第2話 ED男優
下等民たる者にも仕事はある。
特別な知識・スキルなどを持っていればなんとか生き延びて最低限の生活を送ることができるシステムはある。しかし、それは完全に一般国民に隷属した種類のものだ。
例えば若い下等民ならば、御多分に漏れず好色な富裕層たちによる、性的な慰みの対象として生き残る者が多い。だがその下等民たちが老いたり飽きられたりすれば……それも御多分に漏れず、の運びと相成る。
一般国民同士でも性愛に関して乱れた行為は散見されるものの、多くの場合は下等民が人権のようなものを完全に剥奪される形で犠牲になっている。
性産業に従事するのもほとんどが下等民だった。
アダルト動画に出演する者も同様……。
ひとりの下等民がいる。アダルト動画の男優をして糊口をしのいできた。男優という立場は、女優に比べればかなり下賤の身と見なされている。
モリケンと呼ばれるこの男は、人生最大級の悩みに直面したいた。勃起障害――ED――になってしまったことにより……。
なんてこったい、だぜ。男優生活30余年。抱いた女の数はプロダクションの公式発表によれば2万人以上とされているが、もはや俺には分からない。2万人より多いかもしれないし、実は少ないのかもしれない。とにかく、とんだエロティカルパレードだったな。
まあ、それだけの女を抱いてハメて射精すれば衰えるのかもしれないけどよ。年齢も年齢だしな。
EDか。ハメ過ぎてこんなハメに……。クソみたいな駄洒落をかましてる場合じゃねえ。オヤジギャグにしても程度が低いな。まあ俺はオヤジを通り越してジジイの域に片足突っ込んでいるが。
下等民の子として生まれ、ひたすら荒んだ少年時代を思い出すにつけ、だ。俺は恵まれた生活を送ることができたかもしれない。多くのイイ女を抱けた。収入もそれなりにあった。「一般国民」の間でも評判になって、ファンもかなりついた。
富豪のマダムから愛人契約を持ちかけられたこともあったな。50を過ぎたババアじゃねえかと、当時20代だった俺は強烈な嫌悪感を持ってしまった。
のらりくらりと逃げおおせたが、今の我が身のことを思えば一般国民の愛人として養われるのもアリだったかもしれない……。
俺もじきに50歳だ。
遠い昔に抱いた女たちはどうしているだろう。俺だってひとりの男だ。美女を相手に、夢心地の仕事をたくさんしてきたことは甘美な思い出だ。しかしそれ以上に、どうでもいい女……もっと言えば「こんなヤツで抜ける男がいるのか?」っていう手合いにハメなきゃならん仕事がツラかったというケースが圧倒的だ。何だったんだろうな、あいつらは。
いつの間にか消えていった、つまらない取るに足らないAV女優たちよ……きっと彼女たちは悲しいこと、逃げ出したいこと、投げ出したいこと、ひとり泣くことなどの厳しい現実に晒されているのかもしれん。どうか心を強く持って生き抜いてほしい。だが、ほとんどはもうこの世にはいないんだろうな……それが一番惨事。
ともあれ、30代の半ばを過ぎたあたりから自分の調子が変だなとは思った。
下等民には不相応の収入を得たことによる気の緩みがあったんだろう。大酒をかっくらったり、脂っぽい食い物をよく口にした。長年煙草を吸いまくったのも悪かったな。
とにかく、俺のムスコの勢いは年を追うごとに弱くなっていった――。
なんとか自分と周囲をだましだましの形で仕事に励んだが、致命的だったことといえば、40代に入ってすぐのあの現場での出来事だ。
俺はアダルト男優としてトップに君臨している者として、超ベテランの監督から大作の出演を打診された。主演は当代きっての世界的セクシー女優。
この女優が主役を張れば、一本数千億のカネが動くってほどの人気ぶりだった。
俺はこの女優との絡みは、以前に数回あったが正直言って、性行為を極上のエンタメに昇華する能力たるや天才的。まさに百年に一人の逸材だろう。本当にこんな女がいるのか、という衝撃を受けた。
さて、結論を言ってしまえば、俺の人生はこの仕事を境に本格的に凋落することになっちまった。
俺は撮影現場で、どうやってもエレクトしないマッスルスティックを手に、冷や汗・脂汗を浮かべてパニクることになる。スター女優・大監督、その他スタッフから発せられる苛立ちを伴った冷徹な視線をビンビン感じつつ、ビンビンにならないブツをしごきまくっていた……。
もちろんその日の撮影は駄目になった。各方面にとって完全なブチギレ案件。女優は機嫌を損ねて楽屋にこもるし、監督はイラつき何度もわざとらしいため息をつく。
トップクラスとはいえ俺のような男優など、いくら年季を重ねても所詮は刺身のツマのような存在だ。後日、大監督がいる事務所に菓子折を持って謝罪をしたが無駄だった。狭い業界のことだから俺の失態はすぐに皆の知ることとなり、仕事は激減。ギャラの額も激減。慕ってきていた後輩男優たちも俺によそよそしくなり、結果的に避ける有り様に。一気に五階級降格みたいなものだ。もしこういう男優の世界に階級みたいなものがあればの話だが。そして最終的に俺に付いたあだ名が「ED男優」。そのまんまじゃねえかよ。
超絶零細制作会社による、五流女優やポンコツじみた素人相手の仕事を細々とやっていくしかない生活――(それらの仕事は法律的に危険なものもかなりある)。治療薬を飲みつつの無理矢理な、そして誤魔化しながらの撮影。このまま朽ちていくのか、俺は……という、やるせない気分で毎日を送っている……。
だが、今朝は久々に目覚めが良かった。起床時にエレクトしているなんて何年ぶりだ? 近年は節制していたが、その効果が出てきたんだろうか。昨夜まで勃たない自分には何の価値もないとすっかり世を儚んでいたが。まだまだいけるぜ、イケるぜ。数年の間、鳴かず飛ばずで花も実もない状態だったが、鳴いてやる! 飛んでやる! もう一花咲かせてやる! 朝陽が気持ちいい。青い空も気持ちいい。そして今日の現場では、女優はもちろん、自分も最高に気持ちよくなるはずだ!
