第118話 思い出して……欲しくなかった
アランの前世がルヴァン王――
その意味が、ゆっくりと心の中に染みこんでいく。
『エヴァ、君は君だ! だから思い出さなくていい。それ以上……思い出しちゃ駄目だ!』
精霊宮で、戸惑いと恐れ、苦悶を瞳に宿しながら、彼が私に言った言葉を思い出された。ソルマン王が、私の前世を思い出させようと発言したときも、アランは激しい怒りを見せた。
彼がルヴァン王の生まれ変わりなら、今の私の力が、精霊女王として欠けていることに気付いていたはず。
その問題を解決するには、私の前世の記憶を取り戻すことが一番の近道だったはず。
それなのに何故アランは、私の前世を取り戻そうとしなかったのか。
むしろ阻止しようとしたのか。
全てを思い出した今なら、彼の想いが痛いほど伝わってくる。
三百年前の辛い日々を、
悲しい別れを、
思い出させないようにするために。
私が前世に捕らわれず、生きられるように。
今度こそ、
――幸せに。
『やっと……やっとだ。君といつまでもともにいられる繋がりを、未来を……やっと取り戻せた』
本当の婚約者になることを受け入れたとき、彼が言った『やっと』という言葉の意味に触れられた気がした。
胸が、心が、とても痛い。
喉の奥が詰まると同時に、目頭が熱くなる。
私が彼と出会ってから今までのことが、走馬灯のように浮かんで消えていく。
そこまでして、アランあなたは――
声を詰まらせる私の隣で、アランが頭を下げた。
「ごめん、エヴァ……」
「何故謝るの?」
「……君に、前世の辛い記憶を思い出させてしまったから」
アランが俯き、自身の膝の上に置いていた両手を強く握る。
その拳は、時折震えていた。
「ずっと心の奥底で恐れていた。エヴァが何かのきっかけで、全てを思い出すんじゃないかって。現に兄さんの娘であるオルジュを抱っこしたとき、泣いていただろ? エヴァは理由が分からないって言っていたけれど、前世で救えなかった娘と重ねているんだって、すぐにピンときたよ」
……気付いていたのね。
でもあのときもあなたは、涙が出る理由なんて考えなくて良いから休むようにと言っていたっけ。
大きく息を吐くと、アランは両手で前髪を掴みながら深く俯いた。今にも泣きそうな囁きが、震える唇から零れ落ちる。
「思い出して……欲しくなかった。あんな辛い記憶……持っているのは俺だけで充分だったのに……」
俺だけで……充分?
ふと引っかかるものを感じ、私は俯む彼の顔を覗き込んだ。突然私が動いたのを感じたのか、アランの顔があがり、互いの視線がぶつかり合った。
青い瞳が困惑で揺れる。
「……エヴァ?」
「アランは、いつから前世の記憶を持っていたの?」
少なくとも、アランがクロージック家にやって来た十年前には、すでに全てを知っていたと思う。いいえ、むしろ全てを知っていたからこそ、クロージック家に来たはず。
そのときのアランは、たしか十四歳。
今の私ですら、どう受け止めればいいのか困る程の辛い記憶を、十四歳の彼が持ち続けるのは相当荷が重かったはずよ。
青い瞳が伏せられる。
膝に視線を落とすと、弱々しく微笑みながらアランが答えた。
「物心が、ついたときからだよ」
「……そん、な」
大人でも持て余すあんな辛い記憶を、当時の感情を、もっと幼い頃から?
私が幸せに暮らしていた時期ですら、アランは前世の記憶を抱えて苦しんでいたって……こと?
