第二話 どんな理由があったにしても、許せないし許すしかない相手がいる。

上奏寺桜


 気づけば私の側には保助君がいた。まだ小さい時、親の関係とかそういうのを知らない内に、保助君は私の側で笑ってたんだ。日に焼けた肌に乳歯が抜けたばかりの前歯、わんぱく少年そのままの彼に惹かれて、私と保助君は段々と仲良くなっていったのを覚えている。

 

 会社の催しでバーベキュー大会や運動会に参加した時にも、保助君の家族は一緒になって参加し、そして当たり前の様に私の家族と一緒にご飯を食べたり、一緒に笑ったり。


 最初はとても良い家族だと思った。

 保助君のことも弟みたいに見えて可愛かったし、彼も拒んでなかったし。


「保助くんのこと、好き?」


 お母さんのそんな稚拙な質問に対しても「うん!」と屈託の無い笑顔で言えるくらいに、私には保助君がいるのが当たり前だったんだ。幼稚園でも一緒、休みの日も一緒、どこに行くのも一緒。そこまで一緒だと、一緒にいるのが当たり前だと感じてしまうのもしょうがないこと。


 思春期を迎えて羞恥心も増してきた。


 けど、恥ずかしいけど、一緒に居たい。

 だから私は嘘を付こうと心に決めていた。


 保助君と付き合ってるって嘘。

 この時はまだ言葉にしてなかったけど。


 その気になってたんだ。

 きっと私と保助君は両想いだって。


 けれど、そんな保助君が私と一緒にいるには理由があった。

 親が同じ会社、しかも上司と部下の関係。


 保助君は私と一緒に居たくて居たんじゃない、一緒に居なければいけなかったんだ。

 それに気付いたのは中学生になった時、奇しくも私の思春期の恋心が保助君に傾いた頃。


 けど、信じたくなかった。


「お前が人気者なのは、全部親の力なんだよ!」


 教室でちょっとした言い合いになった時に、クラスメイトから言われた言葉。

 私が住む地域はほとんどが社宅で、私のお父さんはその会社の取締役だ。


 そして保助君の親は会社の課長。

 それだけじゃない、私と一緒に過ごしてきた友達のほぼ全員がお父さんの部下だった。


 部下だから、逆らえない。

 私にも、逆らえない。


 その子はそれが嫌で、それまでの笑顔を脱ぎ捨てて私に文句を言ってきたんだ。

 ずっと我慢してたって、私に媚びへつらうのが嫌になったって。


 何を馬鹿な事をと思って周囲を見ると、皆私を見てなくて、引き攣った笑顔がそこらに。

 その子の言葉が嘘じゃないって、私はその時初めて知ったんだ。


 ……バカだったのかな。


 皆、私の事が好きで笑顔になってたんじゃない。

 私を笑顔にしないと、親が大変な事になるんだ。


 突然心が苦しくなって、痛くなって、その場で号泣した。

 先生が来て、親を呼んで、問題になって。


 そして、その子は中学校から姿を消した。


 住んでた家も私の知らない内に引っ越して、そしてまた別の家族がそこに住まう。

 そしてまた私の家族に笑顔で擦り寄って来るんだ。


 私の中で、そういった人間関係の何もかもが嫌になった。

 全部が嘘で、何もかも仮初で、私に心を開いてくれる人なんて一人もいないと思って。


「桜、大丈夫?」


「保助ぇ……」


 彼の胸の中で泣きながら、保助君だけは違うって、そう信じてたんだ。

 その時、私の中で嘘は真になってしまっていた。


「私は、備前章保助君とお付き合いしています!」


 心の中だけの嘘が、表に出てくる。

 とても卑怯で醜いことだって理解はしてる、けどしょうがないじゃない。


 それまでの全部が嘘で、何もかもが信じられなくなってしまったのだから。

 保助君がとても眩しく見えて、彼以外が人に見えなくて。


 取られたくない、他の子なんかに私の保助君を盗まれたくない。

 子供の頃からずっと一緒だったんだから、保助君だけは違うって信じたかった。


 雨の日に、保助君の家の中に入っていく楓園美結を見たとしても。


 とても強い雨の日だったから、優しい保助君は濡れた楓園にタオルでも貸したんじゃないのかなって、そう思ってた。傘を貸して、それで直ぐに家から出て来るんじゃないのかなって。


 だって、保助君は私の保助君なんだから。

 彼だけは親なんて関係ない、私と純粋に人間関係を築いてきたはず。


 小さな頃から私は保助君のお姉ちゃんで、保助君は私の事を慕ってくれて。

 私の中にあった恋心はまだ小さいけど、きっとこれからどんどん大きくなっていく。 


 それを打ち明ける時には、お互い大人になって、それで私と保助君は幸せになるんだって。


 ……でも、楓園は彼の家から二時間経っても出て来なかった。

 もう夜の九時だよ? 雨だって上がってるし、いつまで楓園を家の中に入れておくの?

 

 春の雨が私の身体を冷たくする頃、楓園は保助君の家から出てきた。

 制服で入ったはずなのに、私服で。


「今日はありがとう」


「ううん、いいよ。私で良かったらいつでも頼ってね」


 突き詰めれば良かった、なんで楓園なんかと一緒にいるのか。私が保助君と付き合ってるのは学校中の誰もが知っているはずなのに、なんで彼の側に楓園がいるの? 二人の関係は? 私がいるのに浮気しているの? 楓園にだって彼氏がいるんじゃないの?


 でも、出来なかった。

 保助君だけは信じたかったから。


 そもそも、告白だってちゃんとしていない。

 彼を束縛しているのは、私のわがままだって、分かってるから。


 それでも、保助君の口からだけは「親の力」を聞きたくない。

 壊れちゃうから、私の築き上げてきたものの全てが壊れちゃうから。


「……桜、髪、崩れてるよ」


 僅かな私の変化も見逃さない保助君は、やっぱり変わらない昔のままの保助君だ。

 優しい手つきで私の髪を梳く彼を、失いたくない。


 保助君が楓園なんかを家に入れているのは、きっと私がついた嘘が原因なんだと思う。

 付き合ってもいないのに、付き合ってると嘘をついているから。


 そして、それを周囲の人に認めさせているから。

 保助君は嘘が上手い男の子だ。彼が付いた嘘は、誰にもバレない。


「保助、土曜日なんて言って断るつもり?」


「適当にって桜が言ってたから、旅行でもいいかなって」


「ふぅん……じゃあさ、その嘘、本当にしちゃおうか?」


「本当? 本当って……何?」


「旅行よ、旅行。嘘を本当にするには、最適だと思わない?」


 嘘じゃなくすればいい、そうすればきっと保助君は楓園の事なんか忘れてくれる。

 そもそも、私に何も言わないんだから、楓園のことはその程度なんでしょ?


 土曜日に一緒にフラペチーノを飲む? どの口が言っているの? もしそこに私が保助君と行って、そこで保助君とキスでもしたら貴女はどんな顔をするの? もしそこに行って、私が保助君と貴女の関係を暴露したら、護って男はなんて言うの? 全部壊れちゃうんじゃないの?


「冗談でしょ?」


 失いたくないのは保助君だけ。

 あの女なんてどうでもいい。


「うん、冗談。ほら、復習の続き、しよ?」


 でも、もしあの女に保助君が取られる様な事があれば――。

 

――

次話「彼女を苦しめたのは俺だ、だから、許すしかないと分かってる」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る