グッドフライデー(KAC2022:⑩真夜中)

風鈴

真夜中の闇

 オレは、M銀行のディーリング部門に入って4年目の、まだまだヒヨッコなのだが、その実績から北米のNY株式市場担当者のサブリーダーとなっていた。


 オレは、アメリカで学位を取り、アメリカのMS証券で働いていたのだが、当時の副頭取から直々に引き抜かれた。

 今は、その副頭取が頭取になっている。


 オレは、入行した最初の年から北米ディーリング部門一位を取り続けており、既にエースと呼ばれるほどになっていた。

 アメリカでの情報網とアメリカ仕込みのディールの方法で、確実に利益を出していたからだ。


 NYマーケットは、サマータイム(3月くらい~11月初めくらい)では、午後10時半~翌日午前5時だ。しかし、その前後にもマーケットがあり、午後7時~翌午前7時が、当行の北米部門の下っ端の勤務時間だ。

 昔よりかなりになってきているらしいが、オレにはそんな事は別にどうでも良かった、つい、この前までは。


 オレは、結婚をした。


 グッドフライデー。

 イースター前の金曜日のことで、キリストが十字架にかけられた日であり、その日はNYマーケットが休場になるのだ。

 そのグッドフライデーに合わせて式を挙げた。

 新婚旅行は、年末年始に海外へ行く事にして、とりあえず式が終わると、箱根と芦屋湖畔のホテルでゆっくりと過ごす2泊3日の旅行に出かけた。

 当地ではカップルたちも多く、オレがそんな者達と同じ様に、手を繋いで歩いたりするなんて、少し前までは考えられなかった。


 というのは、元々、彼女はオレの教育係で先輩だったが、そんなに長く付き合わずに電撃的に結婚を決めたからだ。


 彼女は年齢的には同じ年なのだが、年齢の割にオレの入行が遅かったため、癪に障るが、入行当初、彼女からアドバイスをもらっていた。


 まだ、来日して間もない頃、オレはいろいろと悩みを抱えていた。

 慣れない日本の商習慣や上司との関係、同じ職場での人間関係等、なぜこんなに非効率で意味の無い手続きが多いのか、なぜ仕事よりも人間関係の構築に多大な努力を払わないといけないのか、ずっと一匹オオカミでやってきて、アメリカの実力至上主義の職場に慣れていたオレには、途端に不満が渦巻いた。


 引き抜かれたからには、もちろん、それなりの成績を残す必要がある。

 良い成績さえ上げれば、誰もが認めてくれるだろうと、当初はそう考えていたが、そんなに甘くはなかった。


 そういう精神面でのストレスが、自分のディールに影響を与え、最初の頃は続けて損失を出したのだった。


 上司からの絶え間ない小言にイラつき、涙した日も、そのような頃だった。


 そうしたオレをいつも励まして、元気づけてくれたのが彼女だった。

 彼女からは、実務面での一通りのレクチャーを受けただけでなく、日常の生活面でもアドバイスを貰い、そして、時々、ご飯や飲みに連れて行ってくれて、愚痴を聞いてくれたのだった。


 オレは、彼女のことを、最初は、仕事だから仕方なくオレのことを気に掛けてくれるのだろうとしか思っておらず、同年齢のクセに生意気にアドバイスする彼女を疎ましく思っていた。


 でも、やがて、オレは調子を取り戻した。

 彼女とは単なる友達というだけで、食事でも飲むときでも、大抵は、他の同期の者や同じ職場の連中も一緒だった。

 なので、二人でどうこうするという関係にはならなかった。


 翌年には、彼女はディーリング部門から離れ、オレと顔を合わせる機会も無くなり、2年が経過した。


 そんなある土曜日のオフの日に、いつものバーに飲みに行くと、彼女が居て、すでに出来上がっていた。

 オレより酒に強い彼女が酔態を晒すのを見たのは初めてだったので、オレは驚いたが、訳は訊かずに、彼女に付き合った。

 そして、彼女はオレと一夜を過ごした。


 彼女は、お姉さんカゼを吹かせながら、オレをリードしてくれた。

 彼女は、綺麗な子の多い銀行の中でも、群を抜いて美人で人当たりの良いので、人気が高いのは良く知っていた。


 オレは、彼女となら将来、上手くやっていけると思った。

 オレは、この時、彼女のことを、実は最初会った時から好きだったのかもしれないとも、思った。

 彼女は、その年度で退社を希望していたので、思い切って、翌朝、オレは彼女にプロポーズをした。


 そして、彼女は了承すると、キスをしてくれて、再び、身体を重ねた。


 それからは、彼女とのひと時が最も大切な時間となり、夜勤ばかりの北米部門でなく、通常勤務でのディーリングをより強く望んだ。


 前々から、オレのやり方は日本でも通用すると思っているので、日本株をやらして欲しいと上層部には毎年願いを出していたのもあった。


 そして、頭取のコネで、結婚後の翌年度から配置転換が叶う予定になっていた。


 その結婚した年の暮れは、昨年よりも寒く、厳しい冬となり、東京でも雪の降る日もあった。

 オレ達は、暮れのアメリカ旅行から帰ってきたら、雪に見舞われ驚いたが、寒さで頬を赤くする彼女の横顔を見ると、幸せだという気持ちが込み上げて、寒いのも良いなと思ったものだった。


