第11話 共犯になって欲しい

 そういうわけで、書類保管庫へ向かう道すがら、アゼリアはグエスに改めてお礼を告げていた。廊下の途中でわざわざ一度立ち止まり、頭を下げて淑女の礼をする。


「改めてお礼申し上げます、グエス様。昨日のことも、先程のことも。ありがとう存じます」

「顔を上げてください、アゼリア嬢。道理を通さずあなたとの婚姻を強行しようとしている殿下を止めただけです。あのまま強行されたら、あなただけでなくレグザンスカ公爵令嬢も不幸になる」


 グエスは執務室でルイユ卿を相手にしていたときと同じように淡々と返した。

 わたくしだけではなくて、レグザンスカ公爵令嬢のことも考えて……。なんて高潔なひと。


 アゼリアはグエスのそんな紳士然とした信念と行動に感動を覚えながらも、ほんの少しだけチクリと胸を刺すような寂しさを覚えた。


 けれどアゼリアは淑女であり、次期モルガン公爵でもあるから、それを顔にだすことはない。

 グエスにゆったりと微笑んで、アゼリアは一度立ち止まった歩みを再開する。


「それでも、です。それでもわたくしは救われたような気がしたのです。誰も我々の……いえ、わたくしの悲痛な思いを聞いてくださらないのか、助けてくれるひともいないのか、と失望するところでした」


 だから、本当に助かりました、ともう一度お礼を告げると、グエスはほんの少しだけ琥珀色の瞳を揺らしたようだった。

 あら、あら? 今のはなにかしら?


 動揺か、同情か。そのどちらもしそうにないグエスの意外な姿を見た。アゼリアが頭の中で疑問符を浮かべていると、グエスは話を切り替えるように咳払いをしてから、アゼリアに問う。


「……ところで、自分はなにを手伝えばよいので?」

「少し探しものを。物ではなく……記録といいますか、記憶といえばよいでしょうか。予測の裏付け、証明をしたいのです」


 アゼリアが探したいのは、誰が王城内で不審な動きをしたのか、という証拠。

 この王城には、オルガンティア王国を守るための仕掛けがいくつか施されている。そのうちのひとつを使えば、アゼリアが望むものは手に入る。


 ソレがなんなのか。どうしてアゼリアが知っているのか。それをグエスに話すことができれば、いいのだけれど。今は、まだ、少し早い。


 だからぼんやりとした回答しかできなかったアゼリアに、グエスが納得のいっていない表情で首を傾げながら頷いた。


「はあ、なるほど?」

「ふふ、ピンときていませんね。曖昧すぎて判断に迷いが生じていますね?」


 アゼリアはグエスを射抜くよう、隣を歩くグエスの顔をまっすぐ見た。グエスに覚悟を問うためだ。


「グエス様、共犯になっていただけますか」


 具体的なことは、なにひとつ。アゼリアの知る情報だって、欠片も伝えていない状況で問うことじゃない。そんなこと、アゼリアにはわかっている。


 けれど、共犯という後ろ暗く強い意味を持つ言葉を選ぶことで、これから先は機密に触れる、と暗に示した。

 グエスは退くだろうか、それとも、共に進んでくれるだろうか。


 アゼリアは、自分がグエスを試すような言葉を投げかけているのに、グエスに試されているような気分になってきた。

 それではいけない、と弱気を振り払うように、アゼリアは言葉を重ねる。


「いえ、共犯になっていただきたいのです」


 歩みは自然と止まっていた。ほんの少しだけ流れる沈黙。窓から差しこむ午後の光が、一瞬だけ強くアゼリアを照らす。

 アゼリアは、グエスに共犯を持ちかけてから一度も目を逸らすことなくグエスを見ていた。


 これはある意味、求婚プロポーズだ。アゼリアの切なる願い。そして、希望。

 けれどそんな思いや希望が、はっきりと言葉に変えない気持ちが、グエスに伝わるなんて思っていない。


 アゼリアの胸の内にあるのは、ただ空白だけ。傷つかないよう心の中を空洞にして、やり過ごしているだけ。

 そして。ひゅ、と呼吸をする音がグエスからして、戸惑いが滲む疑問がアゼリアへ投げられた。


「……アゼリア嬢はこれから、なにか法を犯すようなことをなさるのですか?」


 遠回しの告白は、アゼリアが思った通り伝わらなかった。それを悲観することは、しない。だって、伝わらなかっただけで、断られたわけではないのだし。


 アゼリアは不純な気持ちを振り払うようにゆるゆると首を横へ振り、グエスの問いに答えてゆく。


「いいえ、それはまだ。まだそのような段階ではありません。ただ、わたくしをお手伝いいただくグエス様には承知しておいて欲しいことなのです」

「それはアゼリア嬢の探しものと関係が?」


「ええ、存分に。まず前提として、そもそもわたくしがモルガン公爵家の生まれでなければ、今回のお話をお断りする理由はありません。……わたくしの嗜好が殿下に寄り添っているか、といえば、それはまったくありませんので! 貴族として、という話になりますが」


