第6話 お断りしたいのですが?(下)

「それにしても、そんな偶然が続くものなのですかな?」

「つまり、なにをおっしゃりたいので?」


 モルガン公爵が鋭く返す。途端にピリピリとした空気が応接室を支配した。

 モルガン家は、建国当初から存在している由緒正しき公爵家。けれど、歴史と伝統だけが折り重なった、名ばかり公爵。だから格下の相手に侮られやすい。たとえば、今のように。


 けれど、腐っても公爵家である。場を支配する術は、心得ている。アゼリアは、隣に座るダライアスの気配が、重く鋭くなって行くのを肌で感じながら、ただただ美しく無言を貫いた。


 それをいいことに、ダンソル卿が不躾な質問を投げかけてきた。


「モルガン公爵家は、王族の血統維持としての役割を果たしていないのではないですかな?」

「だから今回の婚姻を受けよ、と?」


 ダライアスは、ダンソル卿の問いに問いで返した。怒りが滲んだそれに答えたのは、ダンソル卿ではない。代わりに答えたのは、ノアベルト。


「そうだ。それに私は美しき薔薇をひと目見て気に入った。私の花嫁になるという栄誉を与えてやろうと言っているのだ。公爵家としての存在意義を果たせる上に、正妃……つまり王子妃に、ゆくゆくは王妃になるのだぞ? なにがそんなに不満なのだ?」


「栄誉、ですって? そんなもの、なにになると言うの?」


 淑女教育や貴族教育を受けたアゼリアにも、我慢の限界というものはある。ついに、高慢ちきな態度でふんぞり変えるノアベルトを許すことができなくなってしまった。


 婚姻だとか、栄誉だとか。そんな話じゃない。三盟約? それすら、今は、どうでもよかった。


「アゼリア、黙っていなさい」

「いいえ。わたくしの人生がかかっておりますもの、言わせていただくわ。わたくし、栄誉や称号が欲しくて結婚を決めるなんて、そんなこと致しません! わたくしには、やりたいことがあるのですから!」


 制止するモルガン公爵を振り切って、アゼリアは自分の意志を力の限り訴えた。 だって、わたくしには『あくのそしき』のボスになる、という野望があるのだから。


 その思いを胸に、アゼリアは間髪入れずに続きを激しく主張する。


「それに。それに申し上げますが、我々モルガン公爵家は血統維持のお役目こそ果たしておりませんが、それ以上に王国に尽くしております! それを……!」

「アゼリア、堪えよ。いいから黙りなさい!」

「お父様!」

「……私の娘が失礼した。しかし、ノアベルト殿下。娘との婚約を希望されておりますが、殿下の婚約者であるレグザンスカ公爵令嬢はどうなさるおつもりか?」


 発言するうちに感情がこもって止まらなくなったアゼリアを、モルガン公爵がなだめていさめ、大人な態度とやり方でノアベルトに詰め寄った。


「王家がレグザンスカ公爵家に懇願して成立した婚約である、と聞いておりますが?」

「それは……」


 途端に言い淀むノアベルト。どうやら後ろ暗いことをしている自覚はあるらしい。このまま押せば、婚姻話などなかったことにできる、そう思ったのは束の間だった。

 ノアベルトは開き直ったのか、それとも棚に上げたか。あっけらかんと平然に、こう切り返してきた。


「まあ、よい。確かにこちらから強く希望はしたが、慰謝料とレグザンスカ公爵令嬢の今後の名誉を保証すればよいのだろう? ダーシ卿、その辺りは調整できるんだな?」

「は、はい。予備費を切り崩せば予算は調達可能かと……で、ですが」

「だ、そうだ。観念して私のものになれ、美しき私の薔薇よ!」


 うげ、そんな熱烈アピールはご遠慮被りたい! と、叫ぶわけにもいかず、アゼリアは黙ってノアベルトを睨むしかない。


 それだけじゃない。背筋がゾゾゾと冷えて感じる悪寒。薄ら寒い気配と視線。ここが王の応接室で、国の重鎮たる面々がいなければ、両腕を抱いていたかもしれない。


 お断り一択ではあるけれど、どうしたものか……、とアゼリアが頭を悩ませていると新たな声が参戦してきた。


「お待ちください」

「なんだ、お前は……?」

「宰相補佐官のグエス・ガフです。ノアベルト殿下、今のお話を通すには少々無理があるかと」


 ノアベルトとモルガン家のやり取りを一時停止させたのは、この会合がはじまる前にアゼリアへ視線を送ってきていた青年だった。


 グエス・ガフ。聞いたことのない名前と家名。歳のころは二十歳を過ぎたばかり、といったところだろうか。名前を聞いて、何度記憶をさらっても、アゼリアの婚活リストには載っていなかった名前だ。


