第5話 精霊たちの悲鳴

 んん……身体、横になってるの?

 

 泣きつかれてしまった私は、いつの間にか眠ってしまったようだ。

 身体を起こすと、


「エヴァお嬢様、お目覚めになりましたか?」

「あ、アラン⁉」


 目線の先には、寝転ぶ私を優しく微笑みながら見下ろす彼の顔があった。


 マリアの膝かと思ったら、アランに膝枕をされていたんですけどっ!


 近くない?

 ちょっと急に距離感、近すぎない⁉


 顔が一気に熱をもった。

 絶対、耳の先まで真っ赤になってるわ、これっ! で、でも周りが暗いから、バレてない……わよね?


 ドキドキする気持ちを悟られない様、出来るだけ表情を動かさないように私は身体を起こした。背中を支えてくれる大きな手から、温もりが伝わってきて、さらにドキドキが加速する。


 駄目だ、私の心臓!

 鎮まれっ! 鎮まりたまえっ‼


 心の中で荒ぶる恋心を鎮めていると、不意に甲高い悲鳴が聞こえた。

 

「ちょっと止めて!」


 馬車の窓から顔を出し、御者席にいるルドルフに声をかけると、私から何かしら不穏な空気を感じたのか、彼の表情が真剣な物に変わり、馬車が止まった。


 急いで外に飛び出し、辺りを見回す。


 王都ガイアスタから、もう随分と離れていた。

 視線の先には、さっきまで私がいた城とガイアスタの街の光が小さく見える。マルティと殿下は、きっと今頃、私との婚約破棄と追放成功を喜んでいるだろうか。


 いや、今はそんなことを考えている場合じゃない。


「エヴァお嬢様、どうかなさいましたか⁉」


 アランも慌てて飛び出してきた。マリアもこちらに近づいてくる。


「悲鳴が聞こえた気がしたの……甲高い悲鳴が……」

「悲鳴……ですか?」

「ええ」


 実は、これが初めてじゃない。

 ふとした時に、同じような悲鳴が聞こえることがあった。だけど誰も聞いていないというし、私の聞き間違いかとずっと思っていたのだけど。


 アラン達は困惑した表情で互いを見つめ合っている。

 ああ、やっぱり私のかんちが――


「お嬢様には聞こえるのですね、あの声が」

「え? ってことは、あなたも?」

「はい。私もマリアもルドルフも、聞こえていますよ。あれは……精霊たちの悲鳴です」

「精霊って、精霊魔法を使う時に力を借りてるあの精霊のこと……よね?」

「はい、そうです」


 アランは神妙な顔つきで頷いた。そしてどこか苦しそうに表情を歪めると、王都の光へと視線を向ける。


「エヴァお嬢様は、<ギアス>という魔法をご存じですか?」

「ええ、もちろん知ってるわ」


 精霊魔法は、この世界のあらゆる場所に存在している精霊にお願いして、力を分けて貰うことで使える魔法だ。

 

 だから、精霊に気に入られなければ力を貸して貰えないし、気に入られる度合いによっても、魔法の効力が変わってくる。


 精霊は、心が清い人間を好むため、精霊魔法を使う者は常に、自らの心が清廉であるように努める必要がある。一度精霊に気に入られても、心が邪になってしまえば、精霊は力を貸してくれないのだ。


 でもバルバーリ王国で使われる精霊魔法は少し違う。


 この国の王であり大精霊魔法士であった、ソルマンによって作られた<ギアス>という魔法で、霊具という道具に精霊を閉じ込め、そこから力を引き出しているの。そうすることで、精霊のお気に入り関係なく、一定の効力が保証される。


 だから、この国ではギアスを使った霊具による精霊魔法が一般的だ。


 でもお父様が言っていた。


 精霊を敬い、仲良くしたいと願えば、ギアスなど使わなくても、精霊は力を貸してくれるんだって。


 別に彼らも、私たち人間に聖人と呼ばれるほどの清らかさは求めていない。特別なことはしなくていいから、精霊に見られていることを意識して、常日頃から正しい行いを心がければいいんだって。


 お父様の代までのクロージック家では、ギアスを使った精霊魔法は使っていなかったと聞いてる。それにアランたちも、ギアスを使わずに精霊魔法を使う数少ない人間。


 まあ私は、精霊魔法どころかギアス自体使えない無能力者だから、関係ないのだけれど。


「この国の精霊魔法は、ギアスで精霊を霊具に閉じ込め、精霊の中にあるマナが尽きて消滅するまで使役します。今お嬢様が聞いているのは、ギアスで霊具に囚われた、哀れな精霊たちの断末魔なのです」

「う、うそ……そんな……」

「精霊が消滅すれば、またギアスを使って精霊と閉じ込め、消滅するまで使役する。それがバルバーリ王国の精霊魔法なのですよ」


 精霊魔法は生活の一部だ。だけどこんなの……酷すぎる。

 また一つ、甲高い悲鳴が聞こえた。辛くなって思わず私は耳を塞いだ。そんな私の肩に、そっとアランが後ろから手を置く。


「精霊たちを、救いたいですか?」


 目を見開いた。

 振りかえると、長い前髪の間から、彼の青い瞳が私を映していた。

 また一つ、悲鳴があがり、消えて行く。


 迷いはなかった。


「ええ、だってお父様が言っていたもの。ギアスなんて使わなくても、精霊と仲良くすれば彼らは力を貸してくれると。他の国の精霊魔法だってそうなのでしょ? ならバルバーリ王国だけこんな方法……絶対に間違ってるわ」

「なら、祈ってくださいませんか?」

「祈る?」


 私はきょとんとし、アランの言葉を一部反芻した。

 だが彼は真剣な表情のまま、力強く頷いた。


「はい。霊具の中で今もなお苦しんでいる精霊たちが救われるよう、祈って欲しいのです」

「で、でも、祈ってどうするの? 何にもならないでしょ?」

「どうか……お願いします、エヴァ様! 力を奪われる苦痛を受け、苦しみ続ける彼らのために、どうか……」


 マリアが涙混じりの声で私に頭を下げた。ルドルフは何も言わなかったけど、頭に被っていた帽子を胸に当てて、マリアと同じように深々と頭を下げた。


 何をもって三人が私に、精霊たちが救われるように祈って欲しい、と言っているのか分からない。

 だけど、突っぱねる理由もなかった。

 どちらにしても、無能力者の私には、ここで祈ることしかできないのだから。


「分かったわ」


 私は膝をつくと、明々と光が照らされた王都に向かって祈りを捧げた。


(ギアスによって閉じ込められ、苦しむ精霊たちが救われますように……)


 強く強く祈った。

 今まで私たちの生活の為に犠牲になった精霊たちに哀悼の意を、そして今も苦しむ精霊たちのこれからが心安らかなものであること願って。


「ありがとうございます、エヴァ様」


 アランの声に、私はハッと顔をあげた。目線の先には、先ほどと変わらない光に満ちた王都が映った。


 ああやっぱり、私の祈りなんて意味ないわよね。

 あれだけ三人に請われたから、もしかすると何かあるんじゃないかと、ほんの少しだけ期待したのは秘密。


 結局私は、無能力者。

 何も変えることはできないんだわ。

 

 そう思ったとき、何故かアランの表情が気になった。


 だって何も変えられず、残念な気持ちを抱く私とは正反対に、どこか嬉しそうに口角を上げながら、王都を見つめていたから。

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