第5話 お断りしたいのですが?(上)

 アゼリアと父ダライアスが通されたのは、内政用と思われる応接室だった。

 王宮にある部屋にしては華やかではない実務的な応接室に通されて、アゼリアは思わず視線を四方へ彷徨わせてしまった。


 シンプルではあるけれど、貧相ではない。華美にならず、けれども品良く。窓がひとつもない代わりに、繊細な画筆の風景画が数点、白い壁に飾られている。


 この部屋の主役を決めるなら、それは吊り下げられた豪奢なシャンデリアだろう。細やかな硝子細工が光を受けてキラキラと乱反射させながら輝いている。


 オレンジ色の中に微かに混じるイエローの光。魔術的な光と、補助系魔術の二重付与。魔術痕色は、シャンデリアのガラスひとつひとつに浮かび上がっている。


 さすが、王宮。一見、実務的で絢爛的ではないように見えはするけれど、贅の限り、魔術の限りを尽くしたいい部屋だ。

 この部屋に恒常的にかけられているのは、防音、音声記録、映像記録といったところだろうか。もしかしたら、近衞騎士団の然るべき部隊にも通じているかもしれない。


 だって、この部屋には本来ならば同席しているであろう書記官が存在しないのだから。

 書記官という無関係の第三者の目を逃れたとき、ひとの心は緩むだろう。心が緩めば口も緩む。口が緩めば頭も緩む。


 そうやって交渉事を王家有利に進めてきたのだろうか。だなんてことを夢想しながら、アゼリアは応接室に集まった面々の顔と名前を一致させる作業に入った。


 すでに長卓の上座に腰を下ろしているオルガンティア国王バディス・オルガン陛下。そのすぐ傍に立っているノアベルト・オルガン第一王子。この王子がアゼリアに婚姻請求をしてきた張本人。


 王子とは反対側に立つ若き宰相ルイユ卿。その部下と思しき青年がひとり。彼らから少し離れて立っている儀典官ダンソル卿、財務官ダーシ卿。


 王子側には宮廷魔術師長であるベスティア卿が、ひとり離れてぽつりと立っている。退屈そうにぼんやりとしながら、欠伸を噛み殺していた。


 アゼリアは父公爵と共に部屋の出入り口に一番近い席、つまり国王陛下に一番遠い席の前まで歩く。

 公爵位を持ってはいるものの下座に位置するのは、これが現在のモルガン家と王家との距離だから。三盟約に基づいていた距離だ。


 けれど、その下座からは応接室内が随分とよく見える。

 誰が味方で、誰が敵か。誰を我々モルガン家側に取りこむことができるだろうか。


 視線を走らせただけでは、アゼリアにはまだ判断ができない。モルガン公爵家当主であるダライアスであれば、話は別なのだろうけれど。


 呼吸をするのも慎重に。瞬きひとつでさえ気をつかう。アゼリアは、キュッと眉間に力を入れて、萎れそうな心を引き締める。

 そうしていると、国王陛下がこの部屋に召集した者たちに着席を促して、話し合いははじまった。




「急に呼び立ててすまないなモルガン公爵、それからアゼリア嬢よ。……ああ、聞いていた以上に美しい。まるで咲き誇る薔薇のようだ。公爵よ、素晴らしい娘を持ったな」


 国王陛下はそう言って微笑んでみせた。ほわりとした柔らかい表情に、思わず気を許してしまいそうになる。それをどうにか堪えて、アゼリアは座ったまま無言で会釈した。


 今の王家は、我々が信用するに値しない。なぜなら、三盟約を忘れ去ってアゼリアに婚姻請求を突きつけてきたのだから。


 だから、アゼリアは表情を動かさず美しく黙ったまま。もし、この先、発言を許されるようなことがあったら、ハッキリ言ってやろう、と強く思って前を見る。


 アゼリアは完全に雰囲気に呑まれていた。馬車を降りる際に切った啖呵が、しゅるしゅると萎んでしまったかのよう。

 それでも気を強く持って、眼にキッと力を入れて前を向く。


 負けてはいけない。わたくしは次期モルガン公爵にして『あくのそしき』を継ぐ者よ!

