常闇の季節
泰山
常闇の季節
僕が目を覚ますとそこは今までとは違う病室の中だった。
先ほどまで老いた体が悩まされていた痛みなどはまったくない。
「……?」
僕は何が起きたのか理解できず、自分の右腕を見る。
傷ひとつないすべすべの肌。
そしてとても小っちゃい……。
瞬間、僕は全てを察した。
(あぁ……僕は死んだんだな)
きっと、そうして生まれ変わったんだ。
新しい命に。
さて、今度はどんな人生を送ろう、何を目指そう。
幸い僕には前世の経験がある。
どんなことでも出来るはず、有利に立ち回れるはずだ。
やがて、僕は両親と共に家に向かった。
父母はどちらも優しく、穏やかな雰囲気の人達だった。
二人とも笑顔で迎えてくれた。
夫婦仲もとても良く、幸せな家庭といえるだろう。
そして。
それからの僕はベビーベッドの中で一日の大半を眠りに就いて過ごすことになった。
大丈夫、この家なら何も心配はいらない。
いや、ただひとつ。
"僕"の前世の記憶がいつか突然消える可能性があることだけは……。
少し怖かったけれど。
▽▽▽▽▽▽▽
それから数か月後。
(数か月……でいいんだよな? たぶん)
その頃には僕はもう、以前のように一日中眠るということがなくなっていた。
そして――僕はもうすっかり飽き飽きしていた。
何に?
決まってる。
この世の全ての事柄についてだ!
産まれてきた頃には何よりも心強いと思っていたこと。
前世の記憶があることが。
今ではとても辛いこと、地獄のようなことに思えてきた。
たとえばこの新しい体。
これはまだ自分のものにはなりきれていない。
自分の意志で全てが動かせるわけじゃないし、左腕とか勝手に動いてしまうことさえある。
そしてそれ以上に辛かったことがもう一つ。
前世に比べて時間の流れ方がとても、とてもゆっくりしたものに感じるのだ。
いや、確かに加齢に比して時の流れが速くなっていくことは僕も知っていた。
たとえば、四十路の頃の一年は二十歳の頃の半年程度の長さしかないとか。
(ジャネーの法則だったかな?)
その計算式に当てはめたら今の体感時間は生前の……。
(冗談じゃない! 僕は七十まで生きたんだぞ!)
そう叫ぼうとしてあげた声は言葉にはならなかった。
ただ、ただ、泣き声として優しい母親を困らせるだけだった。
だからといって我慢したくても我慢できるような、そんな悩みではない。
スマホで心を慰めようとしてもそんなものはない。
仮に父親が天才的な気遣いを発揮して渡してくれたとしてもそもそも指だってロクに動かせないのだろう。
特に辛かったのが夜。
日が暮れてしばらくして眠気と共に眠りについて。
たっぷりと寝て……そして満足感とともに目が覚める。
目が覚めてもまだ世界は真っ暗、真夜中なのだ。
最初のころはただ、たまたま早く目が覚めただけなのだと思っていた。
でもそれは違うとすぐ分かった。
母親にあやしてもらって何度眠りについても、闇は明けない。
明ける気配などまったくない。
やっと夜が明ける頃には僕はもう四回ぐらいは寝直していたような気がする。
――あと何度、こんな夜を迎えればいいのだろう?
大人たちは一日というのは朝と昼と夜を一個づつ詰め込んでパックしたものだと思い込んでいる。
そうだ、"僕"だって以前はそうだと思っていた。
でも今は違う。
夜が来て眠りに就いて、たっぷり夢を見て目が覚めて。
……それでもやっぱり続いている闇に絶望する。
そうだ、"一日"などではない。
僕にとっては朝も昼も夜も"季節"なのだ。
夜はさしずめ"常闇の季節"といったところだろうか。
もちろんその季節の間は面白いことなんか何もない。
朝や昼は優しかった母も絵本を読み聞かせたりはしてくれない。
『夜は寝るもの』という習慣を植え付けるのが大事だから、と言って。
だからまた寝るしかない。
眠くなんかこれっぽちもないけれど……。
次に目覚めた時が"光の季節"になっていることを祈って眠るしかない。
そんな苦痛に満ちた闇の時間を幾度となく繰り返し、やっと夜明けがやってくる。
朝になれば母親はとても甲斐甲斐しく世話をしてくれる。
絵本を見せてくれるし、ガラガラで遊んでくれる。
僕たちを元気づけようと父親が披露する珍妙なダンスも刺激のない生活の中ではひとつの楽しみだ。
でも、それもあくまで次の"常闇の季節"が来るまでのスキマでしかない。
退屈に満ちた悪夢のような時間がまた戻ってくること、それがとにかく怖い。
僕はただ、ただ泣き続けた。
早くこの拷問が終わりますように。
自由に体が動きますように!
一日に一度だけ寝れば十分の大人の体になりますように!
もしそれがすぐには叶わないというのならば……。
せめて早く前世の感覚を忘れられますように。
朝が4回、昼が4回、そして夜が4回の"一日"を迎えても……。
違和感を感じない思考に馴染めますように。
▽▽▽▽▽▽▽
そして三年後、幾千もの闇を超えて赤ん坊はかわいらしい幼女に育った。
「おとーたん、おかーたん、おはよう」
「ああおはよう、優香」
ある程度自由に動く身体を得た。
自分の意志を伝える言葉を得た。
日に一度……とは言わないまでも一度昼寝をすれば充分な体力を得ていた。
そして、その頃には……。
大人達の感覚ならば数十年にも及ぶ膨大な虚無の時間を過ごした果てには……。
多くの子供たちと同じように――。
彼女は前世のことなどすっかり忘れていた。
常闇の季節 泰山 @Tyzan
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