第2話 そして時は流れ
街中を乱暴に駆ける者がいる。
通行人を押しのけ、脇目も振らずに走る。
路地に入り、大通りに出て、時には建物を突っ切り、とにかく走る。
軒先に置かれている物を倒されて商人が声をあげる、ぶつかりそうになった人が横にさけながら後ろを振り返る。
「はぁ……はぁ……はぁ……っ! クソ! クソが!」
悪態を付きながらも足は止まらない。
男はわかっていたのだ、足を止めた時が最後なのだと。
いや、止めなかったとしても最後が近づいてきていることを、その時間を引き延ばそうと足掻いているだけだと。
「うん、ここまでだ」
そうして追い詰められ振り返った先にはまだ少年と言って良い影が佇んでいた。
「よく逃げたけどここまでだよ、尾けてることに気づいたのは驚いたけど」
少年は日常会話をするように話しかけていた、だが目は全く笑っていない。
その態度が、気配が何よりも雄弁に語っていたのだ「逃しはしない」と。
「そして俺には敵わないこともわかっている、ある程度場馴れしている証拠だ」
その通りだと男は歯噛みする。
追いつかれてはいけないと考えたからこそ日中の街中を全力疾走したのだ。
振り切れなければ終わりだとわかっていたからこそ。
「はぁ……はぁ……てめぇ!随分余裕じゃねぇかぁ! あぁん!」
せめてもの虚勢。
戦うしかない。
捕まれないのだから戦うしかないのはわかっている、そのための勢いをつけたいだけだ。
「一応、確認しようか? 街から依頼が出てたよ、3日前の夜にブルラーノ商会を襲ったね」
敵対する勢力への嫌がらせの依頼だった、いつもなら受けないような大きな商会を標的にした依頼。
だが、金払いが良かった、そして権力への繋ができると考えてしまった。
大きな商店が相手だから警備もいる。
だからこそ声をかけてきたのだろう、そう考えて受けてしまった。
「大怪我を負っている人がいる、後ろに貴族がいるからと調子に乗ったな。後ろ盾になるはずだった貴族は失脚だ、つまりあんたの罪を隠蔽してくれるはずの者は居なくなった」
少年の言うことは事実だった。
本来は手が及ばないように調整をするはずの後ろ盾がいなくなった。
今思えば敵対勢力への最後の嫌がらせだったのかもしれない、失脚までの時間が短すぎる。
だからこそ、この街から逃げ出さなければいけないと動き出した途端の出来事だった。
普段とは違う気配。
何かが違う、そしてその違和感は間違いではなかった。
「さて、どうする? おとなしく捕まってくれたほうが個人的には嬉しいん……まぁ、そうなるよね」
少年が話してる途中で距離を詰める。
男は荒事には慣れていた。
そこらの衛兵相手ならば数人がかりでも負けはしない。
だが、今回は相手が悪い。
そんな事は男が一番わかっていた。
体に魔力を通し最短の一撃で少年の命を奪う、それしかないのだと。
そう考えた矢先に男の意識は途切れたのだった。
◇
「これで受け渡しは終了ですね、いつもありがとうございます」
受付のお姉さんが丁寧に頭を下げてくれる。
ここはイテネの街。
中央と呼ばれる王都からは遠く離れた片田舎にある開拓中の街、その中心部にある事務所だ。
魔物の領域にほど近いここでは色々な依頼がある。
獰猛な魔物の処理、ならず者が起こすトラブル、一般人にはできないその他諸々。
それらは基本的に街に所属している魔術を使える人間、”術士”と一般的には呼ばれる者が対応していた。
だが、登録されている術士だけでは対処できない場合、それらは依頼となってフリーランスの者へと公開される。
「悪ぃねぇライド、流石に賞金首になるような危険人物に即対応できる人間は数少なくて」
カウンターの中から気のいい笑顔を浮かべる男性が親しげに声をかける。
この街は魔物の討伐依頼などは多くあるが人同士の諍いはそこまで多くない。
街が直々に首に賞金をかけるような犯罪者はそうそう出ることはないのだから仕方のない事だ。
「気にしないで下さい、いつもお世話になってますし。当分お手伝いできなくなりますから」
ライドと呼ばれた少年は軽く答える。
彼は捕縛した賞金首を受け渡し、報酬をもらいにきているところであった。
「それそれ、俺もさっき聞いたんだけど本当なのかい? 王都の術騎士学園のほうに行くとかって」
「そうなんですよ~所長、ライド君ならどう考えても学園なんかで修行する必要ないと思うんですけど」
そう言われライドは少し恐縮した態度で「本当です」と答える。
「実際、今回捕まえてくれた術士だって普通の衛兵じゃ対処するのは難しい強さだよ」
「ほんとですよね~ライド君で修行が必要だったら、ここの人員の大半が見習いに逆戻りよ」
2人は残念そうな態度を隠さない。
それもそのはず、15歳という年齢ながら危険度の高い依頼を確実に処理してくれる。
それほどの実力者なのに可愛げのあるライドはこの事務所では人気者なのだ。
「俺には学園っていうのがあんまりわかってないんですけど、師匠命令なんで……」
自分でも納得していない部分はあるのか、肩を落としながらライドは語る。
「あのお師匠さんの言う事じゃ仕方ないかぁ」
「私の予想じゃフィエさんの思惑が強いと思うな! お師匠さんは術騎士の事とか興味なさそう!」
2人にお礼を言って事務所を出る。
よく利用させてもらっていた店に顔を出して挨拶をしながら街中を歩く。
