第9話 宰相閣下と補佐官殿

 王の執務室でアゼリアがグエスに助けられた日の翌日。

 つまり、昨日の今日。暖かい午後の日差しが窓から差しこむころ、アゼリアはルイユ宰相の執務室を訪ねていた。


「本日はお時間をいただきありがたく存じます、ルイユ宰相閣下。それから、ガフ補佐官」


 アゼリアは執務室に招かれると、執務机デスクに座るルイユ卿と側で控えるグエスに向かって美しいカーテシーをした。


 モルガン公爵家の名前を使い正式な面会の約束アポイントメントを取っての訪問だ。だから正式な挨拶をして感謝を示す。


 そして今日のアゼリアは、自身が持つ魅力を最大限に引きだすような化粧を施して、けれど決して華美にはならないシンプルなドレスを身に纏っている。


 いつもはつけない指輪だってつけた。右手にふたつ、左手にひとつ。大振りの宝石があしらわれた指輪は、アゼリアの華奢で長い指を彩っている。

 そんなアゼリアにルイユ卿は見惚れることなく、弧をえがく細い眼で紳士的に挨拶を返した。


「モルガン公爵令嬢、今日も美しいお姿ですね。さて、本日の要件はどのような?」

「昨日助けていただいたガフ補佐官へのお礼と、わたくしの用事のために補佐官をお貸し願えないか、と」


 アゼリアは単刀直入にそう言った。

 アゼリアの目的は、どうやら中立でありそうなルイユ卿、ではない。本来の狙いは、ルイユ卿の傍らで目を見張ってアゼリアを見つめているグエスだ。そのグエスの頬は、目元は、心なしか赤い。


 グエスの初心うぶな反応をそれとなく確かめて、アゼリアは当然のごとく脳内で拳を高く振り上げた。3回くらいした。なんなら、拳も振り回しながら感涙にむせび泣いた。

 今日は気合を入れて化粧をしてよかった、と安堵したアゼリアは、素知らぬ顔でルイユ卿と話を進めてゆく。


「……グエスを? ふむ……彼は私の優秀な部下でね。グエスに任せている仕事も多々あるのですよ」

「ええ、存じております。けれど、わたくしにはガフ補佐官のお力が必要なのです」

「しかし……」


 渋るルイユ卿と、押すアゼリア。ふたりが見えない火花を散らしていると、そこへグエスが割って入った。


「ルイユ閣下、お任せいただいた仕事は、ほぼ完了しております。あとは閣下にサインをいただければ、すべて終わりです」

「……なんだって? 聞いてないぞ、グエス!」

「そうですね、言ってませんから。レディの訪問があると聞きましたので、朝イチで片付けておきました」

「……では!」


 嘘でしょ。もしかしてグエス様も、わたくしと話したかったのかしら! と、アゼリアは期待に胸を躍らせて、ついでに目も輝かせてルイユ卿を見た。もちろん、あくまでも淑女的な態度の範囲で、だ。


 ルイユ卿はうーん、と唸り、淡々としているグエスをジト目で見ながら、


「グエス、なんですか君。昨日からやけにでしゃばりますね。そんなにモルガン公爵令嬢を手助けしたい、と?」

「困っているレディに手を貸すのが紳士の嗜みであり、礼儀であり、義務である。と、閣下も常々おっしゃっているではないですか。それを実践しているだけです」


 グエスはそう言って、姿勢正しくきっちり45度に傾けてルイユ卿に敬礼をした。

 あ、ああー……そういうことですか……。と、アゼリアは落胆せざるを得なかった。グエスの言動が、あくまでも紳士としての助力である、とわからされてしまったから。


 ガフ家の爵位は、いまだ不明。けれど、高レベルの貴族教育、紳士教育がなされていると見て間違いない。

 ますますグエスが婿に欲しい。アゼリアは腹の底から沸き立つ思いを表情にはださないよう、微笑む表情筋に力を入れた。


 そんなアゼリアの影の努力の横で、ルイユ卿は、というと。なんとグエスに敗北宣言をしていた。


「ぐ……なかなか言うようになりましたね、グエス。……いいでしょう、今回の第一王子とモルガン公爵令嬢との婚姻の件は、抑えきれなかった私たちにも責任があります。……モルガン公爵令嬢、どうぞグエスをお使いください」


