第108話 今は信じましょう

 ノーチェ・リチェルカ・テ・フォレスティって、たしか王位継承権第一位でありながら、フォレスティ王国の精霊魔法発展のために、他国にいたという――


「アランの……お兄さま?」

「はい」


 長髪の男性――ノーチェ王弟殿下が軽く頷かれた。

 しかし目の前の惨状に視線を向けると、柔らかだった表情が厳しいものへと変わる。


「元々は、弟が十年ぶりに帰ってきたと聞き、フォレスティ王国に戻っている途中だったのですが……帰国を急がせて本当によかった」

「帰国を……急がせた?」

「ええ。帰国途中に、バルバーリ王国の国王が倒れ、臨時統治権を握った息子が精霊狩りや軍事力の増強などの不穏な動きをしていると聞いたもので」

「えっ……?」

 

 確かに、バルバーリ王国から返事がないことについて、疑問には思っていた。だけど、動きがあれば知らせて貰えるだろうと、自ら知ろうとはしなかった。


(なんて……なんて私は愚かなの?)


 もうとっくに、バルバーリ王国側の答えは出ていたというのに……


 言葉を詰まらせる私に向かって、マリアが大きく首を横に振った。


「アラン様も陛下も、エヴァちゃんに余計な心配をかけたくなかったから知らせなかっただけなの! だから――」

「わ、わたしは……自分に関わる重要なことすら教えて貰えないような、そんなに頼りない存在なの⁉」


 全ては、私の発言が、いえ、存在自体が、招いたことだというのに‼︎

 

 マリアの言葉が優しさが、今はとても痛い。


 奥歯をきつく噛みしめたとき、


「今後悔することは無意味です」


 ノーチェ殿下の冷静な指摘が、耳の奥に突き刺さった。


 正論でありながらも、今の私にとって精神的に堪える言葉に、心臓がドクンと跳ね上がる。


 ……そうだわ。

 今は、変えられない過去を悔やんでいる場合じゃない。自分の不甲斐なさからくる怒りを、マリアにぶつけるなんて論外だわ。


 自分の浅はかさを嘆きたい気持ちをぐっとお腹の奥に押し込めた私に向かって、ノーチェ殿下が僅かに頷かれた。真剣だった表情に、少しだけ悪戯っ子のような笑みが混じる。


「大丈夫ですよ。兄と弟に文句を言いたいのなら、後でいくらでも時間を作りますから。必要であれば自分も加勢します」


 ノーチェ殿下の言葉に、緊張で張りつめていた心がフッと緩む。


 私はマリアに、先ほど声を荒げた謝罪をすると、彼女の腕を借りてゆっくりと立ち上がった。


 気を抜けば震えてしまいそうになる両膝に力を入れ、強風に煽られないように足裏で地面を踏みしめる。


 そして気持ちを落ち着かせるために大きく息を吐き出すと、瞳を閉じて強く強く願った。


(私はもう大丈夫。だから精霊たちよ、嵐を鎮めて……)


 そしてまた私たちに、

 この国を守ろうとする者たちに、


 力を貸して。


 私の願いが届いたのか、身体を打っていた風と雨がみるみる弱まり、先ほどまでの嵐など嘘だったかのような穏やかさに戻った。


 だけど、髪や服から絶え間なくしたたり落ちる滴が、地面の至る所にできた水たまりとぬかるみが、そして雨風によって奪われた体力が、先ほどまでの嵐の激しさを伝えてくる。


 雨のお陰で、火事がこれ以上広がらなかったことだけが、不幸中の幸いだわ。


 ……そういえば静かだ。

 ルドルフたちは?


 そう思い、慌てて視線を前に向けると、リズリー殿下とルドルフたちが黙って対峙していた。どうやら、フリージアさんとレフリアさんが放った魔法に、リズリー殿下が警戒感を強めたみたい。


 先ほどまでリズリー殿下は、私たちを圧倒していた。攻撃を受けても、強化な防御魔法に守られ、余裕すらあったのに。


 もしかして、フリージアさんたちが放った精霊魔法が特別なの?


 思い返せば、精霊魔法の呪文だって違うかったような――


「先ほどまでの威勢は、どうされましたかな?」


 攻撃の手を止めたリズリー殿下に、ルドルフが笑いかける。それと同時に、フリージアさんとレフリアさんが、殿下を追い詰めるように一歩前へと詰めた。

 

「……何だ、今の魔法は」

「わしにも皆目見当もつきませんな。まあ言えるのは、若い者たちの未知なる技術への探求心は、わしら年寄りの想像を超えるということでしょう」


 カラカラと笑っていたルドルフの表情が、スッと無表情になった。唇を真一文字に結び、刃のような鋭利さをもった視線をリズリー殿下に突きつける。


「じゃがわしも、フォレスティ王国の精霊魔法を背負っている者。このおいぼれも、少しは役立つ所を見せておかなければ」

「……余の攻撃を防ぐことに精一杯だった貴様に、大口を叩く余裕があるとはな?」

「余裕は、今し方できましたからな」


 ルドルフの言葉に何か気付くものがあったのか、リズリー殿下が後ろを振り返った。つられて私も彼と同じ方を見て、変化に気付く。


 先ほどのリズリー殿下の攻撃で負傷して倒れていた騎士や兵士、そしてイグニス陛下の姿がない。


 もしかして……


(ルドルフがひたすらリズリー殿下の攻撃を受け続けていたのは、反撃することで、倒れて動けない負傷者を傷つけないため? そしてリズリー殿下の注意を引き、負傷者の救助をしていることを気付かせないためだったの?)