姉が死にゆく姿を必死に何とかしようとしていた絶望の時間。
そこに現れた妙な青年。
師匠と出会って8年が経った。
街に出るようになったのは3年前くらいだろうか。
自分の人生の約半分はこの街と一緒だったのだ。
帰路につきながらライドはこの街を出る切欠になった日の事を思い出していた。
◇
それは一月程前。
気だるげな師匠、物静かで優しい姉のフィエ、活発な妹のルテ。
家族4人で食卓を囲んでいる時だった。
「この家を出て王都の術騎士学園に行け? なんで?」
「正直な、もうお前らに教えれることは教えたんだ。フィエとルテも含めてな」
「俺、未だに師匠に全然敵わないんだけど……」
それは当たり前だと、師匠は続ける。
「俺との差はともかく、お前がこれ以上強くなるのに必要な事は経験と練度と発想だ」
だから環境を変える必要があると。
「ライド、寂しいけどあなたは大人になったらこの家を出る事になるでしょ。そうなった時に色々な場所を見ているっていうのは何かと有利になると、姉さんは思うの」
いつもは俺に優しいフィエ姉さんが静かに諭してくる。
「それを言ったら姉さんのほうが俺より大人だろ、どうすんのさ?」
「姉さんはこの家でお師匠さんのお世話をするから良いの」
ようはお嫁さんになると言っているのだ。
胸を張ってそう断言する顔は幸せそうだ、この姉は師匠に助けられたあの日からこうすると決めていたのだろうと思う。
おかげで師匠は完全に姉さんに餌付けされてしまった、幸せそうだから良いんだろうけど。
「観念して学園行こう、私も後を追うからさ~」
そう言いながら妹のルテが楽しそうに続く。
「お前は単純に王都に行きたいだけだろ」
「この家は大好きだけど、環境を変えるのは大切って師匠も言ってるっしょ」
妹は好奇心旺盛だ、未知の環境に挑むのは本望だろうし、なによりも……
「王都に行けば強い人も大勢いるだろうしさ!」
バトル脳なのだ、強くなりたいという欲求が俺よりも遥かに強い。
「色々言いたいことがあるだろうがこれは決定事項だ、諸々の手続きも終わらせている。それに術騎士学園では俺が教えれなかった事が学べるし、与えられなかった物が得られる」
「師匠が教えれなかったこと?」
あの運命の日、目の前に現れた男は死にかけているライド達3人の命を助けてくれた。
弟子にすると言い、自分を師匠と呼ぶようにと言った変人はライド達にあらゆる物を与えてくれた。
弟子の育成に必要な物を揃えるのは師匠の仕事だと言い、衣食住を揃えてくれた。
師匠だ弟子だと言いながらも、ほとんど家族として扱ってくれたように思う。
時には優しく、時には厳しく、あらゆる事を三人へと教授していった。
魔物の生態を、魔力に関する知識を、そして戦う術や心得をライド達は学んでいった。
その師匠が教えることができなかったもの。
与えることができなかったもの。
それは一体何なのか……
「常識と社会的信用だ」
その言葉にライドは一瞬考え込むが、たしかにそれは師匠からは学べず師匠からは与えられない物だと納得してしまった。
「あ~……それ言われるとなにも言えない。常識もないし、資格とかも持ってないから信用も無いもんね師匠」
「うるせー、俺くらいになれば必要がないんだよ」
開き直る師匠を半目で睨むが師匠の言うことは恐らく正しい。
師匠は常識がないが圧倒的な力があった。
そしてその力で街からの信用を勝ち取った。
なんの肩書も無い、素性もしれない術士の一家が街に好意的に受け入れられているのは街を襲った幾度もの危機を師匠が力で捻じ伏せたからだ。
「だけど、お前は違う」
師匠は不貞腐れていた顔を引き締めてライドを見る。
「言ってしまうが、お前が俺のようになることは恐らくできない。これはお前が弱いからではなく俺が特別だからだ」
ある程度の力を行使できるようになった時に説明されていたことだった。
潜った修羅場の数、その力を使いこなすための地道な訓練そういった努力が前提ではある。
だが、そもそもの話をすると師匠は”博士”という人によって改造されているから強いのだと、ズルをしていると言っても良いと。
それは俺達3人の兄妹も同様なのだと。
あの日、汚染されていく体を救うために師匠自身と同じ処置を3人に行ったと言っていた。
その方法はもう使えない、だからズルはもう出来ない。
”博士”が施してくれたのに比べ拙い処置だそうだ、だから師匠の域に達する事はできない。
だが、と師匠は珍しく神妙な顔をして言葉を続ける。
「それはこれ以上強くなれないという事じゃない。お前達は経験を積めばまだまだ強くなれる。そして俺が教えることができる事はもうここにはない」
静かな食卓に師匠の声が響く。
「本音を言えば俺も寂しい、だが外の世界を見ることは悪いことではないはずだ」
こんな神妙な雰囲気の食卓はいつ以来だろうか、穏やかないつもの食卓が恋しくなる。
「嫌になったらいつでも帰ってきて良いのよ。でもねライド。他の世界を見る前から瞳を閉じてしまうのは、きっと勿体ないわ」
生き方が決まっていないなら尚更ね、と姉さんが微笑む
「遊びに行くからさ! 王都の美味しいお店とか調べておいてよね! あと強い人と!」
ルテが戯けながら俺の肩を叩く、そうしてライドの王都行きは決定したのだった。
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