第4話 逃亡の同行者たち
私を追う者はいなかった。
城を出ると、表には一台の見慣れない地味な馬車が止まっていた。
「エヴァお嬢様! こちらです!」
「アランっ!」
御者席からこちらに駆け寄ってくるのは、アランの姿。御者席の横には、髭をたくわえた白髪の老人――庭師であるルドルフ・セイ・アンドレスと、馬車の窓から顔を出した茶色の髪をお下げにした二十代後半の女性――給仕係のマリア・キエ・ルイーゼの姿がある。
ルドルフは私が二歳だった二十年前、そしてマリアとアランは十年前、ルドルフの紹介でこの屋敷にやって来た。私が使用人の立場に落とされても態度を変えず、公爵令嬢として敬ってくれた数少ない人物だ。
追放を選んだ後、王都に残っていたらどんな目に遭うか分からないから、アランには、今まで貯めたお金を預け、必要な物を用意して貰い、馬で迎えに来て貰うようにお願していたのだけれど、何故、マリアとルドルフも一緒なの?
それに、何故馬じゃなくて馬車なの?
しかし質問を投げる前に、馬車に乗せられてしまった。
動き出すと、ドレスを着替えるため、マリアが全てのカーテンを閉じてくれた。
差し出されたのは、いつも着ている、少しくたびれたブラウスとベスト、そしてスカートだ。うん、お古のドレスなんかよりも、こっちの方が断然しっくりくる。
着替えを終えた私は、窓から顔をだしてアランにお礼を言った。
「ありがとう、アラン! 私のお願いを聞いてくれて」
「お願いを聞いたわけではありません。お嬢様をお守りすることは、亡きご主人様と私たちの意思ですから」
「え?」
お父様の?
アランは厳しい視線を前に向けた。
「お亡くなりになられた前御当主セリック様は、エヴァお嬢様の将来を案じておられました。だからもし、お嬢様の身に不幸が降りかかることがあれば守って欲しいと、親しかったルドルフに託されたそうです。バルバーリ王家のクロージック家に対する扱いは、年々酷くなっていったらしいですから、きっと今回の件も、予感していたのでしょう」
「そう……だったの」
こうして今もなお、お父様に守られているような気持ちになって、心の奥がジンッと熱くなった。
感傷に浸っている私の耳に、隣にいるマリアの悲しそうな声色が届く。
「今までエヴァお嬢様を遠くから見守ることしか出来ず、本当に申し訳ございませんでした……」
「わしもです……無駄に歳をとるだけで、お嬢様の何のお役にも立てずに……」
「そんなことないわ、マリア、ルドルフ! アランも含めて、あなたたち三人はとても良くしてくれたもの! あなたたちは、立場を落とされた私に対して、決して態度を変えなかったし、空腹だった私にこっそり食べ物をくれたり、怪我をしたら治療してくれたりしたじゃない! それ以外にも、たくさん助けて貰ったわ。逆にお礼を言いたいくらいよ。今まで、本当にありがとう……」
私はそう言って、マリアの手を強く握った。マリアは、一言、もったいないお言葉です、と呟くと、スンスンと鼻を啜っている。
アランの明るい声が、しんみりした雰囲気を変えた。
「でも、これからは私たちがともにあります。あなたの行くところ、どこへでもおともし、必ずお守りいたしますから!」
……え?
「ちょっ、ちょっと待って! 私、一人で国を出るつもりなのだけどっ!」
ある程度、距離が離れればアランたちと別れるつもりだった。優しい彼らに、これ以上の迷惑を掛けたくなかったから。
だけど、彼らは違った。
もとより、私と一緒に国を出るつもりだったらしい。
ああ、だから馬じゃなくて、馬車だったのね。後ろに乗っている荷物も、明らか一人分ではないし。
困惑しながら交互に荷物と三人に視線を向ける私に、目元を指で拭ったマリアが笑いかけてきた。
「正当な血筋であるエヴァ様に、あのような仕打ちをする今のクロージック家に、私たちは何の未練もありません。ですから、あなたのおともさせて頂きたいのです」
きっぱり言い切られ、そして、彼女の言葉に賛同するように、アランとルドルフが強く頷くのを見ると、断ることができなかった。
実際に追放の身となり、国外に旅立とうとしている今、正直様々な不安が湧き上がっていたから。
だから、
「ええ、分かったわ」
そう小さく頷いた。
視線を前に向けると、優しく微笑むルドルフが大きく頷き、アランがチラッとこちらを一瞥して口角を上げた。
私は、幸せ者だわ。
この身を案じ、付いてきてくれる人たちがいるんだから――
そう思うと、今まで張りつめていたものが解けたように、涙が溢れて止まらなくなった。
「ありがとう、アラン、マリア、ルドルフ……ほんとうに……本当に嬉、し……」
鳩尾辺りが震え、喉からしゃくり上げる音が飛び出す。
ああ私、やっぱり辛かったのね。
今まで、マルティたち家族や周囲に笑いものにされても耐えてこられたのは、自分の自尊心や心の自由は、他人には奪えないと、アランから教えて貰ったからだ。
今まで、どれだけ嫌なことがあっても我慢できたのは、その嫌な気持ちを引きずるか、さっさと忘れて楽しい気持ちになるかを自分の心が決められることを、何となく知っていたからだ。
だけど、やっぱり苦しいものは苦しかった。
殿下の裏切りと婚約破棄は分かってはいたし、私を邪険に扱いながらも、婚前に無理矢理身体を求めてくるようなろくでもない相手だったけど、マルティと殿下の会話の際に、彼の口から追放の言葉が軽く出たのは、正直ショックだった。
まるで、死ねと言われた気がしたから。
「よく……今まで耐えてこられましたね、エヴァお嬢様。これから貴女は、自由ですから」
マリアの優しい声とともに、私の頭がそっと撫でられた。
その温かさがとても優しくて、亡くなったお父様のことを思い出しながら、そして今までの辛い出来事を思い出し、声をあげて泣いてしまった。
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