後輩


 1年前にウチを辞めた先輩を、会議の場で見かけて驚いた。


 先輩は僕が新人だった頃に、仕事のイロハを教えてくれた人だ。しかし、僕が軌道エレベーターのステーション部分の工事監督者に推薦される話が出た際に、急に感情を爆発させて会社を辞めてしまった。原因は今でもわからない。


 あの日、僕は会社の入り口まで先輩を追いかけたのだが、小雨が降る中、雨に気づいた様子もなく走っていく先輩を見て、追いかけるのを迷ってしまった。それ以降、先輩の姿を見たのは今日が始めてになる。


 社長の話では、先輩は僕と同じく、宇宙へ出ることを夢見ていたのだそうだ。そのために宇宙工学科のある大学に進学し、しかし半年ほどで退学して、軌道エレベーターの建設が始まったこの街に来たらしい。


 僕も宇宙工学科の大学を中退しているので、その気持ちはよくわかる。きっと始まらない専門的な授業と、宇宙関係ではない先輩たちの就職先を聞いて、絶望したのだろう。極度に無駄を嫌う人だったから。


 先輩がこの街で仕事をすることを選んだことから考えて、宇宙を諦めたわけではなかったのだと思う。だが、僕は先輩から宇宙に出たいという話は聞いたことがない。それについて何か努力をしているという話もだ。


 それは社長も同様だったと聞いている。そして社長は、それを先輩の意思表示だと思っていたのだろう。


 一方で、僕は大学を辞めた後、宇宙に出るために必要になりそうな資格をいくつか取っていた。宇宙へ出たい他の社員たちも、当然そうしていたからだ。

 あの時、ステーションの工事監督として僕に声がかかったのは、宇宙に出られるだけの体力があることや、ネットワークの専門知識がある事以外に、仕様上作業員に求められていた資格を持っていたからにすぎない。


 あの日の反応から考えて、きっと先輩はそんなことを知らなかったのだろう。先輩も必要な資格を積み上げていれば、選ばれたのは先輩だったかもしれない。


「よぉ。久しぶりだな。元気にしてんの?」


 休憩所で缶コーヒーを片手に回想に浸っていると、そのキッカケになった先輩がニヤニヤした顔で声をかけてきた。あちらも僕に気づいていたらしい。


「お久しぶりです先輩。おかげさまで元気にやってますよ」


 先輩に向き直って、頭を下げる。僕がいろいろな資格を取っていることをちゃんと説明していれば、先輩にもチャンスがあったと思うと申し訳ない気持ちでいっぱいになる。


「そうかー。最近全然仕事が取れてないって聞いてたけど、元気なのか。相変わらず能天気そうで安心したわ」


 確かに、ここ数ヶ月ウチからの機材の納入は現在ストップしていた。軌道エレベーターの工事が宇宙港建設段階に進んで、うちの得意分野の機材が減ってしまっているのが要因なのだろうが、最近これまでの情報収集方法が通用しなくなっていると社長がぼやいていたのを聞いたことがある。


「確かに新たな調達の入札ではうまく行ってませんが、大丈夫ですよ。うちには複数年の保守契約があるし、軌道上の工事の下請けもありますから」


 心配されているのかと返事をしたら、先輩が小さく舌打ちしたのが聞こえた。どうやら嫌味だったようだ。


「先輩こそ今何をしているんですか? なんかパリッとした格好してますけど」


 気になって尋ねてみる。先輩は仕立ての良いスーツを着て、ブランドものらしい靴を履いている。身なりに関して言えば、ウチにいた時より上質なものになっていた。


「ああ、技術営業だよ。次の案件を取れれば、一千億円プレイヤーになる。俺一人でお前んとこの会社の年間売り上げ超えるな。」


 先輩は自慢げに笑うが、それがどうもしっくりこない。本当にそんな事が可能なのだろうか。


「それは凄い。どうやったんですか?」


 先輩は言われた事は効率的にやっていたけど、そこまでの魔法使いではなかったと思う。


「昔から、お前んとこの社長、効率悪いと思ってたんだよ。実力あるのに何でいちいち同業他社の顔色をうかがってるのか、理解できなかったんだ。で、転職先は大手だったからその辺の気づかいを捨ててみたら、これが大当たり。中小はつらいよな」


 小馬鹿にされているような気配を感じて、急激に話をしにくくなる。やはり、宇宙に出られなかったことを今でも恨んでいるのだろうか?