 年が改まり、株価は史上最高値を更新し続けており、投資家たちもディーラー達も強気の姿勢で臨んでいた。


 それが、1月中頃から急落。

 市場は慌ただしくなっていった。


 インフレ懸念のFRBの利上げ観測、大型ヘッジファンドの売り圧力、原油高によるインフレ懸念、新型コロナの新株の蔓延や製薬会社の新薬の効果、企業業績の楽観論の後退、などの要因により乱高下が繰り返され、まだ、2月上旬ではウクライナについては軽視されていた。



 金の値上がりは、早くから始まり、既に資金がシフトしつつあることが感じられていたため、非常にセンシティブな状態が続いていた。


 オレは、2月第2週に、テクニカル的なサインが現れたのを機に手持ちをショート(空売りの状態を言う)に変更し、売りのスタンスに完全に切り替えた。

 そして、手応えを探りながら、売っていった。


 オレは班員にも指示を出し、北米班は、夜通しのディールや会議、その他の対応に追われながら、家に帰る時間も惜しむ仕事が続いた。


 そうして、2月半ば過ぎには6日連続の下落を記録した。

 それは、ロシアが軍事侵攻を開始したというナゾの情報が引き金となったものだった。

 6日連続の下げの後、ロシアが軍事侵攻をしたという報道が正式になされた。


 勿論、この時をオレ達は狙っていた。

 既に、各班員と、過去の戦争布告時の株価の変動を調べ尽くし、議論を重ねていたので、我が班では対応は決まっていた。


 ショートからロング(信用買いの状態を言う)にポジションを変えるべく、寄りつき(その日の取引の始値はじめね)から大量に買い注文を出す。


 戦争が始まると、そこまでの経過にもよるが、株が一時的に上がるのだ。

 そこを狙った。

 今回は、既に連続で大幅に下げていたので、何かがあれば上がるのは目に見えていた。典型的な上昇パターンだった。


 一日で、大幅な最安値から一気に株価は上昇した。

 その日、更に買い増しをし、長い一日は幕を閉じた。


 いつも思うのだが、この戦争を予期していたように、NY株式は1月半ばに六日連続の大幅な下げがあり、その下落分を回復できないで上下していたが、その時には資金が金などの商品や国債にシフトされていた。


 大きな出来事がある前に、株式や国債の変動が早めに起こる。

 これは、いったい、何を意味するのだろう?


 まあ、一介のディーラーがそれを知った所で、何にもならないのだが、世界の闇にうごめく何かを、真夜中にディールしながら、感じる時がある。


 オレ達は、それを逆手に取って、稼ぐだけなのだが、時には、その闇が牙をむき、オレ達を苦しませることもある。

 真夜中の攻防は、どちらが騙し、騙されるかだ!


 まだまだ、利益を更に出すには、安値で買ったモノを売り、利益を確定させないといけない。

 この売りについては、小分けに慎重に売っていく。

 これが、なかなかに難しく、欲との戦いとなる。


 この売り方の巧拙で、利益幅が大きく変わるのだから。


 でも、4月には、ヤマを越え、オレは、結婚記念日でもある今年のグッドフライデーを迎えるために、記念の指輪を買った。


 その前日の夕方、オレは指輪をゲットし、ディール前の会議を行い、夜の11時過ぎまでには急ぎの案件を済ませると、その日の事を班員に託し帰宅した。


 扉を開けようとしたら、カギがかかっていない。

 不用心だなと思いながら、入口にある脱ぎ捨てられたサンダルを見た。

 誰だ、こんな時間に?

 もう、夜の12時近くにもなっているというのに。


 ――――おかしい、サンダルだぜ?女性じゃない?


 3LDKの奥の部屋は、上り口からそのまま進むと左手がリビングと台所。右手が夫婦の寝室になっている。

 テーブルには、ビールの空き缶が数個、半分以上無くなったワインとグラスが二つ。

 それと、何かのツマミがあった。


 寝室の方を見ると、扉が少し開いており、柔らかい電球色の灯りが漏れていた。

 静かに近づき、その隙間から中を覗こうとした時に、声が漏れ聞こえて来た。


「あっ、あっ、あっ、あっ・・いい・・いい・・そこ・・あっ・・」

「はあ、はあ、いいか?いいか?・・くくく、あんな旦那よりオレの方が良いだろう?はあ、はあ、はあ・・」

「あっ、あっ、ああ・・ああ・・いく・・いくっ・・」

「オラ、いけよ!はあ、はあ、イケッ!!はあ、はあ・・」


 アレは、元上司の、クソ野郎じゃねーか!こんなこと・・クソが!!


 オレは、これ以上、彼女の痴態を見れずに、そっと、そこを離れた。


 静かに、静かに、そこを離れた。


 オレは、駅近くにあるカプセルホテルで一夜を過ごした。


 そこで、ずっと、考えた。


 何で?

 いつから?

 オレ、騙されてたのか?


 これから、どうする?


 グッドフライデー(受苦日、受難日)ってか?!

 

 その日からオレの受難の日々が始まった。


 真夜中には闇が広がる。

 そのため、人恋しくもなるだろう。

 でも、こんなのは許せない。


 オレは、この裏切りを許さないからな!



 了

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