見つけた後は、告発書を作成するために公文書を発行する部署にも立ち寄っていた。

 それだけじゃない。モルガン公爵家は代々受け継がれている家業によって、国内外問わず敵が多い。


「このまま殺されるわけには参りません。やりまりょう、グエス様」

「え、や……やる、とは?」


 アゼリアの発言に戸惑うグエス。けれど、グエスの困惑につき合う時間的余裕はない。

 アゼリアはスッ、と音もなく立ち上がる。気配を限りなく薄めて、空気と一体化する準備を行う。


「あ、アゼリア嬢!?」

「大丈夫です、グエス様はわたくしがお守りいたします。……ですが、少しばかりお力添えを」


 アゼリアは、その美しい顔でニコリと笑った。陶器のような作られた美しさに、グエスが一瞬息を呑む。

 けれどすぐに我に返って、グエスはアゼリアと同じように立ち上がった。 


「危険です、アゼリア嬢!」

「このままなにもせず、じっとしている方が危険です。ふふ、ご心配なさらずとも、わたくし、上手にできますので!」


 なにを、とは言わなかった。アゼリアが上手にやれることなんて、グエスが知ったら……知ったら知ったで、説明が省けてよいのでは? どのみち、わたくしからは逃げられないのだし。


 そんな考えに至ったアゼリアは、襲撃者たちに全力で対応することに決めた。

 そうと決まれば、ぐずぐずしている時間がもったいない。


「少し、失礼します」


 アゼリアはそう言うと、くるりと身体を反転し、立ち上がっているグエスの隣に座り直す。


「あ、アゼリア嬢!? なにを……」

「よいしょ、と」

「!?」


 そうしてアゼリアは、自分が座っていた座席を持ち上げた。モルガン公爵家の馬車に備えつけられている座席は、もれなく物入れになっているのだ。

 アゼリアが中から取りだしたのは、ひと組の膝上丈靴ブーツ


 厚い革製で丁寧に仕上げられたその膝上丈靴ブーツは、脛部分に薄くて頑丈な金属が仕込まれているし、踵には研ぎ澄まされた刃物が……いや、踵自体が槍のように尖った刃となっている。


