第137話 精霊たちの呻き
アラン達を含めた皆の表情に緊張が走った。
まさか、こんなに早くにソルマン王が現れるとは、思っていなかったから。
「やはりノーチェ兄さんの言うとおり、短期決戦で決着をつけるつもりか」
アランは呟くと、ソルマン王に向かって声を張り上げた。マルティに向かって放たれた声色とは違い、強い怒りと憎しみが感じられる。
「ソルマンっ‼ 今すぐその肉体から離れ、本来在るべき場所へと還れっ‼」
「黙れ、弱者が」
ソルマン王の嘲笑う声が、私たちの耳に届いた。
新たな精霊魔法を使うフリージアさんとレフリアさんがいるにも関わらず、ソルマン王が警戒感を抱いていている様子はない。むしろ、余裕すら感じられる。
マルティはソルマン王の姿を見つけると、身体を密着させるように腕を絡みつけ、彼の横に寄り添った。まるで恋人かのように、彼の肩に寄りかかる。
何も知らない人から見れば、婚約者同士の二人が寄り添っているだけの光景に見えるだろう。
あのマルティだもの。
リズリー殿下の中身が変わっていることには、気づいているはず。
だけど彼女の変わらない態度と、無礼だと処せられてもおかしくない行動を受け入れているソルマン王を見る限り――そういう関係なのだと悟る。
なのに、ソルマン王は隣にマルティを置きながら、私に向けて言葉を発した。
乞うようなねっとり声色が、鼓膜だけでなく身体中に絡みつく。
「エルフィーランジュ、すぐにお前を救い出してやる。そしてバルバーリ王国に戻り、三百年前に叶えられなかった幸せを、ともに作ろう」
「……反吐が出そうだ」
アランが吐き捨てる。
もちろん私も同じ気持ちだ。
だけどいざソルマン王を前にすると、勇む気持ちよりも恐怖が勝ってしまう。
前世の記憶と、当時抱いた感情に引きずられてしまう自分がいる。
(こんなことじゃ、駄目なのに……)
ここにいる全てのフォレスティ兵が、国の未来のために命を懸けようとしているのに、皆を守るための力を持っている私が、一番恐れていてどうするの?
マルティが、ソルマン王から離れた。彼に向かってカーテシーをすると、自分の馬に乗り、後ろで控えているバルバーリ軍へ戻っていく。
フォレスティの前衛部隊の前に残ったのは、ソルマン王一人。
それも味方であるバルバーリ軍は、彼がいる場所よりも離れた場所で待機している。こちらが攻撃をしかければ、バルバーリ軍は君主を守れないぐらいの距離だわ。
「遊んでやろう、フォレスティの愚民ども」
ソルマン王がそう言って、ブレスレットのように左手首に着けていた金色の霊具を握った途端、彼の身体が浮き上がった。
「まさか逃げる気……か?」
人間には使えない飛翔魔法に、目が釘付けになっているノーチェ殿下が呟かれた。
突然、ラッパの音が鳴り響き、フォレスティ兵たちが攻撃を開始した。
恐らく、ソルマン王を逃がすまいと、先手を打とうとしたのだろう。
前衛部隊が突撃し、その後を本軍が続く。
戦場に、兵士たちの勇ましい声が響き渡った。
ソルマン王が霊具を掲げた。
金の霊具から発される不気味な気配に、全身の肌が粟立つ。咄嗟に身を乗り出したせいでグラリと揺れたこの身体を、アランが後ろから支えてくれたけれど、構わず大声を出して制止した。
「駄目! これ以上進まないでっ‼ 闇の大精霊の力を感じますっ‼」
私の言葉が、精霊の力にのって戦場に響き渡った。
少しの間の後、先ほどと違う音のラッパ音と、
「退却だ! 引け、引けぇぇぇっ‼」
という、ウィジェル卿の退却命令が聞こえた。
彼が、闇の大精霊の力をきちんと理解してくださっていたからこそ出せた、退却命令だった。
だけど、兵士たちは違った。
突然退却命令を出されて戸惑ったのか、一部の兵士たちが、その場に立ち止まっている。
彼らが戸惑うのも仕方ない。
敵は、たった一人。これだけの人数で押し切れば、すぐに捕らえられるのに、退却を命じられたのだから。
