物語の舞台 【KAC2022】

水乃流

真夜中


“物語は夜紡がれる”


 物語を進める上で、真夜中のシーンは欠かせない。特に、サスペンスやホラーなどでは、真夜中が印象的な舞台となる。日常を描いたような作品であっても、たとえば「合宿中の怪談話」とか「真夏の肝試し」というような、“日常の中の非日常”を描く舞台として真夜中は適している。


 なぜ、真夜中なのか。

 人間というものは、本能的に暗闇を怖れるが、それは光届かぬ闇がありとあらゆるものを隠してしまうから。物質的なことに限ったことではなく、人目を憚るような犯罪や陰謀が進められるとしたら、夜、皆が寝静まった頃密かに行われるからこそ、陰謀がおどろおとどしく、妖しげに見えてくる。これが昼間、大都会の真ん中で行われるとすれば、怖さは半減してしまう。もちろん、それを逆手にとって昼間のにぎわうカフェで進められる陰謀、というシチュエーションも面白くはあるが、やはり陰謀の定番は夜、それも真夜中だろう。

 夜の闇によって、人には見えない場所ができる。そこで何が行われるのか。想像力をかき立てられる。真夜中を舞台にしたドラマは枚挙に暇はないが、個人的には、ウルトラセブン第47話『あなたはだぁれ?』を代表例として挙げたい。


あるサラリーマンが飲みすぎて夜遅くに自宅の団地に戻ったが、家族は自分を知らないと言い、顔なじみの警察官まで自分を不審者扱いして……というストーリー。

放送当時の60年代後半は、日本のあちこちに団地が建てられ、急速に核家族化が進んでいた時代だ。そうした時代背景もあって、誰にも自分という存在を認知されないという現象が、“ありえるかもしれない”からこその恐怖。それが、誰にも知られずに行われているという、真夜中という舞台を有効に使っている。

 

 真夜中は、恐怖の対象であると同時に、高揚感もあたえる存在だ。子供の頃は、夜と言えば寝て過ごすもの、夜遅くまで起きていられるのは、大晦日くらいのものだ。それが、中学生くらいになると、勉強を名目に(その実、ラジオを聞くためだったり)夜更かし、あるいは徹夜をするようになる。人が寝静まった夜中、本当は寝ていなければならないのにひとり起きていることに対する罪悪感。それがある種の高揚感にもなる。日常の中の非日常だからだ。



 そしてなにより、“光は闇の中でこそ光輝く”のだ。闇に蠢く悪と、光輝く正義の対比も真夜中ならではのシチュエーションといえるだろう。

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