「なんだと? 貴様……」


 割って入られたことに腹を立てたのか、それとも無理だと指摘されたことに怒りを覚えたのか。ノアベルトは短気にも声を荒げてグエスを睨んだ。


「予備費を切り崩す、ということは、国家予算から捻出する、ということですね? それは殿下単独のご命令ではできません。国王陛下のご命令であっても、です」


 一方のグエスは、怯まない。淡々と事実を述べて冷淡な眼でノアベルトを見据えている。

 なんて、胆力かしら。ぜひとも我が家の婿に欲しい!


 アゼリアの胸は、心臓は、宝物を見つけた時のように高鳴った。それが場違いなことだとわかっていても、顔がうっすら色づいてしまうのを止められない。


 グエス・ガフ……グエス・ガフ。覚えたわ、絶対に逃がさない。ああ、彼と出逢えた奇跡に感謝してもしきれない! 今ならほんの少しだけ、三盟約を無視して婚姻請求をしてきた王家に感謝してもいいかもしれない! 切り替えの早いアゼリアの頭は、今や歓喜にわいていた。


 それはそれとして、グエスの指摘を補強したのは、宰相でありグエスの上司でもあるルイユ卿だ。


「ええ、グエスの言う通りですね。少なくとも、一度は貴族議会に話を通す必要がありますよ。それに、まだ公になってはいないとはいえ、レグザンスカ公爵令嬢とは内々に婚約式まですませております。あとは正式に発表を行うだけ、という状態です。つまり、こちらを破棄する場合でも議会に上げる必要があるのです」


「そんなことをしていたら、レグザンスカ公爵令嬢との結婚式が来てしまうではないか!」

「だから陛下に泣きついて内々に処理しようと?」

「ぐっ……」


 グエスの上司なだけあるのか、ルイユ卿の指摘はグエス以上に辛辣だった。図星を突かれたらしいノアベルトは、喉を鳴らして言葉を詰まらせている。


 次第に赤黒く染まってゆくノアベルトの顔。プライドを傷つけられ、けれど反論もできず立ち往生しているさまが、なんとも滑稽だ。


 これなら婚姻阻止もとい、請求自体をなかったことにするのも容易い。アゼリアはそう微笑んで口を開いて——言葉を国王陛下に盗まれてしまった。


「まあまあ、そこまでにしてやってくれないかね。確かに今回のことは、こちらに非があることは明確だ。だが、親として息子の願いを叶えたいと思う気持ちもあってね。その心情を汲んで欲しいと思っている」


「陛下。その言い分はあまりにも卑怯かと……」

「ルイユ卿……はは、さすがに厳しいな」


「いつも通りですよ、陛下。せめて私に一言でも相談してくださっていれば、味方にもつけましたが。これではモルガン公爵に味方せざるを得ない。そうですね……少し時間を置かれては? 公爵にも考える時間が必要でしょう」


 ちょっと待て、貴方はモルガン家の味方なのではないの!? と、アゼリアは心の中で盛大に叫ぶ。登っていた梯子を外された気分だ。もちろん、立派な淑女であるアゼリアは、それを態度にも表情にもださなかったのだけれど。


 だから、深呼吸をひとつ。大きく吐いて、それから吸う。

 宰相閣下は立場的に中立か……と、冷静になった頭で考えていると、国王陛下が締めの言葉を述べたところだった。


「……そうだな、それもそうか。かと言ってそう悠長にも待てぬ。3日後に答えを聞かせてくれないかな、公爵?」

「……仰せのままに、陛下」

「……承知しました、陛下」


 もう、そう答えるしか道が残されていないモルガン公爵ダライアスとアゼリアは、うやうやしく頭を下げることしかできなかった。


 つまりアゼリアは、初めての王城、初めての国王陛下との謁見、初めての王族との交渉にて、気持ちだけが空回り、それを表にだす機会をぎ取ることもできずに、完全に敗北したのである。

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