第60話 庭園での再会
私は一人で庭園に出ていた。
先ほどリズリー殿下たちがフォレスティ城に到着したという知らせを聞き、気持ちを落ち着けるために散歩に来たのだ。
相手は、バルバーリとフォレスティの王都までの道を可能な限り飛ばしてやって来たらしく、少しの休息後に話し合いが始まる予定だと、アランが不機嫌そうに言っていた。
彼の胸中としては、休息など与えず、さっさと話し合いを終えて帰って欲しい、という気持ちなのだろう。とはいえバルバーリ王国側も切羽詰まった状況であるためか、少し休んだら話し合いに入るらしい。
刻々と、私を追放した元凶と会う時間が近づいている。先日、アランにはあれだけ偉そうに言ったのに、いざ会うってなると腰が引けてしまう自分が情けない。
だけど、侍女の皆さんが普段以上の時間をかけて作り上げてくださった今の自分の姿を思い出すと、少しだけ心が前を向く。
いつも梳かして下ろしてもらっている髪型は、今日はとても可愛い。
全体的に少し巻いて、白い花がついた金色の髪飾りと一緒にゆるく編み下ろし、さらに両耳の上辺りには小さな花が集まった髪飾りがつけられている。
お花ばかりの装飾をみると、自然の国フォレスティ王国らしくて微笑ましい気持ちになる。
いつもは動きやすさを重視したドレスでお願いするのだけれど、今日のドレスはデザインを重視したもの。
光沢を放つ濃い青の布地の上には見事な刺繍が金糸で施されている。ただ、首元が少し大きく開いたデザインだから、胸の谷間が少し見えるのが恥ずかしいけれど。
スカート部分は、青の布地の隙間から白いフリルが顔をだしている。たくさんの布を重ねているため、スカートがふんわりと広がっていて可愛らしいシルエットだ。
侍女の皆さまの気合いが充分に伝わってくる、素晴らしい仕上がりになっている。
だけど、私だって負けてないわ。
婚約者のフリをすることが決まってから今日まで、できるだけアランと一緒に過ごし、婚約者同士の振る舞いを練習してきたのだから。
練習のかいもあり、今では手を繋ぐことも腕を組むことも自然にできるようになった。
二人掛け用の椅子に座るときも間を開けずに座れるようになったし、当初肩を抱かれると停止していた意識と身体だったけれど、意識だけは保てるようになったのは大きな進歩だし。
ルドルフやマリアに、私たちの距離感が不自然じゃないか何度も確認してもらったし、突然陛下と一緒にご訪問されたエスメラルダ妃殿下から、
『エヴァさん、それではいけませんっ! ほらもっと、瞳を潤ませてアランを見上げないとっ!』
『ほら、アランもボーッとしません! エヴァさんを二度と離さない気持ちを込めて、情熱的に手を握るのです!』
などなど、熱いアドバイスもたくさん頂いたし。
もう完璧すぎる。
こんな短期間で、恋愛上級者になってしまった自分が恐ろしい。
それをマリアに話したら、
「え、恋愛上級者? ま、まあ……以前のエヴァちゃんと比べたら、もの凄い成長には違いないわね!」
と、どこか苦笑いを浮かべながら言われたけれど、認められたってことでいいのよね?
