第109話 呪縛

 アランが振り下ろした剣先が、リズリー殿下と霊具を繋いでいた鎖を断ち切った。


 剣を振り下ろした反動で、鎖から解き放たれた霊具が跳ね、リズリー殿下の手の届かない場所へと転がっていくと同時に、アランを下から睨み付けていたリズリー殿下が、まるで何かの魔法にかかったかのように、全身から力が抜けて地面に突っ伏した。


 そして束の間の沈黙のあと、

 

「うっ、ううぅ……ぼく、は一体……」


 息を荒く吐き出しながら、リズリー殿下がうっすら瞳を開きながら呟かれた。


 表情は痛みによる苦悶で歪んでいるけれど、さっきとは全く別人のように思える。


 いえ、本来のリズリー殿下の表情に戻ったと言った方が正しい。言葉遣いも、私が知っているリズリー殿下そのものだ。


 霊具が手元から離れたから、ソルマン王の憑依が解けたんだわ、きっと。


 ノーチェ殿下も同じことを考えられたのだろう。


「ルドルフ。疲れているところ悪いが、傷を癒してやってくれ。彼には聞きたいことが、山ほどある」

「畏まりました」


 ルドルフは頭を下げると、魔法の拘束を解き、リズリー殿下の傍に寄った。

 それを見た周囲の兵士たちがリズリー殿下の身体を、うつぶせから仰向けにかえすと、激痛による悲鳴が上がった。


 服は、お腹の部分を中心に真っ赤に染まっていた。


 顔を背けたくなるほどの大けがにも関わらず、ルドルフの表情には焦りはない。落ち着いた様子で両手を傷のある腹部へとあてる。


「世界の根源、悠久に息づく精霊よ。この心と繋がり、強き想いを具現化せよ<治癒ヒール>」


 呪文が終わるとともに、ルドルフの両掌から白い光が洩れ出た。


 随分前、ヌークルバ関所で兵士に傷つけられたアランの手を、ルドルフが癒やしたときと同じ光景だった。だけど少しあのときと違うのは、癒やしている時間が長いこと。


 それほど、アランに切りつけられた傷は大きかったのだろう。


 だってアランは……リズリー殿下が肉体を乗っ取られた被害者だと知りつつも、彼を殺すつもりで切りつけたのだから。


 この国を守るために――


 フッと治癒魔法の白い光がおさまった。


 地面に広がり続けていたリズリー殿下の血の動きが止まっている。どうやら無事治療は成功したみたい。


「しばらく痛みは残るかもしれんが、命に別状はないじゃろう」

「あ、ああ……」


 ルドルフの言葉に、リズリー殿下はぎこちなく頷かれた。そして腹部を押さえながら、ゆっくりと起き上がると、破壊し尽くされた精霊宮やその周辺を見回した。


 せわしなく瞬きを繰り返しながらも、言葉なく目の前の惨状を瞳に映している。


 そのとき、ザッと土を踏む音がし、リズリー殿下の視線がそちらを向く。

 視線の先にいたのは、両手を組み、睨みつけるように見下ろすアランだった。


「あんた、今まで何をしていたか覚えているか?」

「……わから、ない」


 リズリー殿下が視線を落とした。しかしすぐさま顔を上げると、非常に戸惑った表情をアランに向ける。


「一体、何があった? 僕の身に、何が起こったというんだ?」

「あんたは、大昔の亡霊に憑依され、肉体の支配権を奪われていた」

「亡霊に憑依?」

「ああ。ギアスの生みの親、ソルマン・ベルフルト・ド・バルバーリだ」

「そ、ソルマン王が⁉ そんなことあり得るわけがない‼ 三百年前の人間だぞ⁉」


 緑色の瞳を見開き、リズリー殿下が叫ぶ。しかし少しそれが傷にさわったのかすぐに声をつまらせると、腹部を苦しそうに押さえた。


 だけどそれを見つめるアランの表情に一切の変化はなく、変わらず冷たい視線を殿下に投げかける。


「逆に訊く。あんたは何故ソルマンの亡霊に取り憑かれることになった? 一体何をした?」

「僕は……誓約の間でマルティと一緒にいた。ソルマン王の像の前に立った時、突然何かが僕の中に入ってきて……気が付いたらここに……」

「像?」

「……ああ。ソルマン王が亡くなる前、自身がお使いになっていた霊具を埋め込んで像を作り、何か重要な決め事の際は、その像の前で誓約するよう言い残されたんだ」

「重要な決め事とはもしかして、結婚など含まれるのか?」

「式を挙げる前に誓約の間で婚姻の儀を執り行うのは、ソルマン王死後に始まってから今まで続く、バルバーリ王家のしきたりだ」


 それを聞いたアランが、憎々しげに舌打ちをした。


 もし私が婚約破棄されず、予定どおりリズリー殿下と結婚していたなら、誓約の間での儀式のさい、ソルマン王がリズリー殿下の肉体を乗っ取り成り代わるつもりだったってこと?


 精霊女王を手に入れ、さらにバルバーリ王国の実権を再び握るつもりだった?


 何もかもが――私が生まれることすらも、ソルマン王によって仕組まれていた。

 

 ぞっとする。

 まるで私の存在も含めた全てが、彼の手によって操られているみたいで……


 ここフォレスティ王国にやってきて、自由を得られた気になっていた。


 リズリー殿下とマルティと対峙し、自身の気持ちをハッキリと伝えたことで、バルバーリ王国で過ごした辛い日々とも決別できたと思っていた。


 大好きな人と想いが通じ合い、私の未来は自由と可能性に満ちたものになると思っていた。


 だけど違った。

 私はまだ、捕らわれたままだった。


 ――前世から続く、あの男の呪縛に。

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