 よっしゃ、よっしゃ! と振り上げた拳は、もちろん、頭の中でだけ。現実世界のアゼリアは、優雅可憐に微笑んでお辞儀をする。


「ありがとう存じます、閣下。それにガフ補佐官」

「……レディ、自分のことはグエス、と」

「あら。ではわたくしもアゼリアとお呼びくださいませ。もちろん、閣下も」

「では、アゼリア嬢。念のため確認ですが、モルガン家は殿下との婚姻を望まれていないのですね?」


 そう尋ねてきたルイユ卿の顔は、先程とは打って変わって宰相の顔をしていた。

 だからアゼリアも気を引き締める。背筋をピンと伸ばし、胸を張る。そうしてアゼリアはモルガン公爵家の後継として、凛とした態度で答えた。


「ええ、そうです。望んでおりません。我々には我々にしかできない仕事がありますので。それ故に、王族との婚姻は望みません」

「それは……王族の血統維持という公爵家の役目よりも優先すべきことが?」


 いぶかしげに顔をしかめて問うルイユ卿に、アゼリアは、あれ? と思う。

 もしかしてルイユ宰相閣下は、モルガン家の家業を知らないのでは、と。


 昔々、宰相職はルイユ家のものではなかった。ルイユ家が宰相職に就くまでは、別の家門が着任していた。それが、ダンソル家だ。


 何代か前に宰相交代劇があったわけだけれど、三盟約に関することだとか、それに伴うモルガン家の役割だとか、そういう情報の継承がされていなかった疑惑が、アゼリアの中で急浮上してきた。


「公爵家の役割は、なにも血統維持だけではありませんよ、宰相閣下。閣下ともあろうお方が、少々視野が狭いのでは?」

「……。……それもそうですね、失礼いたしました」


 アゼリアが淑女ではなく、次期公爵としての顔で目を細めて意味深に笑うと、ルイユ卿はなにかを察したのか、すぐに引いた。

 ルイユ宰相は、ルイユ侯爵家の跡取りではない。宰相閣下はルイユ侯爵家の次男である。


 もしルイユ家が他の家と同じように、爵位後継者にしか三盟約の話を受け継いでいないのならば。

 宰相職につく家であるなら一族に周知されているはずの話を、ダンソル家との宰相交代劇のゴタゴタで、スコンと取り落としていたのなら。


 宰相閣下は、三盟約の真実を知らない可能性がある。

 けれど、頭のよい方でよかった、とアゼリアは安堵した。モルガン公爵家の役割を三盟約と結びつけて考えたかどうかに関わらず、モルガン家が王城の政務とは別の役割があるのだ、と察してくれたのだから。


 アゼリアは、鋭く笑って細めた目を、すぐに淑女の微笑みに戻して柔らかく笑う。


「ふふ、わたくしの方こそ失礼いたしました。……ところでルイユ卿はダンソル卿と親しくされておられますか?」

「いいえ。親しくどころか、目の敵にされていますよ。……なぜ、そのようなことを?」


 アゼリアがルイユ卿に問いたいのは、アゼリアと第一王子との婚約を無視した婚姻を、どこの誰が進めたか、ということ。


 ルイユ卿が黒幕について知っているとは思えない。けれど、あの応接室にいた面子についての情報なら、宰相であるルイユ卿に聞くのが一番だ。


「確認したいことがありまして。……ダンソル卿に目の敵にされている理由はご存知ですか?」


 既知の情報ではあるけれど、アゼリアはあえて確認した。当事者同士でしか知り得ない情報やしがらみがあるだろう、と踏んで。


「そうですね……なんとなく心当たりはあるのです。ルイユ家は二代続けて宰相職に着いていますが、その前は……」

「長い間、ダンソル家が宰相職に着いていましたね」


「それを我が家門が盗み取った、と思われているようです。膨大な量の書類と案件を捌いていたら、いつの間にか宰相になっていた、別になりたかったわけではないが、ならなければ国が崩れると分かっていたからなっただけだ、と先代は嘆いていましたが……」


「あら、そうだったのですか。……それではダンソル家から宰相職の引継ぎなどは……」

「行われなかった、と聞いています。……あの時代は政務官が総入れ替えになった時代ですから、引継ぎがされていないのは我が家門だけではありません」


 ルイユ宰相の話を聞いて、アゼリアは、やはりそうなのね、と思う。

 オルガンティア王国は、数代前に国政が破綻しかねない重大な問題が発生した過去がある。


 それは三盟約とはまったく関係のないことではあったのだけれど、国の政治を司る貴族たちが総入れ替えにならざるを得ない結果となった。


 当時のことを逆恨みして、今も引き摺っている貴族がいる、というのはアゼリアも情報として知っている。

 けれど。

 ルイユ家がダンソル家に今もなお恨まれている、という現在進行形の情報にあてられて、アゼリアは顔が引き攣らないよう自制するので精一杯だった。


 貴族の権力闘争は壮絶だな、と他人事のように思わなければ、この先も話をし続けるのが、ちょっとつらい。

 ふう、とアゼリアはひと呼吸吐く。息とともに重くなった心を吐きだして、話を切り替える。


「そうですね。では、ダーシ卿とはどうですか?」

「財務官職に着いたダーシ家も、我が家門と同様にあの時代に取り立てられています。そういう意味ではルイユ家もダーシ家も新興貴族と言えますから、それなりに立ち話はしますよ。……でもそれは親しさの証明、にはなりませんね」


