第3話 悪役っぽい令嬢(上)

 今晩早々にやってしまうのが、一番解決に近いのでは?

 そんな物騒なことを考えながら、アゼリアは王宮へ向かう馬車の中で、そっとため息を吐いた。


 昨夜。そう、昨夜だ。急ぎ公爵家に馬車を走らせて帰り、ありとあらゆる手段を用いて確認している最中さなか、王城より密書が届いた。


 第一王子ノアベルト・オルガンから公爵令嬢アゼリア・モルガンへの求婚状と、王城への召喚状だった。

 婚約をすっ飛ばして婚姻かよ! と、アゼリアが自室でひとり、はしたなく突っこんでしまったのは、仕方のないこと。けれど、いきなり婚姻誓約書を送りつけられなかっただけ、まだマシだった。と思うことにした。


 そういうわけでアゼリアは今、王城へ向かっている。王族を問い詰める機会を与えられたのだ、と好意的に解釈することで、大人しく馬車に揺られている。

 憂鬱なアゼリアが馬車の中から夕景を眺めていると、ガラス窓に映る淡つかな赤い瞳と目が合った。


 陰鬱な表情を縁取っているのは、しっかりと結い上げてまとめられた美しく柔らかな金色の髪。髪と同じ色の長い睫毛が赤眼を牢獄のように閉じこめている。

 泣くほどではない。けれど、泣きたいような、そんな顔。


 作ったとおりの表情を窓に見て、憂い顔は決して崩さず、アゼリアは胸の内で拳を天に突き上げた。

 オーケィ、いいわ。訓練してきた成果がでてるわ! 最高、わたくし最高!

 そんな風に自分を激励鼓舞しながら、アゼリアは傷心の令嬢を装い続ける。


 何事も、事前準備が必要だ。突然の求婚で戸惑っている令嬢、というのが、今日の構想コンセプトだから。

 アゼリアは窓に映る囚われの瞳(演技)をじっと見つめた。そして、顔もろくに覚えていないし興味なんて塵ほどもない第一王子、すなわち求婚者のことを考える。


 いったい、どういうつもり。第一王子は相思相愛のレグザンスカ公爵令嬢に、なにをどう言ったの! あんなに……あんなに涙を溜めて……悲しませることをするなんて! 知らぬ内にわたくしも巻きこんで……なにを考えているのやら。


 第一王子に対して憤慨する一方で、昨夜の舞踏会で親切にもアゼリアが泥棒猫状態に陥っている、と遠回しに教えてくれた御令嬢の心情を推し量る。


 まだ公的には発表されていないのだけれど、第一王子とレグザンスカ公爵令嬢は、すでに婚約式まですませている仲である。

 それだというのに、それだというのに。


「どうしてこうなった……」


 アゼリアの嘆きを代弁するように吐きだしたのは、アゼリアの父親であるダライアス・モルガン公爵。

 唯一の同乗者であるモルガン公爵の顔は青い。壮年真っ只中で鳶色の髪に白いものが混じり始めたものの、依然として社交界の星と謳われる美貌が困惑と嘆息で歪んでいる。


 はぁ、とアゼリアは失望や苛立ちを隠しもせず、ため息を吐いた。もう事前演技は終了だ。父が本気で動揺しているから、演習を継続する気が失せた。


 だからアゼリアは、家族の前だから、と遠慮せず、すでにスカートの中で行儀悪く組んでいた脚を組み替える。その長い脚の動きに合わせて、紅色のシルク生地の上に黒色レースを重ねたスカートの裾が、ふわりと揺れた。


「それはわたくしの台詞です、お父様」


 正面に座ったモルガン公爵の肩が、なにかを恐れるようにビクリと跳ねた。それを窓ガラスの反射で確認する。

 ダライアスの情けない仕草に、アゼリアは呆れた。だから窓に映る自分の姿から焦点をずらし、滑らかに流れる車外の景色に意識を移した。


 お父様に当たっても、仕方がない。それは、わかってる。でも、だって、仕方がないのだ本当に。

 アゼリアがダライアスと共に王城に召喚されてしまったのは、父公爵が不甲斐ないせい。父が王城内で上手く立ち回れていなかった、という証明だから。


 そもそも王家から求婚されるだなんてこと、アゼリアの人生設計にはない出来事だし、あってはならないことなのだ。


 だってアゼリアは、今も昔も変わらず『あくそのしき』のボスになりたいから。三盟約がなくとも、王族との婚姻なんてお断りだ!