 つま先にももちろん仕込み小刀ナイフが備えつけられているし、全体的に魔術が施されているから頑丈で軽い。

 膝上丈靴ブーツにかけられた魔術の魔術痕色は、グリーン。重量軽減、加速効果、耐久性向上の効果がある魔術式が編みこまれている。


 つまりは、アゼリア専用の戦闘用膝上丈靴ブーツである。


「グエス様、少しお見苦しいものを晒しますので、できれば目を瞑っていただけますか」

「は、はい?」


 声をかけはしたものの、アゼリアはグエスが目を閉じたからどうかは、確認しなかった。

 大丈夫。沓下ストッキングを履いているから大丈夫、素足じゃないから大丈夫。


 それに、ゆくゆくはわたくしの婿としてモルガン公爵家に入ってもらうのだもの。もし見られたって、これくらい、どうってことないわ。


 アゼリアは素早くドレスのスカート部分を捲り上げて、取りだした膝上丈靴ブーツを装着しはじめた。

 履いていた靴は適当に脱ぎ散らかし、膝上丈靴ブーツに脚を入れる。踵を床に打ちつけて位置を合わせたのち、ベルトと留金具をガチャガチャと締める。これで、装備完了だ。


 膝上丈靴ブーツを履いたアゼリアが立ち上がる。捲り上げたスカートはふわりと裾をなびかせて元へ戻した。


「準備はできました。さあ、やりましょう!」


 やる気満々で、アゼリアは隣に座るグエスに微笑みかけた。グエスは今、目を開けたところだったけれど、その頬は紅潮しているようにも見える。


 グエスは気まずそうにアゼリアから視線を外し、言い淀みながらも疑問を口にした。


「アゼリア嬢……襲撃されることがわかっていたのですか?」

「いいえ、まさか! ですが、モルガン家は常に備えを怠りませんから」


 そう。準備がいいのは襲撃を予測していたから、じゃない。常日頃から備えているだけのこと。

 外出時に襲われることが日常茶飯事ですもの。なんて話は、グエスにはしない。


 いくらアゼリアがモルガン家に染まっていたとしても、なにが常識的で、なにが非常識なのかはわかるのだ。

 とにもかくにも戦闘準備が整ったアゼリアは、物入れからひと振りの剣を取りだしてグエスに手渡した。


「こちらをお使いください、グエス様」

「いえ……自分にはこれがありますので」


 グエスは差しだされた剣を受け取らずに、自分の懐中ふところから短剣を取りだした。

 使いこまれて手に馴染んだヒルト、湾曲した特徴的な剣身ブレイド。アゼリアはグエスを守ると言ったけれど、その必要はないかもしれない。それに。


 グエス様も備えを怠らない方なのね。素晴らしいわ! と、脳内アゼリアがスタンディングオベーションで喝采を送っていたから。

 襲われたのにも関わらず、アゼリアは弾んだ声でグエスに合図を送る。


「グエス様、参りましょう!」


 そうしてアゼリアの号令とともに馬車を飛びだしたふたりは、馬車を取り囲む複数人の襲撃者と対峙した。



 モルガン公爵家への帰路は、戦場と化した。

 護衛騎士と馭者ぎょしゃの姿は確認できない。モルガン家の襲撃対応文章マニュアルに沿って行動しているならば、今頃戦線を離脱し、急ぎモルガン家と連絡を取っている頃だろう。


