真夜中に君と墓地で

澁澤 初飴

真夜中に君と墓地で


 春の終わり頃から、噂がたった。


 曰く、真夜中に桂丸名かつらまるなの墓地の側を通ると、女の声で殺してやるだの、殺されただの言う声が聞こえるらしい。悲鳴を聞いたと言う者もある。


 その墓地は住宅地からもほど近く、お寺も大きく現役で、この辺りには檀家だという家も多い。無縁仏がもしあったとしても、放っておかれて恨んで出るような環境では全然ないのだが。

 噂は、冴えないオカルト好きの科学部員の俺、山寺最上やまでら もがみにも聞こえてきた。

 噂は噂、どこかの怖がりが猫の声でも聞き間違えたのだろうと俺は思っていた。

 しかし、同じクラスの秋田あきたがゴールデンウィークが終わっても休んでいる原因がそれらしいと聞いて、俺は俄然張り切った。

 2年にして野球部のレギュラーも目前と言う秋田が、練習盛りのこの時期に部活どころか学校もずっと休んでいるのだ。これは大ごとだ。ついでに言えば隣のクラスの美少女の飛島とびしまさんも同じくずっと休んでいる。これも俺にとっては秘かに大ごとだった。

 このことは俺は噂になっていたことも知らなくて、本当だったと判明してから噂にもなっていたと知ったのだが、秋田と飛島さんは付き合っていた。登下校で飛島さんを見るたび、俺は少し嬉しかったのに。挨拶もできないヘタレではあるけれど。


 ともかくこんな身近にこんな好機、逃す訳にはいかない。始まってもいない恋が破れたやけっぱちも少し俺の背中を押した。


 噂の正体を見てやる。


 しかしひとりで行くのはさすがにちょっと怖いので、悪友を誘った。

 俺と同じ科学部の台原だいのはらは、科学が好きで冴えない俺と違って、部活が面倒だから科学部に入ったいわゆる幽霊部員だ。

 そういう男はだいたい見てくれが悪くなく、人当たりが良くて人気者だったりする。台原もそうだ。しかし台原は何故か俺と気が合った。2年のクラス替えで台原と一緒になってからは、台原のおかげでクラスにも馴染めるようになった。

 だから、1年の時よりは女子とも話せるようになってはいたのだが。


 待ち合わせ場所に、同じクラスの女子2人とへらへら笑いながら現れた台原を見て、俺は仰天した。

「よう最上。無事に家出て来られて良かったな」

「山寺くん、こんばんは」

 声をかけてきたのは、台原がよく話題にあげる川崎かわさきだ。台原は川崎が好きなのだ。

 無言でぺこりと頭を下げたのは秋保あきう、この子は俺と台原で言うと俺の方のタイプだ。川崎と何故仲がいいのかみんな不思議がっている。俺は何となくわかる。

「こんばんは、川崎さんと秋保さんが来るって、俺聞いてなくて」

「サプライズだよ、嬉しいだろ。肝試しはやっぱり女の子が一緒の方が盛り上がるよ」

 確かに嬉しいような気がするが、肝試しではない。フィールドワークだと言ったじゃないか。

「私もあの噂、気になってたの。がんばろうね!」

 意外なことに川崎が張り切っている。オカルトが好きなのだろうか。

「かわこは台原くんと夜の散歩ができるのが嬉しいのよ」

「ちょっとあっきー!」

 川崎が慌てる。ああ、そういうこと。台原はデレデレしている。まあお似合いだと思う。

「台原はいい奴だよ」

 俺が言うと、台原と川崎から叩かれた。女子に叩かれたのは初めてだ。褒めたのに何故だ。

「山寺くんは観察眼が甘いのよ」

 秋保がさらりと厳しいことを言う。おとなしいと思っていた秋保がそんなことを言うとは思わなかった。そのこと自体が秋保の発言の正しさを裏付ける。科学部員が観察眼をけなされてはおしまいだ。

「そんなことないよ」

 俺は少しむきになった。秋保がそう、と素気なく答える。

 自然と台原と川崎、俺と秋保になって桂丸名の墓地へ向かうことになった。


 住宅地の街灯は途絶えず、墓地は暗かったがまわりは思いの外明るい。

「こんなところに幽霊なんか出るか?」

 台原が率直に述べる。墓地の入り口には前まではなかったロープが張ってあり、ロープには関係者以外立ち入り禁止、と看板が下げてあった。俺たちのような者が増えて、お寺も困っているのだろう。

 しかし明日が休日でもない平日のど真ん中に訪れる物好きは俺たちだけのようで、今日は俺たちの他には誰もいなかった。

「私のおばさんの嫁ぎ先のお墓がこのお寺なの」

 だから関係者よ、と川崎がロープをまたいだ。そのクラスメイトの俺たちも続く。


 墓地に入ると、辺りが急に暗くなった気がした。街灯は変わらず明るいのに。川崎が台原の腕にしがみつく。俺は少しどきどきして秋保を見たが、秋保は平然として辺りを見回していた。