そんな……そんなのって……
「始めは、ただ夢かと思っていたんだ。幼かったから、記憶の内容も理解できなかったしね」
しかし、前世で経験したときに感じた絶望や悲しみ、バルバーリ王国やソルマンに対する憎しみの感情は、幼い彼の心を容赦なく揺さぶった。
大人である今ですら持て余すその感情を、未成熟な心が制御できるわけもない。
前世の記憶に苛まれ、自身の経験ではない苦しみに翻弄される彼の成長を、事情をしらないご両親やお兄さま方を含めた周囲の人々は、常々心配していたのだという。
だけど、アランは心の内を、決して打ち明けようとしなかった。
そして彼が十歳のとき、今まで必死で押し止めてきた前世の感情が初めて爆発した。
バルバーリ王国とフォレスティ王国の関わりを歴史の中で学んでいたときだった。
アラン自身、そのときのことは正直良く覚えていないらしい。
だけど後から聞いた話では、十歳とは思えないほど大人びた口調でありながら、周囲がたじろぐほどの気迫で、バルバーリ王国の憎しみを語っていたのだという。
まるで、何かに取り憑かれたかのように――
「でもそれがきっかけで両親に全てを話し、今まで夢だと思っていた内容を調べることになったんだ」
「それであなたが、ルヴァン王の生まれ変わりだと分かったのね?」
「ああ。前世の自分の妻の名が、エルフィーランジュだったこと、ルヴァンが書き残した精霊女王に関する書物の内容を、読んだこともない俺が知っていたこと、そして――」
青い瞳が伏せられる。
「成人王族の一部にしか伝えられていないはずの、ルヴァンとエルフィーランジュの最期を、俺が詳細に語ったことが決め手となったよ」
「そう……だったのね」
アランがルヴァン王の生まれ変わりであり、さらに前世の記憶を持っていることは、王族や、国の統治に関わる一部の者たちだけが知っているらしい。
ただ、本来知る立場にないマリアにだけは、バルバーリ王国に行くアランの護衛の際、何も知らないことで任務に支障がでないようにと、全てを話してあるのだと言っていた。
ふうっと彼の口から息が漏れる。
「その後は大変だったよ。ノーチェ兄さんはノーチェ兄さんで、前世の記憶を根掘り葉掘り聞いてくるしさ……まあ、腫れ物のように扱われるよりはマシだったけど。後、俺がルヴァンの生まれ変わりだと知ったイグニス兄さんが、俺に王位を継がせるべきだと主張してうるさかったな。今でも言ってくるし……」
当時のことを思い出しているのか、アランが苦笑いをしながらぼやく。
だけどその表情はとても優しい。
憎まれ口をたたいているけれど、お兄様たちが好きな気持ちが伝わってくる。
前世の記憶に苦しみながらも、周囲に大切にされてきたのね。
よかった、本当に……
「アラン、一つ聞いてもいい?」
「なに?」
「ルヴァン王は……どのようにして亡くなったの?」
「……え?」
アランの表情が固まった。
ルヴァン王の肖像画に描かれた生存期間は短かった。
多分、四十年もなかったと思う。
恐らく三百年前、エルフィーランジュの魂が然るべき場所に還ってから、ルヴァン王が亡くなるまでの時間は、そう離れてない気がする。
束の間の沈黙後、アランの唇がゆっくりと開き残酷な真実を告げた。
「ルヴァンは……自殺したんだ。エルフィーランジュと初めて出会った、水源の辺で」
――短剣で首を掻き切って。
そう語る彼の声は、恐ろしいほど静かだった。
私の中にある別の何かが、声をあげている。
胸が張り裂けそうになるほどの悲しみと後悔で、心がうめつくされる。
どうして――どうして――と、嘆く悲痛な声がする。
同時に、フォレスティ王国にやって来たマルティが霊具を持ち込んだ罪を逃れるため、自殺を口にしたとき、アランが容赦なく自殺用の短剣を彼女に放り投げたことを思い出す。
あのときのアラン、凄く怒っていた気がする。
無駄な足掻きをするマルティに腹を立てていたのだと思っていたけれど、きっと違う。
知っていたからなんだわ。
自ら命を絶つ者が、どれほどの絶望を抱いているのかを――
知っていたからこそ、口先だけで自殺を口にしたマルティが許せなかったのね。
「アラン……話してくれる? 三百年前、私が――エルフィーランジュがソルマン王に誘拐された後、ルヴァン王になにがあったのかを……」
彼にとって、とても辛いことをお願いしているのは承知の上だけど、聞かずにはいられなかった。
私の中にある別の何かが、そう強く望んでいるのを感じたから。
断られても仕方ないと思ったけれど、アランは意外にも快諾してくれた。
「全てを思い出したエヴァに、もう隠し立てする必要はないのだから全てを話すよ。エルフィーランジュが行方不明になった後、ルヴァンが何をしていたのか。そして――」
彼の手が私の手と重なった。
「俺がクロージック家にいた本当の理由も」
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