 と、自分を奮い立たせていると、なにやら視線を注がれているような気配。アゼリアはすぐに、目すら動かさず魔術の補助を持って視線の持ち主を探った。


 見惚れていたのか、それとも別の意図か。アゼリアを熱心に見つめていたのは、宰相閣下が連れていた部下の青年だ。

 あれは、誰だろう?


 宰相閣下に仕えているなら、爵位がある家の者だろう。ならば彼は、次男だろうか。それとも三男か。わたくしの婚活リストには上がっていなかったようだけれど、いったい、どこの、どなた?


 宰相補佐官につけるほど有能で、次男以降かつ婚約者がいないのなら、是非ともわたくしの婿としてスカウトしたい。


 アゼリアは国王が放つ王族のオーラに耐えかねて、現実逃避をするかのように意識をそらしていた。心の負担は軽減された。

 けれど、会議は国王主体で進むもの。アゼリアを置き去りにして話は進む。


「さて、召喚状に書いたとおりだ。アゼリア嬢と我が息子ノアベルトとの婚姻を進めたい」

「光栄に存じます、陛下。ですが、我々はその婚約について辞退させていただきたく」

「わ、わたくしからもお願い申し上げます」


 本題を切りだした国王に、すぐさまお断りをいれたのはアゼリアの父、モルガン公爵だ。アゼリアもそれにならって、奏上する。


 なに考えてんだゴルァ! と怒りをぶちまけたいところではあったのだけれど、なにせアゼリアは淑女だ社交会デビューをして間もない17歳だ。時と場合と立場とをちゃあんと理解しているのだ。


 そんな淑女のお手本のようなアゼリアに、疑問を投げかけた貴人がいた。


「確か……美しき薔薇の婚約者はまだ決まっていなかったはずではないか? それだというのに、この私からの婚姻の懇願を、断ると?」


 この国の第一王子、ノアベルト・オルガンだ。ノアベルトは不機嫌そうに机を指先でコツコツ叩きながら、頬杖をついている。


 それが人に物を尋ねる態度か! 俺様すぎるだろう! と突っこみを入れたい気持ちを抑えながら、アゼリアは簡潔に真実のみを口にした。


「はい、その通りでございます。しかし、それとこれとはまた別の話ですので」

「ほう……では、想い人がいる、と?」

「いいえ、そのような方は、まだ」

「では、なぜだ。公爵も私では力量不足、不満だとでも言うのか!」


 激昂するノアベルトに、アゼリアはただ冷静に首を振った。縦ではなく、横へ。言葉にして否定しなかったのは、嘘をつくことになるから。


 他の貴族はどうだか知らないけれど、モルガン公爵家は現在の王家に不満があるし、力量不足だと思っている。

 まあ、レグザンスカ公爵令嬢によるアゼリア泥棒猫事件(冤罪)が発生してから、宗旨替えしたのだけれど。それまでは、まともでキチンと国を治めているいい王家である、と思っていたのに。


 三盟約のことを取りだして、一から十まで説明したい衝動に駆られながら、アゼリアは黙ってノアベルトの視線を受け止めていた。


 モルガン公爵家が公の場で、三盟約について振りかざすことがないのは、それが古の魔術によって結ばれたものだから。


 なにしろ古代魔術で誓約されたものだから、詳しい情報が残っていない。だから、内政の場でモルガン家当主が三盟約を持ち出して王家を脅していいのか、だめなのか。その線引きがわからないから。

 わかっているのは、破れば破滅が待っていること、ただそれだけ。


「では、どうして辞退したいとおっしゃるのですか、モルガン公爵?」


 アゼリアの脱線しすぎた思考を元に戻した声は、財務官であるダーシ卿だった。ダーシ卿は不思議そうに首を傾げ、ただ純粋に浮かんだ疑問を口にしているようだった。


「モルガン公爵家は公爵の位を得ているにもかかわらず、歴史上、ただの一度も王家と婚姻を結んだことがないではありませんか」

「確かにそうですな」


 ダーシ卿の疑問を受けて、儀典官ダンソル卿もふむふむと頷いた。


「それは今まで運悪く適齢期の娘や息子がいなかったのだ、と記録されていますよ」


 とフォローしてくれたのは、宰相であるルイユ卿。その言葉にダンソル卿が食い気味で反論した。


「それにしても、そんな偶然が続くものなのですかな?」

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