 足元には砂利が敷かれ、歩くとザクザク音がする。今日はカエルの声もなく、ずいぶん静かだ。

「誰もいないな」

「噂だと、女の声がするのはいつも真夜中過ぎなんだ。だから、もう少し待てば」

 俺が時計を見ながら言うと、川崎がしっ!と俺を制した。

「何か、聞こえない?」

 俺たちは耳を澄ました。遠くの車の音、誰かが少し動いて砂利が鳴る音。そして無音。


 何も聞こえない、と台原が言いかけたとき、それは確かに聞こえた。

「……」

 女の声か。誰かの、もしかしたら俺の、息を飲む音がする。

「……」

 女の声だ。間違いない。俺たちはその場から動かず、そちらに集中した。

 ぼそぼそとした女の声が、途切れ途切れに続く。

「……あれ……お前……血だらけに……」

 女の言葉に、俺はすくみ上がった。川崎が悲鳴をあげそうになるのを、台原が懸命に止める。

 本当に、女の声だ。

 俺は震える足をそっとそちらに向けた。

「山寺!」

 台原が小声で叫ぶ。


 俺は真実を突き止めに来たんだ。科学で説明し切れないものがあるってことを知りたいんだ。俺は本当のオカルトを見たいんだ。


 俺は足音を忍ばせて、声の方へゆっくり近付いた。

「……しん……ううぅ……!」

 女のうめき声。俺は思わず立ちすくんだ。


 じゃり、と足音がし、俺は飛び上がるほど驚いた。

 秋保だ。秋保はさっきと同じ平然とした顔をして、俺の手をそっと握った。その手はしかし熱く、少し汗ばんでいた。

 俺は秋保を見た。秋保も俺を見た。

 そうだ。真実を突き止める。

 俺は秋保の手を引き、がくがくする足で慎重に歩を進めた。


 女の声がぼそぼそと続く。時折低く、時折鋭く。俺たちはゆっくりとその声に近付いた。

「……あれ?」

 秋保がふと首を傾げる。俺が振り返ると、秋保は少し俺を見たが、ふるふると首を振り、先を促した。

 俺たちは声の方へ進んだ。

「ああ、南無阿弥陀仏……」

 女の念仏。自分のために唱えているのか、それともこれから必要になる者のためか。

 しかしつないだ秋保の手にぐっと力がこもった。

「やっぱり」

 秋保は急につかつかと歩き出した。砂利が鳴る。手をつかまれたまま、俺はつられて歩いた。

「秋保?」

「私は科学では説明し切れないものがあるってことを知りたいの!」

 秋保。

 俺は心を射抜かれた気がした。

 俺は握られた手を強く握った。秋保は俺を振り返り、強く言った。

「だから、そうじゃないことは、そうじゃないってことをはっきりさせる!」

「そうじゃないこと?」


「あれは、落語よ!」


「え」

 俺は秋保と共に墓地の外れで立ち止まった。

 墓地と道を区切るフェンスの向こうに古めかしいアパートがあり、2階の開いた窓からきれいな女性が夜空を見ながら言葉を呟き続けている。

「お園どん、しっかりしておくれ、私が何としても助けるから。と抱き起こしましたが、とうにことが切れている。新五郎は」


「あれは真景累ヶ淵よ」


 秋保の声に、女性はこちらを見た。どう見ても生きた人間だ。

「そうよ、よく知ってるわね」

 女性が微笑む。

「毎晩練習しているんですか?」

「ええ、勉強の後の気分転換にね。私、今年の学祭の落研発表会で真景累ヶ淵これをやってみたいのよ」

 落研。落語研究会の略。こんなきれいな人が。

「部屋の中でやってると声がこもっちゃう気がしてね。最近あったかくなってきたから、窓を開けて練習してたの。うるさかった?」

 俺はいいえ、と首を振った。女性が微笑む。

「でも、こんな時間に墓地に人がいるとは思わなかったわ。デートにしては少し変わってるわね。流行ってるの?」

 俺と秋保は顔を見合わせ、慌てて手を離した。女性がその様子を見ておかしそうに笑う。

「肝試しはもう少し暑くなってからじゃない?じゃ、もう遅いから気をつけて帰るのよ」

 はい、と俺たちが答えると、女性はじゃあね、と窓を閉めた。


「幽霊の、正体見たり」

「枯れ尾花、か」

 秋保が呟き、俺が続けると、秋保は俺を見て笑い出した。

 秋保はこんな顔で笑うのか。

「おい」

 足音がして、台原たちもやってきた。

「幽霊、見たのか」

 青ざめた台原と川崎を見て、俺たちは笑い出した。

「何よ、あっきー」

 川崎が憤慨する。俺たちは帰りながら話すよ、と言い、もう一度お互いを見つめた。


 ことの真相も話したいけれど、今はもっと秋保と話がしたい。


「あら?」

「おやおや」

 台原と川崎が俺たちを見る。

「吊り橋効果、って奴?」

「違うわよ、あっきーは前から」

「かわこ!」

 秋保が慌てて川崎を制した。秋保はこんな顔で慌てるんだ。

 もっと秋保の色々な顔が見たい。

 台原がにやにやして俺の肩に手をまわす。

「聞かなきゃいけないことが山ほどありそうだな?」

 俺はえへへ、と笑った。台原がこのやろ、と手に力を入れる。

 この辺りの大学だと、歌椎巌かしい大学か。あの女の人の落語、聞きに行こうって誘ってみようか。

 俺は明日からが楽しみでたまらなくなった。これは科学で解明できるだろうか。それとも。

 俺は知らないことが始まる予感に、真夜中の空を見上げた。

 

 


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