第4話 悪役っぽい令嬢(下)

「いや違う。はっきり言って、お前の容姿はまるで女神だ。可愛らしいとか美しいを超える突き抜けた魅力がある。が、その自覚がないところがまた、無垢に見えて危険なのだ。無垢なものは勘違いされやすい。容易く手折れる花だという勘違いだ。まあ、お前の性格を知っているから、どうにかされてしまうという心配はないのだがね」


 一度、言葉を区切ったモルガン公爵は、


「……アゼリア、もう何度も言って聞かせてきたことではないか」


 そう言いながら、聞き分けのない子供を見るような視線をアゼリアに送り、深くため息を吐いた。

 ため息には、ため息を。同じように息を吐いてから、アゼリアはモルガン公爵へ同じように言葉を返す。


「まったく、大袈裟です。それこそ、もう何度も言っているではありませんか。……それよりも、一体、どうして、このような事態に?」


「私が聞きたい。……急にぽっとでてきた話でね。お前が昨日、レグザンスカ公爵令嬢から話を聞かされなかったら、まるでわからないままだった。……それこそ、家をでる前から再三言っているだろう? 本当に第一王子との接触は今までになかったのだな?」


「ありません。まあ、社交界ですれ違ったことがあるのかもしれませんが。ですので殿下が社交界仕様のわたくしの容姿を気に入って……というのは、少々無理があるかと思います」


 なにせアゼリアは、王族が参加するような夜会やお茶会では、わざと地味で目立たないよう化けているのだから。化粧は偉大だ。どのようにも顔を作れるのだから。


 もともとアゼリアは、社交界で活躍することよりも『あくのそしき』のボスになることや、家業を継ぐことにしか興味がない。


 だから、参加必須の舞踏会や晩餐会、後継や家業の仕事のために必要な顔繋ぎや情報収集をするときにしか、そういうものには顔をださない。そのときですら、可もなく不可もなくといった平均的な仕上がりになるよう化粧や衣装を調整している。


 そのおかげで、アゼリアの容姿が社交界で噂になることは、まったく、ない。レグザンスカ公爵令嬢のような『銀の君』といった麗しの名だって、つけられたことはない。


 だから堂々と壁の花になって人間観察をすることができるし、人々の噂に聞き耳を立てることもできている。


「噂にもなっていない容姿を気に入るだなんて、おかしな話です」


 アゼリアが自分の容姿を偽っているのは、その美貌が毒にも薬にもなると知っているから。剣にもなるし、盾にもなる。暗器であり、切り札だ。


 生まれ持った才能は、磨いて使って役立ててこそ。長所を活かし、振り回されないために制御コントロールを学ぶ。


 そう思っているからこそ、今は長所である美貌を打ち消す技術を習得し、社交界で実践している。けれどそのうち、優れた容貌を最大限に活かし磨き上げた姿で社交界を引っ掻き回すのも面白いだろうな、なんて悪戯心に満ちたことも考えている。


 とにもかくにも、アゼリアには第一王子の関心を引き寄せた心当たりが、まるでない。

 それなのに、モルガン公爵家へ届けられた召集令状もとい婚姻打診の書状、つまり婚姻請求状には、美しいアゼリア嬢がどうのこうのと書かれていたから不思議だ。


「……まあ、人の好みというのは様々でありますから」

「それを言いだしたらキリがない。考えるのはよそう」


 モルガン公爵は頭を振って話を切り上げた。そうですね、と頷いて同意したアゼリアは、ふと、正面に座る父親の顔を見る。


 開き直ったような口振りとは裏腹に、深刻な表情を貼りつけている。その顔の険しさに、思わず背筋がピンと伸びた。王城内の政治に弱くても、父はモルガン公爵家の当主であり、その威厳や覇気が弱まるということはないのだ。