「本当に、どうして……」


 口の中で呟かれたアゼリアの疑問が、空気の中に溶けて消えてゆく。

 窓の外は、陽が落ちるか落ちたかという夕暮れ時。雲の多い空は怪しく赤紫色に染まっていた。


 赤紫色の夕焼けを見て、アゼリアは思う。今度あの色のドレスを仕立ててみようかな、と。呑気な現実逃避をして、再び、はぁ、とため息を漏らした。


 窓の外、馬車が行くのは薄暗くなりつつある石畳の都。オルガンティア王国の王都ティアーだ。都の中心にある王城へ向かう馬車から見えるのは、行き交う人々、すれ違う馬車、街灯の橙、並び立つ家々。


 色の濃淡に違いはあれど、視界に入るほぼすべてがオレンジ色に光っている。夕暮れ色とはまた別の、薄ぼんやりとともるオレンジ色。あるいは、豊かな生活の証。


 そういう美しい光に心を慰められていると、頭を抱えていたモルガン公爵が、ふいに顔を上げてアゼリアを見る気配。アゼリアは仕方なく姿勢を正して父公爵と向き合った。


「アゼリアよ、本当に心当たりはないのか? お茶会か夜会かなにかでうっかり第一王子に微笑んでしまっただとか、お忍びで街を散策しているときなどに知らず知らずのうちに接触してしまったり、だとか」


 モルガン公爵は、堰を切ったように話しだした。その様子を冷めた目で眺めながら、アゼリアは口元に小さな黒子を湛えた艶めくくちびるをそっと開く。


「そのような事実はありません、と家をでる前から再三申しております。わたくし、そんなに信用がありませんか?」

「いや、そうではない。そうではないよアゼリア。お前を信用していないわけではない。だがな、親の贔屓目を抜きにしても、お前はその、アレだ」


 心に隠していることがあるような素振り。ふらふらと目を泳がせたモルガン公爵は言い淀んだ。その躊躇いすら、今のアゼリアには腹立たしい。


 これは完全に八つ当たりだ。そう自覚していても、家族であり、日頃から愛されている自覚もある父親に甘えてしまって、溢れた不機嫌な態度は止められない。


「なんです、はっきりとおっしゃってください!」


 だからアゼリアは、言葉きつめに問い詰めた。

 だって、仕方がないのだ。

 昨晩からアゼリアは持てる力をすべて使って、頭もフル回転させて、事実確認と状況把握に努めていたのだから。


 それに本来なら今日は、自分の将来に関わる決め事を進めようと思って、公爵家の跡取りとして忙しいアゼリアが、わざわざ空けていた日だったのに。


 そう、今日は今頃、将来の伴侶を選ぶべく、執事に用意させた釣書だとかアゼリアが個人的に集めた婚活リストを元に「ど・れ・に・し・よ・う・か・な〜」とウキウキ気分で自分の婿候補の選定をしているはずだったのだ。


 先月取り寄せたリストには、ピンとくる人物がいなかった。けれど、今月のリストには将来有望な伴侶候補がいたかもしれない。


 もし、いたのなら、アゼリア自ら筆を取って手紙を書いて、まずは顔合わせにどこかの夜会で会う約束を取りつけたりだとか、昼間のサロンかなにかで話す機会を設けたりだとか、そういう段取りを組むはずだったのに。


 それを、台無しにされた。

 だから、アゼリアはこうして不機嫌を隠しもせず馬車内の空気を冷やしている。


「お父様、言いたいことがあるならハッキリとおっしゃって」

「美人なのだ」


 思わず、はぁ? と荒っぽく返しそうになったアゼリアは、けれどもそれだけはどうにかこらえた。

 大袈裟なため息を吐くことや、スカートの中で脚を組み替えるのとは、わけが違う。不機嫌を撒き散らすことも、まあ、馬車内限定だから許される。


 けれど、言葉使いだけは。内側の言葉ならともかく、外側だけは。

 次期公爵位継承者になるために受けた厳しい教育の成果と、貴族令嬢としての矜持が、アゼリアにそうさせた。


 呼吸をひとつ呑んでから、アゼリアは、こんなシリアスな雰囲気の中で親バカに惚気る父親を、冷淡な目で凝視する。

 けれどモルガン公爵は、至って真面目だった。深刻な表情さえ浮かべている。


「アゼリア、お前は美人なのだ」


 念を押すように、あるいは断言するように公爵は再びそう告げた。そうして続けて勢いよく言葉を並べはじめた。

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