第102話 憑依
(そんなわけがない)
アランの言葉を聞き、真っ先に浮かんだのはその一言だった。
私の聞き間違いでなければ、アランはリズリー殿下に向かって、三百年前にいたバルバーリ王国の国王の名を呼んだのだから。
確かに、今のリズリー殿下は別人のように見える。
けれど、やはり目の前の人物が誰かと問われれば、リズリー殿下と答えるしかないのに。
でも、戸惑っているのは私だけみたい。
別の名を呼ばれたリズリー殿下が、全く動じた様子を見せなかったから。ただアランを一瞥すると、
「……やはり貴様か」
と憎々しげに呟いた。
アランの喉元が大きく動く。
「……お前も前世持ちだったのか? ヴェルトロ王が急病で伏せた後、人が変わったようになったと聞いたが……そのタイミングでソルマンだった前世を思い出したということなのか⁉」
「もしこの肉体の持ち主の前世が余だと言うなら、エルフィーランジュを追放するなどの愚行は犯さない」
「リズリーの前世がソルマンじゃない……?」
そうアランが呟いた瞬間、ハッと何かに気付いたかのように顔を上げた。そして瞳を閉じるとゆっくり開き、リズリー殿下を注視する。
ルドルフやカレイドス先生が精霊を視るときと同じ光を、その青い瞳に宿しながら。
「……そういう、こと……だったのか……だから、どこを探しても見つからなかったのか……」
「あ、アラン? 一体どういうことなの? リズリー殿下は一体何を仰って――」
「あれはもうリズリー・ティエリ・ド・バルバーリじゃない」
鋭い声色が私の発言を遮る。
「ソルマンの魂に憑依され、肉体の支配権を奪われている」
「そ、ソルマンって、ギアスを作りだした大精霊魔法士のソルマン王のこと?」
三百年前、一介の貴族だったクロージック家に公爵を与え、クロージック家に生まれた無能力者の女児をバルバーリ王家に嫁がせるという盟約を作りだした方……
「ああ、そうだ」
「そんなことあり得ないわっ‼」
亡くなった人の魂は、この世界にある様々な命の形を纏いながら流転するとされている。
ソルマン王だって三百年前に亡くなり、新たな命としてどこかの時代に生まれ変わっているはず。今の今まで魂を現世に留め、さらに生きている別の人間の肉体を乗っ取ってしまうなんて、そんなおとぎ話のようなことあり得ない!
「だけどあり得た。三百年前、精霊女王から奪い、霊具に閉じ込めた光と闇の大精霊の力を使うことで、あの男は魂を現世に留め続けていたんだ……この時のために」
「で、でも光と闇の大精霊は、常に精霊女王の傍にいるのでしょう? なら今だって私の傍にいるはずじゃ……」
「……いなかったんだよ」
「え?」
アランは私の方を見なかった変わりに、この身体を抱きしめる腕に力をこめた。
まるで覚悟を決めたかのように。
「大精霊はずっと行方不明だったんだ。ルドルフがクロージック家にやってきて、初めてエヴァを見たときからずっと。だから行方を追っていて――ようやく見つけた。あの男の霊具の中に……」
彼が見つめる先には、リズリー殿下の左手首に、鎖をとおし、ブレスレットのように着けられた金色の霊具があった。
つまり今まで私の側にいると、願いや祈りを叶えてくれていると思っていた光と闇の大精霊は、あの霊具の中にずっと閉じ込められたままだったってことなの?
聞いて……ない。
そんな話、一言も聞いていない。
私が聞かなかったから?
ちゃんと訊ねていたら、答えてくれた?
それとも――
「エルフィーランジュ」
リズリー殿下が、私の前世の名を呼ぶ。
愛する者を呼ぶような甘さを纏った声色で呼ばれると、心臓が締め付けられるような苦しさを覚える。
殿下の声なのに、彼の声ではないみたいに聞こえる。
さっきから変な汗が流れて止まらない。
両目がじんわりと熱を帯びる。
理由の分からない恐怖で震える私を強く抱きしめながら、アランが叫んだ。
「その名で彼女を呼ぶな‼ 今の彼女はエルフィーランジュでなく、エヴァだっ‼」
「それがどうした? 現世の名などどうでもいい」
「……エヴァとして生きてきた彼女の人生を、否定するつもりか」
「余によって大切なのは、エルフィーランジュの魂を持つ者かどうかだけだ。貴様のおかげで三百年前、彼女を救うことができなかったのだからな」
「すく、う……?」
アランの声からスッと熱が失われた。
強く抱きしめられることで伝わっていた彼の腕の震えが、ピタリと止まる。
青い瞳を大きく見開きながら、唇が僅かに動く。
「どの口が……言っている」
次の瞬間、アランの怒りが爆発した。
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