第138話 打開策
「質量? ノーチェ兄さん、それはどういう……」
アランの疑問に、ノーチェ殿下が望遠鏡を覗きながら答えられる。
「液体が移動した地面が、削り取られたかのように凹んでいる。つまりあの液体に重さや実体があるってことだ。これがどういうことか分かるか、アラン?」
「ええっと、実体があるということは……」
手を顎の下に当てて考えていたアランが、ハッと顔を上げた。
「実体があるなら、物理攻撃や魔法攻撃が効くかもしれないってことか」
「その通りだ」
遠眼鏡から目を外した殿下の口角を僅かに上がった。そして、馬から下りて後ろに控えていたレフリアさんに振り返られる。
「レフリア、いけそうか?」
「少し近づかないといけないっすが、相手の移動も遅そうですし大丈夫でしょ。ちょいっと行って、魔法をぶちかましてきますよ」
「なら、私も。レフリア一人では不安です」
フリージアさんが手を胸の前に当てながら進み出たけれど、隣にいたレフリアさんが手を伸ばして、彼女の動きを制止する。
「殿下からご指名を受けたのは、俺。フリージアは、ここで殿下をお守りしてろ」
口調こそは軽いものだったけれど、フリージアさんに向ける瞳は真剣そのものだった。レフリアさんの真剣さが伝わったのだろう。フリージアさんは、グッと下唇を噛むと俯いた。握った両手が僅かに震えている。
理性では分かっているけれど、感情は納得いっていない様子だ。
レフリアさんの視線が、フッと緩む。
「もっと自分の立場を自覚しろって」
そう言うと、レフリアさんはノーチェ殿下を一瞥した。そして俯いたままのフリージアさんの肩を軽く叩くと、馬に乗り、数人の護衛を連れてこの場から立ち去った。
小さくなっていくお兄さんの姿を見つめるフリージアさんに、ノーチェ殿下が声を掛けられた。
「すまない、フリージア」
「……いいえ。私こそ、己の本分を忘れ、申し訳ございません。それをあのレフリアに指摘されるとは……一生の不覚です」
「一生の不覚って……ちょっと言い過ぎじゃないか? 結構あれでも、責任感の強いヤツだぞ?」
フリージアの言葉に、殿下が苦笑いされた。それを見て、フリージアさんの表情が僅かに緩む。
殿下にお兄さんが認められていることが、嬉しいみたい。
しっかり者のフリージアさんが、自由奔放なレフリアさんを咎めている場面が多いけれど、とても仲の良い兄妹なのが伝わってきた。
そんな二人を、幼馴染みとして、信頼できる側近として大切にされている、ノーチェ殿下の気持ちも。
そうしている間に、こちらに迫り来る精霊の塊から少し離れたところに、レフリアさんたちがやってくるのが見えた。
ノーチェ殿下が遠眼鏡を構え、ここにいる皆の視線が彼らに向けられた次の瞬間、爆発音とともに、精霊の塊の一部が弾け飛んだ。
苦しむ精霊たちだとは思えない、皮肉なほど美しい輝きを放ちながら。
「……やはり予想どおりだ。アレには実体があり魔法攻撃が通る。あの調子なら、物理攻撃も効果がありそうだな」
「さらに、飛び散った精霊の塊の消失を確認しました。実体を保つためには、ある程度の大きさが必要なようですな」
ノーチェ殿下の言葉に、遠眼鏡を覗いていたルドルフが補足を付け加えた。
「つまり、精霊たちの塊に攻撃をして粉々にしていけば、アレを消失させることができるってことか」
「計算上はな。世界の根幹たる精霊たちに攻撃を加えるなど……心苦しい物があるがな」
「でも、ソルマンの道具になるよりかは、何倍もいい。聞こえるだろ? あの苦しそうな呻めき声が……」
「ああ、分かってる」
アランの言葉に殿下が頷かれたけれど、その表情に、打開策が見つかった喜びは見られない。
むしろ、先ほどよりも難しい表情を浮かべていらっしゃる。それは、精霊の塊を見るアランも一緒だった。悔しそうな彼の呟きが、耳に届く。
「……再生してる」
レフリアさんが吹き飛ばしたのは、巨大な精霊の塊のほんの一部。それも、欠けた部分から液体が溢れ出し、元の姿に戻ろうとしていた。
再生が速い。
捕らわれた精霊たちを解放するには、もっともっとまとまった大きな力が必要だと、素人目に見ても分かった。
さらに新たな動きによって、皆に緊張が走る。
今まで地面を這いながら広がっていた精霊の塊の一部が、突然上と伸びたからだ。レフリアさんと、彼を守る兵士たちの上に黒い影が落ちる。
ノーチェ殿下が、大きく舌打ちをされた。
「地面を這うだけじゃないのか!」
「レフリア――――っ‼」
フリージアさんが叫ぶ。
伸びた精霊の塊が、レフリアさんに狙いを定めたように倒れてきた。まるで大きな手が、地面にいる虫を押しつぶそうとするように。
いえ、まさにその通りになってしまう!