 私の考えが正しいことを証明するかのように、大勢の騎士や兵士や魔法士たちが姿を表し、ノーチェ殿下を守るように取り囲んだ。そのうちの一人が、負傷者の救助が無事終わった報告をしている。


 だけど戻ってきた兵士たちの中に、アランの姿は見当たらなかった。


 アランも負傷者として避難したの?

 確かリズリー殿下に首を絞められていたはず……


 不安が心を満たす。

 しかし、私の心が不安定になれば、また精霊たちを暴走させてしまう。


 アランに何かあれば、必ずノーチェ殿下に報告が入っているはずよ。

 

 こみ上げてくる不安を、心の中で押し殺した。そんな私の耳に、ルドルフの鋭い声色が届く。


「二人は、トウカ王国での研究成果とやらで、エヴァさまと殿下の御身を御守りせよ」

「畏まりました、ルドルフさま。ご武運を」


 ルドルフの命令にフリージアさんが頷くと、レフリアさんとともにこちらへ戻ってきた。


 リズリー殿下の前に一人残されたルドルフを心配する私に向かって、ノーチェ殿下が声色を和らげる。


「大丈夫ですよ。きっとルドルフに、何か考えがあるのでしょう。だからあなたさまも手出しは無用です」

「で、でも……」


 リズリー殿下の力は強大だ。

 下手をすれば、ルドルフがイグニス陛下の二の舞になる可能性だって……


 ノーチェ殿下の青い瞳が、スッと細くなった。

 柔らかだった眼差しが、一瞬にして鋭さへと変わる。


「ルドルフは一度失敗をしています。だからもう二度も同じ過ちは繰り返さないでしょう」


 一度目の失敗とは、イグニス陛下を止められず、御身を危険に晒したことに違いない。


 ルドルフの呪文に応えて現れた無数の岩が、リズリー殿下へと撃ち込まれた。


 普通であればすべてを砕き、吹き飛ばす攻撃は、防御魔法を掛け直したリズリー殿下の前で跡形もなく消えてしまう。


 だけど、ルドルフが呼んだ炎の渦がリズリー殿下を取り囲むと、ただの石だったそれが、今度は炎の飛礫となって降り注いだ。それと同時に、風刃が辺り一帯を切り裂き、目に見えない何かがリズリー殿下の全身を強く打つ。防御魔法で弾かれたのか、変わりに殿下周辺の地面が大きく凹んだ。


 身体へのダメージはないみたいだけれど、魔法の衝撃は伝わったのだろう。リズリー殿下の口元が歪み、後方へ僅かによろける。


「今は、信じましょう」


 炎で照らされたノーチェ殿下の口角が、僅かに上を向く。


「――彼を」


 次の瞬間、リズリー殿下を取り囲む炎の渦の中から黒い影が飛び出した。


 真っ白な光を纏った剣身が、背後からの気配に気づき、振り向いたリズリー殿下の胴をなぎ払う。


「き、さま……この肉体の持ち主ごと、こ、ろすつもり……か?」


 リズリー殿下が苦悶の表情を浮かべながら、腹部を押さえながら片膝をついた。切り付けられた部分の服が、みるみる赤く染まっていく。

 

 殿下が金色の霊具を握ろうとしたとき、


「世界の根源、悠久に息づく精霊よ。この心と繋がり、強き想いを具現化せよ<影の拘束シャドウバインド>」


 ルドルフの魔法によって発生した影が、リズリー殿下の身体をうつ伏せに押し倒し、そのまま地面に縫い付けるように拘束した。


 地面に這いつくばった形となった殿下の前に、人影が落ちる。


 ――アランだ。


 私たちと同じく全身が濡れており、その首には、先ほどリズリー殿下に絞められた痕が、生々しく残っている。


「俺が甘かった。ソルマンに憑依されているからと、出来るだけ傷つけずに捕らえようなどと考えるなど。初めから――」


 アランが、輝きを失った剣の切っ先が下に向くように、両手で柄を握った。


 彼のつま先に、流れ出たリズリー殿下の血が触れる。

 青の双眸が、溢れんばかりの憎悪で満たされる。


「お前を殺すつもりで迎え撃つべきだった」


 アランの振り下ろした剣先が、リズリー殿下と霊具を繋いでいた鎖を粉々に砕いだ。

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