その迷いが、命取りとなることも知らずに――
金色の光が大きな球体となって、ソルマン王の身体を包み込んで高く舞い上がった。
さらに金色の球体の縁から透明な液体が湧きだし、球体を包み込んで、もの凄いスピードで大きくなっていく。
液体はあっという間に、下半球が地面に付くほどの巨大な山へと変化した。地面に触れていた液体が、立ち止まっていたフォレスティの兵士たちに向かって、まるでテーブルの上にコップの中の水をぶちまけたように広がり、彼らの膝や馬の足が液体に浸かってしまう。
次の瞬間、液体に触れた生き物全てが、糸が切れた操り人形のように、その場に倒れてしまったのだ。
あれは……あの光景は……
(イグニス陛下が、ソルマン王にオドを奪われたときと同じ――)
異様すぎる光景に、言葉がでない。
液体の山が動き出した。フォレスティ兵を襲った時とは違い、ゆっくりとした動きだけれど、確実にこちらに迫ってくる。
フォレスティ軍が、一斉に後退を始めた。
ノーチェ殿下が、悔しそうに顔を歪めながら、舌打ちをされる。
「一体何なんだ、あれは‼︎ あの水の山みたいなものも、大精霊の力なのか⁉︎」
「……違う、あれは……」
殿下のお言葉に、気づけば勝手に唇が動いていた。
ソルマン王を包み込む透明な塊から、吐き気すら催す程の生理的嫌悪感と恐怖が沸き上がる。
あんなものが……この世に存在するなんて!
「アラン……ソルマン王の周りにある液体……精霊たちだわ……」
「……え? で、でも精霊は、あんな水のような形はしていないし、そもそも通常人間には視えないはずだろ⁉︎」
アランが目を瞠った。
ええ、あなたの言うとおり。だけど――
喉の奥が震える。
怒りとも悲しみとも分からない感情が、心をぐちゃぐちゃにする。
「アレは、もの凄い数の精霊たちが強い力で無理矢理一つにされてる。人の目に視えるほどに……」
空気の中に水があるけれど、普段はそれが見えない。
だけど水分が集まることによって雲になり、雨という実体となって降り注ぐ。
それと同じように。
「つまりアレは……精霊の塊? そ、そんなこと、あり得るのか⁉」
「自然に起こることは絶対にない。きっとソルマン王によって、闇の大精霊の力を流すための触媒にされたんだわ」
液体から闇の大精霊の力を感じる。
精霊女王と違い、ソルマン王が闇の大精霊の力でオドを奪うには、相手に触れなければならない。でもこの方法なら、一度に大勢の人のオドを奪うことができる。
広範囲に広げた液体に、大精霊の力を、相手が身動き出来ない程度に流せばいいのだから。
そして、私が精霊たちに願ってかけてもらった魔法では、大精霊の力を防ぐことは出来ない。
さっきから、苦しみに悶えるような声が、耳の中で鳴り響いて止まらない。
無理矢理一つにされた上に、闇の大精霊の力の媒介とされた、精霊たちの呻き声が――
フォレスティ兵たちにも聞こえているのだろう。中には、片手で耳を塞いでいる者や、口元を押さえている者もいる。
「偉大なる精霊たちを、粘土細工のように弄ぶなど……」
ノーチェ殿下の後ろを馬で走るルドルフの怒りの声が、聞こえた気がした。
私たちが後退している間にも、透明な液体の山――精霊の塊が地面を覆い満たしながら、こちらへと向かってくる。液体に触れられた植物が枯れ、緑だった土地がみるみるうちに色あせていく。
始めにいた高台まで戻ると、ノーチェ殿下は精霊の塊がよく見える場所へと移動された。彼の後ろを、ルドルフとフリージアさん、レフリアさんが続く。
私たちも顔を見合わせると、殿下の後を追った。
ノーチェ殿下は馬から降り、遠眼鏡で精霊の塊を覗いていらっしゃった。
そして少しの間の後、
「あの液体……質量があるな」
と呟かれた。
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