 アゼリアはそんなことを考えながら、特殊加工されたドレスのスカートを優雅に振るう。

 裾に施されているのは、特殊な〈ケモノ〉の皮と鱗だ。高速で振るうと鋭利な刃物のように切れ味抜群の武器となる。


「グエス様、無事ですか?」


 ドレスを振り回し、スカートの裾で敵を切り裂く様は、まるで舞踏会で華麗なステップを踏んでいるかのよう。

 飛び交うのは音楽と喝采ではなく、怒号と血飛沫である、というのが非常に残念ではあるけれど。


「自分は無事です、そんなことより……ッ!」


 アゼリアの声に反応したグエスは、自分のことよりも、舞い踊るアゼリアを心配したようだった。

 逆手に構えた短剣で、敵の攻撃を凌いで反撃する。防御主体の短剣術。蹴り技や素早い体捌きとともに、グエスは確実に襲撃者を撃退していた。


「わたくしのことは、お気になさらず!」


 アゼリアはそれだけ言って、襲撃者の群れ目がけて駆けだした。

 駆けながら魔術式を編んで戦闘用ブーツに魔術をかける。魔術痕色はレッド。攻撃主体の効果を発揮する魔術だ。


「……ふッ!」


 炎ではドレスが燃えてしまうから、氷をイメージした。付与された魔術は、アゼリアの空中回し蹴りに合わせて展開する。

 命中ヒットとともに花開く氷花。氷の蔦が襲撃者の身体に絡みつき、身動きを取れなくして拘束する。


「ぐぎッ!?」

「がッ……! な、なんなんだ、なんなんだこの女ッ!」

「あら、まさか存じ上げない? いけませんね、標的ターゲットを知らずに襲撃をかけるなんて」


 細く華奢な脚のどこにそんな力があるのか。否、戦闘用ブーツに施された魔術の補助か。アゼリアに背後回し蹴りを当てられた敵は、氷漬けにされたまま吹っ飛んでゆく。


 これくらいの襲撃など、アゼリアにとっては軽い準備運動にすぎない。いわゆる朝飯前、というやつだ。

 そもそもモルガン家家臣が襲撃の際に、速やかに戦線を離脱せよ、という決まりレギュレーションになっているのは、アゼリアや公爵の戦闘に巻きこまれないようにするためだ。


 それになによりも。アゼリアは『あくのそしき』のボスに成らんと日々修練を積んでいるのだから、これくらい対処できて当然のこと。


「く、クソッ……立て直すぞ、散開しろ!」


 襲撃者たちがアゼリアとグエスにバタバタと倒されてゆく中、リーダーらしき男のダミ声が辺りに響いた。

 その一声をきっかけに、意識がまだある襲撃者たちが、殺気を放つのを一斉に止め、くるりと背を向けて離脱しはじめた。


 アゼリアは、逃げようと背中を向ける襲撃者を追おうとはしなかった。代わりに、逃げる背中に向かって言い放つ。


「見苦しい! 標的ターゲットに気づかれ騒ぎ立てられたら、それはもう暗殺、あるいは誘拐とは言いません! あなた方は失敗したのです!」


 バラバラに逃げる襲撃者たちを逃すまいと、彼らの背中を追おうと駆けだしたのは、グエス。それから、今まで遠くで様子を窺っていたアゼリアの『鴉』だった。


「クソッ、……待て!」


 汗が滲んだ額に焦茶色の髪を貼りつけて、琥珀の瞳がキリリと吊り上がっている。そんなグエスを止めたのは、アゼリアの声だ。


「追ってはいけません、グエス様! わたくしの『鴉』が飛び立ちましたから!」

「しかし、アゼリア嬢! 自分が甘いせいで……」 


 アゼリアの制止に足を止めたグエスが振り返って、抗議する。その抗議も中途半端なところで途切れて止まった。

 時間にしてふた呼吸分。わずかな沈黙のあと、グエスの表情がピシリと固まった。


「……今、『鴉』と言いましたか?」


 その問いに、アゼリアは言葉を使って答えなかった。言葉の代わりに首を振る。横ではない、縦へ、だ。

 アゼリアはただ黙って微笑んで、ひとつ大きく頷いただけ。

 けれどグエスには、それだけで充分だった。


「ああ、なんてことだ。そうか、そうでしたか……貴女は……」


 どうやらグエスは気づいたらしい。モルガン公爵家の役割を。そして代々受け継がれてきた家業についても。

 ガフ家もモルガン家と似たような家業を担っているから。だから気づけたのだろうか。


 ——モルガン家とは。

 王家に並ぶ古い貴族で、オルガン家と共にオルガンティア王国を立ち上げた建国の祖だ。

 オルガンティア王国建国時にオルガン家に王位を譲り、王国を影から支え見えない脅威と戦うことを誓った一族である。


 モルガン家は代々、王家、議会には属さない独自の諜報組織を擁し、その性質上、王家とは決して親密にならないように立ち振る舞っている。


 王国にとっての汚れ仕事ダーティワークスを担う家。つまりは『あくのそしき私設諜報機関』を統括する家門。それがモルガン公爵家である。


「ふふ、察しがよくて本当に助かります。素晴らしい能力です。一体、どこで磨き上げたのですか? ルイユ一族にも、諜報員養成機関のようなものが?」

「それは……」


 淀みなく微笑むアゼリアに、言い淀んだのはグエスのほう。

 ガフ家は、ルイユ家の諜報を司る一族らしい。つい最近、ルイユ家の家門に属するようになった、というのは、アゼリアの『鴉』によってもたらされた一次報告書に書かれてあったこと。


 アゼリアの『鴉』でさえも、一次報告でそこまでしか調べきれなかったのだ。モルガン家に匹敵する力を持つのか、それとも、また別の理由か。隠すのが上手いのか、たんに市場に出回っていない新興組織だからか。


 それとも、それとも、それとも——。

 アゼリアの興味は尽きることなく燃え上がる一方だ。けれどアゼリアは、グエスを問い詰めるようなことはしなかった。


「ふふ、そのようなお顔をしないでください。大丈夫ですよ、今は深く聞きませんから」


 ゆったりと笑みを浮かべ、それ以上は聞かない。いずれ知ることになるのだから、今は、まだ、いい。


 そう、グエスがモルガン公爵家に婿入りすれば、そのときにすべてわかるのだから。アゼリアは、まだ確定していない未来を思って、うふふ、とひとり笑うのだった。

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