 溢れ出る怪しい気配に、先輩の事が心配になってくる。思い返してみれば、先輩がいなくなった日、社長が何を言いたかったのか先輩は気づいていなかったのかもしれない。


「まぁ、軌道エレベーターの工事はいろいろうるさいですからね。僕らのところなんか、吹けば飛びますし」


 先輩はニヤニヤを崩さない。


「中小だとそうだよな。まぁせいぜい大手を怒らせないようにするこった。じゃあまたな」


 先輩はそれだけ言うと立ち上がって、休憩所を出ていった。


 それを見送りながら、考える。中小と大手ならば、確かに中小は大手を怒らせると商売の障害になる。だが、この業界のルールはそれだけではない。


 社長はあの日、先輩に業界のいろいろなルールについて、それとなく説明しようとしていたのだと思う。社長は先輩に期待していたから、事あるごとに教えようとしていた。

 先輩は昔、社長の長話は早めに遮ったほうが効率的、なんてことを言って、いつも自分の仕事を最短で終わらせることに終始していたから、多分ルールの重要性を理解していなかったのだろう。

 もしも先輩が、社長の行動が中小企業と大企業の差から来るものだけだと思っているなら、この先きっと失敗する。だが、それは僕が言うべきことじゃない。


「うまく行かないもんなんだな。社長が聞いたら悲しみそうだ」


 時計を見ると、間もなく休憩が終わる時間だった。缶コーヒーを飲み干して、自販機の横にあるゴミ箱に空き缶を捨てる。


 少し重たい足を引きずって、廊下に出たところで、廊下に人があふれていることに気が付いた。


「どういうことっすか! 俺は悪いことは何もやってないっすよ!」


 廊下の人だかりの奥から、先輩の動揺した声が聞こえてくる。背伸びして廊下の先を見ると、先輩が数人の黒スーツの男達に囲まれた状態で、何かの紙を見せられていた。


「だから言っているだろう。容疑は収賄と談合だ。裁判所の逮捕状もちゃんとある。詳しい話は後で聞いてやるから。」


 先輩が手首に手錠をかけられる場面を目にして、何となく納得する。


「5回連続で落札とか、さすがにおかしいよな。そら公正取引条約機構も動くわ」


「ああ、あいつやっぱりやってたか。担当者と旅行の話とかしてたから、おかしいとは思ってたんだ」


「そういえば俺、あいつが別の会社の営業と酒飲んでるの見たことある」


 周囲から囁きが聞こえてきて、だいたいの概要がわかってきた。やはり懸念した通り、先輩は知らなかったのだ。軌道エレベーターの建設は人類の夢であり、この街には世界中から人と物と金、それに技術が集まってくる。


 そして、そういう各国の利害が入り乱れる環境下では公平性が最も重視され、不正に対する監視は強くなる。発注元に安易に技術提供することは特定の技術への誘導と解釈されかねないし、食事に行っておごるのは利益や便宜の供与と解釈されかねない。

 そういったことを、先輩は学ばなかったのだ。


「何だよ。収賄って! 一緒に仕事してたらご飯ぐらい行くだろ! お世話になってんだからこっちが払うことぐらい当たり前じゃねぇか! 談合だって、事前に知り合いに声かけといただけだ。根回し大事だって聞いたことあるだろ! なぁ、俺悪くねぇって! 聞いてくれって!」


 先輩が連行に抵抗して、色々叫んでいるが、そのすべてが、先輩の無知をさらす。宇宙への出方にせよ、営業のルールにせよ、学ぶ機会は十分にあったはずなのに。


 すがるような目をした先輩と、一瞬視線が絡んだが、チクリと罪悪感が疼いて、すぐに目を逸らした。たったそれだけで、先輩の声がピタリと止まる。


「おっ? どうした急に」


 黒スーツの男の拍子抜けした声が聞こえたので、気になってチラリと盗み見ると、瞳孔がキュッと小さくなった状態で、先輩は真っ青になって放心していた。


 そのまま先輩は、唯々諾々と黒スーツの男達に連行されていく。


「俺よりも、無駄な事ばっかやってる非効率なクズどもの方が正しいってのか。何で俺ばっかり馬鹿にされる。何で、どうして・・・・・」


 先輩が両脇を抱えられて横を通り過ぎる時、うわ言のような声が聞こえた。きっと、心の底からの声なのだと思うが、肯定できる要素がまったく見当たらない。


 廊下の窓からは、軌道エレベーターのワイヤーに取り付けられた航空障害灯の灯りが、点々と遥か彼方の星空に向かって溶け込んでいくのが見える。この街でしか見られない、幻想的な夜景だ。


 先輩にとって、僕らは『非効率なクズども』なのだろう。そして、先輩のようなクズもきっと世の中にはたくさんいる。それこそ、星の数ほど。


 先輩は、いや僕らは、いったいどこで何を間違えてしまったのだろう?


 答えは見つかりそうもないが、各国の叡智を結集した人類の夢は、そのクズたちの手によって、もうすぐ完成する―――

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