グッド・ミッド・ナイト

今福シノ

ある日の真夜中、僕はひとり外に出る

 やあ、こんな時間にどこへ行くんだい。

 暗闇からのぞく瞳が問いかける。真っ黒い猫が、こちらを見ている。

 月夜の散歩さ、と僕は答える。

 こんな夜は、あてもなく歩いてみたくなるものさ。

 ふうん、そんなものかね。と黒猫。だけど、たしかにきれいな月だね、とも。


 僕の足はアスファルトをたたき、かわいた音を響かせる。たっぷり水分を含んだ風に乗って。並んだ家はどれも真っ暗で、足音のソロコンサートに黙って耳を傾けている。

 ほんと、人間はよくもまあ規則正しく夜に眠るものだね。

 それが人間として生きることだからね。人間は気ままに生きていくのは難しいんだよ。君らのようにはね。僕は投げかけられた疑問に、ひとつの仮説を返す。

 じゃあ、こうして真夜中に出歩いている君はどうなんだい?

 そうだね……ひょっとすると、今だけは君と僕は同じなのかもしれないね。

 もしくは、時々こうして人間らしさから距離を置かないと、息苦しくなってしまうのかもしれない。


 やがて家の代わりに田畑が姿を現す。聞こえてくるのは、虫の音だ。

 僕と違って、彼らはオーケストラだった。指揮者なんていないのに、その演奏は洗練されている。

 彼らは、声高々に主張をしているようにも聞こえた。今この時は、我々にこの星の主権が取り戻されたのだ、と。

 うるさくてかなわないね、ほんと。

 そう言ってやるなよ。朝が来るまでは好きにさせてやろうじゃないか。

 この瞬間、主役の座は彼らにある。脇役たる僕らは、闇に紛れてひっそりとしているのがお似合いだ。

 ぼくは好き好んでこの毛色をしているわけじゃないんだぞ。人間からはやれ不吉だ、不幸の象徴だなんていわれのない批判を受けるし、困ったものだよ。

 黒猫の不満に、僕は思わず笑みをこぼす。


 国道へと合流すると、ひとつの光が僕らを出迎える。闇の中にひっそりとたたずむコンビニ。ここだけは夜になるまいと、誰にも譲らぬ人間の領土であろうとしているかのようだ。

 僕は街灯に吸い寄せられる虫のようにふらふらとコンビニに入って、それからアイスクリームを買って出てきた。どこのコンビニにも置いてある、二本セットのチューブアイス。

 君も半分食べるかい?

 よしてくれよ。そんなの、ぼくには甘ったるくてしょうがない。黒猫が嫌みったらしく言うので、二本とも僕が食べることにする。チョコレート味のシャーベットがのどを駆け抜ける。たしかに全部食べるとなると、少し甘すぎる。やっぱり一本ずつ分け合うのがちょうどいいのだろう。


 夜はいいものだけど、いつか明けてしまうのが唯一の難点だね。

 それもまた、夜のよさじゃないかな。

 違いない。君の言うことに得心しようとはね。

 光から離れ、黒が濃くなっていく中、僕らは笑う。夜は有限。だけど、この時間は永遠にも一瞬にも思えた。


 僕は先へと続く道を見て、それから来た道へ振り返る。

 帰るのかい。

 うん、そうだね。

 君なら、どこまででも行けそうな気もするけど、いいのかい?

 黒猫は問うてくる。それは、とても甘美な誘いだと思った。アイスクリームとは比べものにならないくらい。

 だけど、帰らなくちゃ。僕もそろそろ人間らしいところに、戻らないと。

 そこではきっと、誰かが待っている。アイスクリームの片方を受け取ってくれる人がいる。

 じゃあ、また。

 うん、また。

 黒猫にそうあいさつして、僕は来た道へ歩きはじめる。虫たちの合奏が漂ってきて、少しずつ大きくなる。

 ふと、後ろを振り返ってみる。どんな絵の具よりも墨よりも黒い、暗闇。

 もちろん、そこには誰もいるはずもない。

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