だってあれには、質量がっ‼
(だめ……駄目っ‼ レフリアさんたちを、助けて‼ これ以上、精霊たちに人を傷つけさせないでっ‼)
怒りと悲しみが入り交じった強い感情が、脳天に向かって迸る。
次の瞬間、倒れてきた精霊の塊の上部が音もなく消失した。半分以上消えたため、レフリアさんたちに届かず、この隙に急いで退却する彼らの姿が見えた。
良かった……本当に良かった……
残った精霊の塊は、大きく地面を抉りながらズズッと下がり、本体に吸収されていった。
皆の視線が私に集まる中、フリージアさんが震えた声で訊ねてきた。
「……エヴァ様の……お力ですか?」
「精霊たちが私の願いを叶えてくれたのだと思います。だけど……何をしてくれたのかまでは……」
精霊が視えない私には、彼らが何をしてくれたのかは分からない。
ザッと土を踏む音がした。
音の主は、ルドルフだった。その瞳は、僅かに輝いていた。
「膨大な数の精霊が集まり、アレを包み込んだかと思えば消失したんじゃ。少なくとも、わしの目にはそう視えておった」
「……精霊たちが集まった?」
ルドルフが視たものを聞いた瞬間、頭の中にひらめくものがあった。琥珀色の瞳を真っ直ぐ見つめ返す。
「きっと精霊たちが、塊にされた精霊たちを取り込んだんだわ」
「取り込む……? エヴァ嬢ちゃん、良かったら、詳しく説明して貰えんか?」
「ええ。世界は広いから滅多に起こらない現象なのだけれど……精霊が増えすぎた場合、いくつかの精霊たちが集まり、一つになって数を減らそうとするの。もちろん、あの精霊の塊とは違う方法で。そしてまた精霊の数が減ったとき、一つになっていた精霊たちが分かれることで、数を調整するの」
「なるほど。つまり精霊たちはその方法で塊にされた仲間を取り込み、救おうとした、ということじゃな」
「ええ、きっと……」
私の抽象的な願いを、仲間が苦しまない方法で救うことで叶えてくれた精霊たちの優しさに、胸の奥が熱くなった。
精霊たちが、仲間を取り込む性質を利用すれば、ソルマン王を包み込む精霊の塊を消滅させることができるかもしれない。
しかし、
「ソルマンのギアスか! この戦場にいる精霊たちを、ごっそり持って行かれた!」
というアランの悔しそうな言葉によって、変わらない戦況の苦しさが突きつけられる。
精霊の塊を消滅させるには、魔法や物理で粉々にするか、元気な精霊たちに取り込んでもらうしか方法はない。
でも前者には、火力が足りるのかという不安がある。
そして後者だと、ギアスを使われるという問題がある。
ソルマンが捕らえらないぐらいの精霊を集められればいいけれど、魂が傷ついている私に、そこまで精霊たちを動かせるかは分からない。
中途半端に集めて、またギアスを使われれば、さらに精霊たちを苦しめることになるから。
だけど相手はまだ距離はあるとはいえ、確実にこちらへと近付いている。
今の所、動きはゆっくりだけれど、さっきみたいに、一部の形を変えて攻撃をしてくることは出来るから気を緩めることはできない。
そして、
(ここが突破されれば……王都とそれに続く村や町は、間違いなく壊滅する)
皆がオドを奪われ、後からやって来たバルバーリ兵によって捕らえられ、侵略されてしまう。
このままだと、私の大好きな国が、人々が……
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