 ルイユ卿は自嘲気味に笑ってそう言った。もしかしてルイユ卿の人付き合いは広く浅くがモットーなのだろうか。

 公平公正で有能な若き宰相として名高いルイユ卿のことだ。ひとつの家門と親交を深めすぎないよう気をつけているのかもしれない。


「私が知っていることで、お役に立てそうな情報でしたら……ダーシ卿は第一王子と懇意にされているようだ、ということくらいでしょうか」

「お気遣いありがとうございます。では最後にもうひとり。……宮廷魔術師長殿が政務に助言されることはありますか?」


 もし宮廷魔術師長であるベスティア卿が、政治的野心のある人ならば、もっとも警戒しなければならない。

 なぜなら、魔術はなんでもアリだから。世界のことわりを改変するようなものは成り立たない。けれど、それ以外ならば、割となんでもアリなのが魔術だ。


 モルガン公爵家の調べでは、ベスティア卿は魔術研究オタクもとい浮世離れした人で、政治的な野心を抱くような人物ではない、とある。

 その裏を取るための、念のための確認だ。


「ベスティア卿ですか? ……ああ、あの方はそのようなこと、しませんよ。魔術にのみ関心が向くようで、政治には興味がないようです。魔術関連の案件についてだけ、熱心に取り組んでいただけるのですが、それ以外は……」


 ルイユ卿はそう言って、ゆるゆると首を横へ振った。

 アゼリアには、さっぱりダメだ……、という嘆きが、ルイユ卿から聞こえたような気がした。


 なにか慰めの言葉でもかけた方がいいかしら、とアゼリアが口を開きかける。すると、ルイユ卿はなにか思いだしたように「あ。」と短く声を発して続けた。


「そういえば最近、ある危険な魔道具がひとつ行方知れずになったとか、ならないとか……そんな話をベスティア卿が呟いていたのを聞きました」


 それを聞いてアゼリアは、キタ! と思う。正直なところ、ルイユ卿の口から役に立ちそうな情報がでてくるとは思っていなかった。

 アゼリアは、はやる気持ちを抑えながら、さりげなくサラッと会話を深めてゆく。


「それは、ベスティア卿の私的な研究室などではなく、王城内にある研究塔での話……でしょうか?」

「ええ、そうだと思います。研究塔の近くの回廊で青い顔をしていた様子を見かけました」

「研究塔……それは、いけないわ……」


 王城にある魔術研究塔は、宮廷魔術師たちの棲家であるのと同時に、王国にとって危険な魔道具を封じている場所でもある。


 例えば、対城兵器となりうる規模の攻撃魔術を放つもの。

 例えば、思考誘導や精神洗脳などの効果を発揮するもの。

 例えば、偽貨幣や黄金、宝石などを増殖させるようなもの。


 それ以外にも、古の魔術に関する魔道具も管理保管されていた。その研究塔の魔道具がなくなったのなら、それはもしかしたら、今回の件に関わってくるのかもしれない。


 根の深い動機——ルイユ家とダンソル家の確執のようなもの——や野心からくる復讐や陰謀だけじゃなくて、魔道具の使用も含めた計画的な国家転覆も視野に入れて調査を進めなくては。


 今、アゼリアの頭の中には、さまざまな可能性がぐるぐると回っていた。ふた呼吸分の時間だけ考えて、アゼリアはこの後の方針を決める。まず向かうべきは書類保管庫だ。


「ふふ、わかりました。ありがとうございます。これでわたくしの用事を最小限で終えることができそうです、助かりました」


 アゼリアは淑女の微笑みを浮かべてルイユ卿にお礼を告げる。

 そして、アゼリアはゆっくりとグエスに向き合った。はじめてここで、彼の頭の先から足の先までしっかりと見た。


 肥沃な大地を思わせる焦茶色の短い髪、光の加減で金色に見える琥珀色の眼。騎士のように体格がよいのに、肌が白いのは内勤だからだろう。首まできっちりと閉じられた白シャツのボタン、宰相補佐官に相応しい上等な仕立ての組服スーツ。スラリと長い脚と、よく磨かれた黒革の靴。


 あら? もしかしてこの人、わたくしの好みの顔と身体とセンスをしているのでは?

 アゼリアはグエスがいい男であると知っていた。けれど、容姿もいいとは気づかなかった。ここではじめて知ったのだ。

 だからといってアゼリアは、動揺などしない。


「ではグエス様、参りましょう」


 アゼリアは次期公爵の顔でそう言って、まるで女王か女帝のようにグエスを従え執務室をでた。

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