自分の秘めたるポテンシャルに恐れを抱いていると、突然風が吹きぬけた。
目に違和感を感じ、涙が自然と零れ落ちる。どうやら小さなゴミが目に入ったみたい。
溢れた涙が異物を流してくれたからか、すぐに違和感はなくなったけれど、
「あっ! 待って……」
声を上げて手を伸ばしたけれど、時すでに遅し。
涙を拭ったハンカチは、再び吹き抜けた風によって飛んでいき、私の手が届かない木の枝に引っかかってしまった。
無くならなくて良かったけれど、手も届かない、ドレスのせいで木にも登れない今の私には、人を呼んで取って貰う選択肢しかない。
(もうっ! 寄りにも寄ってこの大変な時に……)
唇を噛みしめ、自身の失態を悔やんでいたその時、
「どうかなさいましたか? ご婦人」
不意に後ろから聞こえてきた男性の声に、心臓が凍り付いた。
全身が硬直し、握っていた手のひらから変な汗が噴き出る。
(この声……知ってる)
嫌というほど――知ってる。
間違いない、という気持ちと、間違っていて欲しい、という祈りを抱きながら、私はゆっくりと声の主の方を振り返った。
始めに視界に写ったのは、クセのないさらりとした金色の髪。そしていつも会うたびに不機嫌そうに眉間に皺を寄せて私を見ていた緑色の瞳。
架空の不敬罪を理由に私と婚約破棄をしたうえ国外追放を命じた人物――リズリー・ティエリ・ド・バルバーリの姿だった。
彼のそばには、バルバーリ王国とフォレスティ王国の護衛騎士が付き添っている。
ああ、不味いわ。
私を見る殿下の目が、驚きからか見開かれてる。
こちらに向かって手が伸ばされるのを見た瞬間、私は覚悟を決めて目を閉じた。
しかし、
「ああ、ハンカチが枝にひっかかったのですね? なら僕が取って差し上げますよ」
殿下の手は私の横を通り過ぎ、枝に引っかかっていたハンカチに向かっていく。そしてあろうことか、取ったハンカチを軽くたたみ、差し出してきたのだ。
私には一度も見せたことのない、柔らかな微笑みを浮かべながら。
「あ、ありがとう……ござい、ます……」
彼の態度に戸惑いながらも、私は礼を言ってハンカチを受け取った。殿下が何のつもりで私を助けたのかは分からない。
だけど、今すぐこの場から立ち去らないと。
「では、わ、私はこれで……」
「待って!」
立ち去ろうとした瞬間、突然手首を掴まれ、私の肩が大きく跳ねた。
それを見たフォレスティ王国の護衛騎士が、殿下と私の間に割って入る。私をその背で守るように彼の前に立ちはだかると、丁寧ながらも低い声で注意を促した。
「申し訳ございません、王太子殿下。こちらのご婦人はフォレスティ国王の客人。どうかそのお手をお離しください」
「あっ……ああ、すまない。悪気はなかったんだ。咄嗟に出た行動で……」
リズリー殿下は罰が悪そうに俯くと、私の手首から手を離した。
握られた感覚が手首に残っている。
(怖い、気持ち悪い……)
心が嫌悪感で一杯になる。
私を嫌っていたはずの殿下が私を助け、笑顔を見せてくるのが不気味で堪らない。
守ってくれた護衛騎士が早く立ち去るように目配せしてくれたけれど、殿下を知らない女性が見れば視線を奪われるような綺麗な笑みを浮かべ、発した言葉が私の足を止めた。
「失礼だが、あなたのお名前をお教え頂けないだろうか?」
「……え? な、なま、え……?」
「ああ、名乗らなくて申し訳ない。僕はリズリー・ティエリ・ド・バルバーリと申します。とある事情があって、フォレスティ城にやってきました」
リズリー殿下が、右手を軽く胸に当てながら名乗られた。
けれど、もちろん私が困惑したのは、相手が名乗っていないことが理由じゃないわけで。
もしかして殿下、
(私がエヴァだと、気付いていない?)
恐る恐る殿下の顔を直視すると、彼は何故か頬を赤らめて私から視線を反らした。私を悪者にしてでも連れ戻そうとやってきた人の顔じゃない。
もし私がエヴァだと気付いていれば、こんな穏やかな反応は見せないはずだもの。
確かに会いたくなかった相手ではある。
今後私の人生に関わってきて欲しくない相手ではある。
だけど、仮にも婚約者であった私を百日ちょっとで忘れてしまった殿下に、怒りがこみ上げてきた。
私はあなたに出会った瞬間、心臓が止まるかと思うほどの恐怖に襲われたというのに。
「……失礼ながら、私のような下賎な者の名など貴方さまが耳にする価値もございません」
「そ、そんなことはない! だから名を……」
「失礼いたします」
執拗に名を求める彼の言葉を断ち切るようにカーテシーをすると、私は殿下に背を向けて立ち去った。
フォレスティ王国の護衛騎士の一人が私に付き添ってくださっているのが、とても心強い。
リズリー殿下が後を追ってくることはなかった。
しかし私が城内に入るまで殿下はその場から動かず、ただ真っ直ぐこちらを見つめていたのが怖かった。
一体……何を考えているの?
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