第121話 前世の人格

 ルヴァン王の物語が終わった。

 沈黙の中、精霊宮で見たルヴァン王の存命期間のプレートが思い浮かぶ。


 胸が、痛みで張り裂けそう。

 気を抜けば嗚咽が洩れてしまいそうになるほど、喉が震えてる。涙だって零れそうだし、今すぐここを出て、彼が死んだ水源の辺に向かいたいという衝動に駆られた。


 もう三百年も経っていて何も残っていないことは分かっているのに。


 衝動に抗うため、膝を抱えて俯いた。


 ルヴァン王が、自殺したと聞いただけでも強い衝撃を受けた。だけど自殺の理由が自身を責めた結果だと知り、激しい後悔と悲しみが胸を衝く。


 だってそれは、彼の手で最期を迎え、感謝して還ったエルフィーランジュの気持ちと相反するものだったから。


 私を殺したことを後悔して、あなたが死ぬ必要は――なかった。


「……エヴァ、泣いてるの?」


 アランの声がした。

 僅かに顔を上げて、すぐ傍に彼の存在を確認すると、私は目許に触れながら首を横に振った。


「泣いて、ないわ。だけど……私じゃない何かが凄く悲しんでるの」

「きっと、エヴァの中に残っているエルフィーランジュの心が反応しているんだろうね」

「エルフィーランジュの、心? 私たちは同じなのに?」

「同じ魂とはいえ、人格が違う人間の記憶がある以上、別人が自分の中にいるようなものだからね。でも魂は同じだから、エルフィーランジュに関係することであれば、君も反応してしまうんだ」

「そう、なのね……」

「だから、気をしっかり持って。その感情はあくまで前世のもの、今のエヴァのものじゃない。じゃないと、三百年前の人格に引きずられてしまう。俺のように……」


 俺のように?


 付け加えられた言葉に引っかかりを覚えた私は、抱えていた膝を戻すと、アランと視線を合わせた。


「アランも、ルヴァン王の人格に引きずられてしまうことがあるの?」

「ああ、あるよ。昔ほどじゃないけどね。今でも、バルバーリ王国やソルマンへの憎しみが強くなると、ルヴァンの人格に変わってしまいそうになる」


 彼が言うには、一人称や口調が変わるらしい。

 いまいちイメージがつかめない私に、アランが薄く笑いかける。


「エヴァにも一度見せたことがあるよ。ほら、ヌークルバ関所でバルバーリ兵に襲われたとき――」

「あっ……」


 確かに、私がヌークルバ関所でバルバーリ兵に襲われたとき、助けてくれたアランの様子は人が変わったようだった。


 あのときのことは、恐怖と時間が経ったことで、今ではぼんやりとしか覚えていないけれど、アランは確かこんなことを言っていた気がする。


『……お前たちバルバーリ人が他人の物を奪うのが好きなのは、昔から変わってないな? それはもう国民性か?』


 って。


 今思えばソルマン王に、エルフィーランジュとティオナを誘拐されたことを言っていたんだわ。


 前世の人格に引きずられるって、こういうことなのね。

 そして今、私の心に湧き上がっている感情も、エルフィーランジュの人格に引きずられつつある状態だから起こっているんだわ。


 深い呼吸を繰り返しながら、心の中で何度も自分の経験ではないと言い聞かせた。

 その間、アランはずっと手を握っていてくれた。


 気持ちが次第に落ち着きを取り戻すにつれて、強い悲しみが、遙か遠い昔のことのようにぼやけていった。


 私も……アランのように、前世を受け入れることができるのかしら。

 エルフィーランジュの記憶を、感情を、全て受け止められるのかしら。


 娘を守れなかっただけでなく、愛する人を自死に追いやったと後悔する彼女の気持ちを。


 不安を感じると同時に、前世の記憶を取り戻させたくなかったアランの気持ちが、より理解できた気がした。


「ルヴァンの死後、彼の弟は、三人が病死したと発表した。バルバーリ王国への報復ではなく、フォレスティ王国の平穏を選んだんだ」

「だからフォレスティの人々は、今でもエルフィーランジュたちが病死したと思っているのね」

「ああ。ソルマンが攫ったという確実な証拠もないし、証人であるエルフィーランジュは消滅したからね。それに報復のためにバルバーリ王国に戦争を仕掛けても、当時のフォレスティ王国では逆に滅ぼされていただろうから。だけど、苦渋の決断……だったと思うよ」

「何故分かるの?」

「三百年たった今でも、一部の成人王族にルヴァンたちの死の真実が伝えられているのがその証拠だ。フォレスティ王家の執念深さには、頭が下がるよ。バルバーリの連中は、全く覚えていないっていうのに」


 確かにバルバーリ王国に、ソルマン王が隣国の王妃を誘拐した事実を知っている者はいなさそう。王家とクロージック家が結んだ盟約の理由すら失われる杜撰さだもの。


 こうしてフォレスティ王国は、三百年前に受けた傷を隠しながらも、バルバーリ王国と並ぶ大国へと発展した。


 二十五年前、バルバーリ王国に再び精霊を狩られた後、フォレスティ国内に霊具の持ち込みとギアスの使用を禁止できたのは、バルバーリ王国がフォレスティ王国の力を恐れたため、譲歩したのだと言われているらしい。


 苦笑いしていたアランの表情が、真顔になる。

 真剣な眼差しが、私を射貫く。

 

「ルヴァンは自らの手で命を絶った。だけど……それで終わりじゃなかった。ここからが、今エヴァがもつ精霊女王の力に関わってくる大切な話だ」

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