……。
――モリケンは少なく見積もっても、いつもの三倍は元気な様子で撮影現場に入った。彼の魂は救われたかのようだし、これから返り咲こうという気概・気合いに満ち満ちていた。モリケンの溌剌とした様子を見た現場スタッフは、不可思議な気持ちに。そんな中でも、かつてのトップ男優モリケンのオーラを無意識に感じ取った者はいた。(今日のモリケンはいつもと違うんじゃねえか?)と。
溌剌・リラックス。モリケンはスター男優だった頃の心地に戻ったかのような自分に驚きながらも嬉しかった。今から自分は上手くいく。イク。その精神状態は、ますます性機能の好転に繋がっていった。
撮影が始まった。念のために飲んだ治療薬の効果ではなく、まさに身体の芯から自分の「男」が蘇ったかのような感覚をモリケンは楽しんだ。乗りに乗っているモリケンは、一番星たる男優時代のノリ・勢いを完全に取り戻して、これぞプロフェッショナルといった具合の絡みを魅せる。
女優はもちろん、監督以下スタッフたちも感嘆し、薄汚れたビルの一室あらゆるところから光彩が放たれているかのようだった。祝祭の空間が出来上がったかのようだ。モリケンによる攻めによって女優は生まれて初めてともいえる最高級の昇天に至る。不死鳥のごとく蘇ったモリケンは監督との打ち合わせどおり、いや、そんな打ち合わせなど馬鹿馬鹿しくなるくらいの熱演に入る。正直、企画も女優もさほど大したことはない撮影現場だが、いつの間にか監督もその他スタッフも大興奮。すっかり業界に慣れてすれっからしの彼らでさえ、この絡みを見ていると己のマッスルスティックがエレクトするのを抑えることができないほどだった。
(やった! 俺は復活した!)
モリケンは歓喜に満ち、心を踊り踊らせてプレイを続ける。それでいて手順をこなすのも忘れずに、女優へ顔面シャワーをお見舞いする頃合いが近づいているのもきちんと把握している。すべて完璧だ。完全復活だ。
ドドド、と、部屋の廊下を大勢の人間が走る音が大きく響いた。何だと考える暇もなく出入り口ドアが開く。武装警官だ。むくつけき男たちは黙って銃を構え、手前にいるメイク担当者や助監督の頭を撃ち抜く。血が飛ぶ。次いで監督も何か言おうとした瞬間に頭を撃ち抜かれた。
なのに、交わって恍惚に浸る女優、そしてモリケンはそれに気づかなかった。モリケンは女優に突き刺した肉弾からこの上なく熱く淫らな白い液を噴出せんがため、腰の前後運動を高速化。だが。
ぱん、という乾ききった銃声とともに女優とモリケンの頭蓋を弾丸が襲った。女優を突いていたモリケンは、後ろへ倒れる。即死。
武装した警官たちは、撮影現場にいた全員の死亡を確認するために各々、潰れた頭から血を流している倒れ込んだ者へ近づいた。
「おい。こいつモリケンじゃねえか?」
一人の警察官が同僚に話しかける。
「あ、本当だ。モリケンですね。懐かしいなあ」
痩せても枯れてもモリケンは有名人の面目躍如。
隊員一同は、絶命したモリケンの周りに集まった。隊のリーダー格とおぼしき四十代の男は、ぼそりとつぶやいた。
「こいつも一種の殉職なんだろうな。俺はいつも銃をぶっ放した後にスカッとする。快感だ。このモリケンも女にぶっ放してスカッとした気持ちよさそうな顔をしてやがる。こんないい笑顔の死体も珍しいな」
警官隊は去った。
モリケンのマッスルスティックは死後硬直のせいか、彼の歴史において最も大きく硬く膨らんでいた。最期にふさわしい誠に天晴れな見栄えだった。濃い男の汁がしたり落ちている。 彼は男優として幸福な気持ちのうちに死んだ。生を全うする前に、しっかり性を全うすることができた。
未来の世界に意味はなく ヘルスメイク前健 @health_make
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