 思わずノアベルト王子はタイプではない、と強調してしまったけれど、グエスは気づかなかったらしい。その部分ではなく、別の箇所が気にかかったようだった。


「アゼリア嬢がモルガン公爵家である、ということに意味があるのですね?」

「ええ、そうです。そもそもモルガン公爵家は、表舞台に立ってはならないのです。それゆえに、王家との婚姻もありえない」


 真面目すぎるグエスの問いに、アゼリアは同じように真面目に返した。

 頭の中では、あっ、ここは真剣に返したほうが好印象ですね!? 危うく間違えるところだった! と、脳内で自分判定セーフを入れていたのだけれど。


 そうしてアゼリアは、なにから打ち明けようか、と切り替える。呼吸をひとつ分。その間だけ思考を回す。


 最終的にグエスはモルガン公爵家に婿入りしてもらうのだから、ここで隠す必要もないんじゃない? だなんて、飛躍した結論を得たアゼリアは、どうしてアゼリアやモルガン公爵家がここまで第一王子との婚姻を拒むのか、という理由から説明することにした。


「我々モルガン公爵家とオルガン王家の間には、古の魔術で結ばれた三つの盟約がございます。建国時に交わされた三盟約は、それを破れば国は破滅する……それだけのものを我々は……我々のご先祖さま方は賭けておられるのです」

「三盟約……」


「ええ。一つ、彼の家を取り立ててはならない。一つ、彼の家とは婚姻してはならない。一つ、しかして彼の家を蔑ろにしてはならない。彼の家、とはモルガン家のこと。王家主体で結ばれていますからね」

「……待ってください、王家と結んだ盟約があるのなら、今回のような強引な婚約はそもそも上がらないのでは?」


 グエスの疑問はもっともだ。アゼリアも同じように思い、反発したのだから。

 なぜ、どうして。盟約違反か、まさか王家に裏切られたのか、ということまで考えた。

 けれど。


「それが起こってしまったのです。盟約の理解が及んでいないであろう第一王子にわたくしとの婚姻話を持ちこみ、王子を溺愛している陛下ならば、あるいは。と、ストーリーを描いた者がいると我々は踏んでいます。」


 それが、昨夜だしたモルガン公爵家の総意だ。アゼリアの考えは少し違うけれど。

 だって、ノアベルト王子がレグザンスカ公爵令嬢を溺愛している。今となっては、溺愛していた、という過去形になるけれど、その裏はアゼリアの『鴉』が取っている。


 だからノアベルト王子がわたくしに、いきなり婚約ではなく婚姻を突きつけるなんて、あり得ない。

 それなのに、どうして王子をそそのかしたのか。どこかの誰かが悪巧みしているなんて、すぐバレる状況を作ったのか。


 それも、名ばかり公爵だと陰口を叩かれているモルガン公爵家を巻きこんでまで。

 犯人あるいは黒幕の考えていることは、なんだろう。アゼリアは思考の深みにはまりそうになりながら、首を振った。


 今はグエスをこちら側に引きこむために、言葉を選ばなくてはならないから。

 アゼリアは次期公爵の顔と声で、話を続けた。


「正直なところ、盟約遵守のための教育を王家任せにしていた我々の手落ちでもありますが……。わたくしは、どのような手段を用いても王子との婚約を回避しなければなりません」

「では、アゼリア嬢が探しているもの、というのは……」


「ふふ、察しがよくて助かります。そうです、我々モルガン家を表舞台に上げようとしている無知蒙昧な、あるいは自覚的な愚か者、ですよ」

「……!」


 アゼリアの目的を聞かされたグエスは、酷く驚いたようだった。まさかアゼリア自ら犯人探しをしているなど、思いもよらなかった、というような。


 他家の御令嬢であれば、確かにそうだろう。家の者や爵位保持者に解決を任せ、家でおとなしくしているはずだ。

 けれどアゼリアはモルガン公爵家の令嬢であり、公爵位の次期継承者だ。たとえ父公爵からぶら下げられた、グエスとの婚姻を進める、という餌がなくても、自分の持てる力すべてで同じことをする。


「ところでアゼリア嬢、三盟約のあたりの話ですが……モルガン家と王家の機密情報なのでは?」


 そう問うてきたグエスの表情と声色は、特に焦るでも揺らぐでもなく、淡々としていた。

 それを見て、アゼリアにも少しわかってきた。グエスは顔や声に感情がでにくいひとなのだ、と。あるいは職務上、ポーカーフェイスを徹底しているのか。


 そして、グエスはガフ家を継ぐ地位ではなかろう、ということも。爵位継承者でなければ、三盟約について詳しい教育がされることは、ほぼないから。

 だからアゼリアは嬉しくなってしまって、ころころ転がるような笑い声をあげてしまう。


 これで遠慮なくグエス様を公爵家の婿としてスカウトできますわ! と。

 グエスが心配している機密情報については、特に問題にはならない。みなが忘れているだけであって、秘密でもなんでもないのだから。


 機密情報に該当するのは、これから向かう書類保管庫で行うアレの使用についてだ。アレは国王とモルガン公爵家、数人の宮廷魔術師しか存在を知らない。


「ふふ。さあ、どうでしょう? ですがグエス様、知られてしまったからには、グエス様はもうわたくしから逃げられません」

「……アゼリア嬢。そこまでしていただかなくとも、自分は怖気づいて逃げたりはしません。昨日、口をだす、と決めたときからどのような運命が来ようとも覚悟しておりましたので」