 父公爵は、真剣な眼差しをアゼリアに向けて静かに口を開いた。


「アゼリア、このままでは非常に拙いことになる」

「承知しております、この婚姻は結ばれる前に潰す方向で動く、ということですね」


「物騒な物言いだが、話が早くて助かるよ。さすが我が娘。しかしだね、せめて、回避する、とか、お断りする、とか、もっと柔らかく言いなさい」


 嗜めるようでいて咎めていない柔らかい口調でモルガン公爵は頷いた。けれど次の瞬間には、声のトーンを一段階重く落として切り替えて、アゼリアに静かに告げる。


「……アゼリア、わかっているね? いかなる場合でも我々モルガン公爵家とオルガン王家との間に婚姻が結ばれてはならない」

「建国時に王家と結ばれた三盟約、ですね」

「ああ、そうだ。古の魔術を用いて契約された、我々と王家との約束であり絆だ」


 その三つの盟約は、破れば国が破滅する。古の魔術を持って締結されたものだから。それは御伽噺でも伝説でもなんでもない。事実であり、真実だ。

 それを王家は忘れているのかもしれないけれど。


「……ところでアゼリア。三盟約を抜きにしたと仮定した場合、第一王子に嫁ぐ、という可能性はお前の中にはあるのかい?」

「ありませんし、ありえません。わたくしの好みは知っておられるでしょう?」


 唐突になされた公爵の遠慮がちな問いに、アゼリアはキッパリと否定を返した。そして、なぜそのような愚かな質問をするのか、と咎めるように目を細め、アゼリアは父ダライアスを見る。

 キリリと睨まれた公爵は、しかし動揺することなく深く頷いた。


「確か、なにかしらの継承権を持たない有能で誠実な者……だったかな」

「ええ、そうです。第一王子はそれに当てはまるどころか、まるで逆です!」

「そ、そうか……それならよかった。もし、お前が望むのなら……と思っていたのだが、その心配は杞憂だったね」


 ははは、と笑う公爵の顔には、ホッとした表情が浮かんでいる。父親としての気遣い、娘の希望を尊重しようという優しさが滲みでていた。

 そうこうしているうちに、モルガン公爵家の馬車は王城門を抜けて玄関間へ通ずる馬車道に入った。


 馬車がゆくと道沿いに設置されたトーチに点々と灯がともり、誘導灯の役目を果たしている。ポツポツと灯るオレンジ色の淡い光。


 あれは魔術の灯だ。道具に組みこまれた魔術式が、光って浮かび上がっている。アゼリアの眼には、その光る魔術式——魔術痕色——がよく視える。


 ともるオレンジ色の灯と共に浮かぶ名もなき魔術の灯は美しい。けれど、この灯が誘導しているのは数多の権謀術数うず巻く王城だ。

 見惚れていないで気を引き締めなければ。アゼリアは奥歯をキュッと噛み締めた。


「とにもかくにも、王族からの婚姻請求は、なかったことにしなければならない」


 公爵もアゼリアと同じように思ったのかもしれない。ポツリと呟くように言って、アゼリアをジッと見つめた。アゼリアによく似た赤紅色の瞳が、決意と怒りで燃えている。


「ええ、そうですね。わたくしも尽力いたします」

「期待しているよ、アゼリア」


 モルガン家が目指すのは、婚姻請求の取り下げではない。婚姻阻止だ。そんな話など、はじめからなかったことにしようというのだ。


 そうしているうちに公爵家の馬車は、衛士に導かれて王宮の玄関間に停車した。続いて、ガチャリと音を立ててロックが外れ、馭者ぎょしゃが扉を開く気配。


 アゼリアは背筋を伸ばして口の端を吊り上げた。鬱勃たる闘志を微笑みで隠すために。気弱な令嬢の演出は取りやめだ。余裕たっぷりで困惑など欠片もない、と見せつけるために、アゼリアは華麗に笑う。


「参りましょう、お父様。我々モルガン家の力を存分に振るって差し上げなくては」


 まるで悪女のような台詞を馬車内に言い置いて、アゼリアは王宮へと降り立つのだった。

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