「……まぁ!」


 なかなか嬉しいことを言ってくれる。けれどグエスの言動には気をつけなければ、とアゼリアは自戒する。

 グエスは素で、紳士的に振る舞っているのだから。アゼリアだけが特別、ということではないのだろう。


 もしかしてガフ家とは騎士の家門なのかしら、とアゼリアはふと思った。グエスの言動や思考は、まるで騎士のそれだ。あるいは、かつて騎士を目指したひとの。


 グエス・ガフという人物がどこの誰なのか。それは今、アゼリアの『鴉』が調べている。だから、本人の口から直接聞く必要はない。ないのだけれど。


 どうしてかアゼリアは、グエスの口から聞いてみたい、と思ってしまった。なぜ、そんな非効率的なことを思うのか、自分でもわからない。

 そんなことを、ぐる、ぐると。考えているうちに、アゼリアとグエスは書類保管庫に到着していた。


「……書類保管庫に着きましたね。では、アゼリア嬢の探しものを見つけましょう。なにかアテがあるのですか?」

「ええ、あります。書類保管庫になら、王城回想録がありますから。この王城内でのあらゆる会話や交流が記録されている自動書記録です」


 そう、アゼリアの目的は、書類保管庫にひっそりと保管されているアレこと王城回想録だ。王城内の出来事ならば、すべて自動で記録される古の魔術が施された魔道具である。


 この魔道具の存在を知る者は少ない。王族とモルガン公爵家、それから数人の宮廷魔術師だけ。

 三盟約をないがしろにする今の王族が、この魔道具の存在を覚えているか、は怪しいところだけれど。


 とにもかくにも、書類保管庫に足を踏み入れたアゼリアとグエスは、膨大な量の書類とファイル、それから古い書物が並べられた棚が並ぶ狭い通路をゆく。


 アゼリアは進行方向へ自分の魔力を走らせながら。グエスはなにを探せばよいのかわからず、キョロキョロしている。

 

「……どのようなものを探せばよいですか?」

「書物の形をした魔力溜まりです。常に装丁が違うので、簡単には見つけられませんが……ありました」


 前方を走査スキャンしていた魔力に手応えを感じたアゼリアは、反応を示した一冊の分厚い本を手に取った。


 今回顕現している王城回想録は、赤地の布張り表紙に金糸の刺繍が施された本だった。この本の中身は実質カラだ。ページをめくって本文を読んでも、たいしたことは書かれていない。


 重要なのは本文ではなく、この本に溜まった魔力溜まり。溜まった魔力の中に王城内でのアレやコレについて、自動記録されるのだ。


 この魔道具の記録を参照するには、魔術が必須だ。それから、鍵となる血も。血といっても血液じゃない。魔道具に記憶させた血脈筋の者であること。それが条件である。


 登録されているのは、王族とモルガン家。幾人かの宮廷魔術師たちは、王族かモルガン家に参照権限を付与されているから、見ることだけができる。


 アゼリアは手のひらを本の表紙に置くと、モルガン家に伝わる魔術式を編み、それに魔力をこめた。

 ヴン、と虫の羽音のような音が一瞬だけして、それで終わり。


 もう少し光るとか、音声ガイドが流れるとかすればソレっぽいのに地味すぎるわ、だなんて思いながら、アゼリアはグエスに微笑んだ。


「さあ、グエス様。わたくしの権限で一時的に閲覧参照権限を付与しました。魔力溜まりから記録を読み取ったことはありますか?」

「……何度か」


 グエスが躊躇ためらいながらうなずいた。

 躊躇う気持ちはわかる。魔力溜まりから記録を読むのは、向き不向きがあるし、体調や相性が悪ければ酔いもするから。


 そしてなにより、魔力操作の高い技術が必要だ。10メートル先の針の穴に糸を通すような、繊細で高度な技術が。


 だからアゼリアはグエスが頷くのを見て、心の底から喜んだ。思わずグエスの手を取り、握りしめてしまうほど喜んで、弾む声と緩んだ頬でこう言った。


「素晴らしい! なんて、素晴らしい! それではグエス様、参りましょう!」


 突然アゼリアに手を握られたグエスがどのような反応をしていたか、は。

 第一王子に自分との婚姻を唆したお馬鹿さんを探す、という使命を背負って燃えていたアゼリアには、確認する余裕などなかったので不明である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る