人類が滅んだのは明るい真夜中のことでした

夕幻吹雪

この砂時計が全て壊れるその日まで


 数十年に一度の皆既日食。

 わたしとがあなたが会える、唯一の時間。



 ✡✡✡



 カラカラカラ。ベランダのサッシが軽やかな音を奏でた。6月の、まだ夏とも言えない春の終わり。梅雨も始まらない。そんな、少し不思議なこの季節。少し湿った風がわたしの髪を靡かせた。


「もうすぐ会えるね。あなた」


 冷たくて、無愛想でけれどもとても優しいあなたを想像して、そうひとりごちた。視界を遮るように蠢く白いカーテンを手でそっと払い除け、ベランダの手すりによりかかる。頭上に広がる空はあの頃と何も変わっていなかった。変わっていくのはそう。いつも、いつも。人間だけ。


「〜〜♪」


 目を閉じわたしは歌う。この世界を慈しむ終わりの歌を。



 ✡✡✡



【人類滅亡計画】


 20XX年。人類の総人口は百三十億を突破し、生命の星『地球』は限界を迎えようとしていた。そんな頃にどこからか。まことしやかに囁かれるある一つの計画があった。それが【人類滅亡計画】。


 ありえない話だと、一笑に付す人が多かった。どこかのマッドサイエンティストか、はたまた頭の狂った宗教的ななにかか。それとも承認欲求に飢えた天使たちが作り上げた戯言か。誰かが広め始めた荒唐無稽な馬鹿馬鹿しいただの「噂」。一体誰がこんなモノを信じようか?


 だが、この話は今もなお生き続いている。それはなぜか。簡単なことだ。あり得ない噂の中に、ほんの少しの、己の心に不安として刺さり、頭の片隅に残る「真実」がそこには含まれていたからだ。


 歌を止め、わたしは遠くそびえるビル群に目を向けた。海上数百メートルはあるだろう上層部には、黒い粒子がまるでとぐろを巻いたヘビのように立ち込めている。


 彼がこれを見たら、一体何て言うだろう。わたしはビルを見つめながらそう考えた。なにも言わずにただ、悲しい顔をするだろうか。それとも、怒りに満ちた顔であなたはただ、わたしを強く抱くだろうか。


『人の手で始めたのならば、人の手で終わらせなければならない』


 いつかの日の、どこかの場所で、彼はわたしにそう言った。シーツの衣が擦れる音が静かに響くなか、彼の瞳に静かな炎が揺らめいていた。


『これ以上、地球に、自然に負担をかけ続けるわけにはいかない。元ある姿へ、本来の美しい姿に戻すために。必要なんだ。これは、そのための計画救済だ』


 瞳の奥に悲哀を滲ませて。救済とのたまう彼はどこか、狂気的な何かを宿していたように感じた。


 回想の縁から現実へ意識を戻し身を乗り出した。マンションの眼下を眺める。この星で、この世界で、もう生きる道など何一つ残ってはいなかった。


 ✡✡✡


【人類滅亡計画】


『よく、俺が言うものを覚えておけ。地球ここ生命の星ここで無くなるこれはカウントダウンだ』


 すうっと彼のその端正な唇が弧を描いた。かつて彼がわたにそう暗く囁いたのを今でもはっきりと覚えている。


|『6Risks That Threaten Human Civilization』《人類をおびやかす6のリスク》


「1]気候変動

[2]核戦争

[3]世界規模のパンデミック

[4]生態系の崩壊

[5]国際的なシステムの崩壊

[6]合成生物学


 それが。彼があげた計画始動のための決して達成してはいけない、条件だった。


『わかった、覚えておく』


 そんな日はきっとこないと、わたしは信じていた。だって、当時のわたしの眼の前に広がっているのは変わらず美しい地球のままだったから。


 けれど、達成される《壊れる》のは案外早かった。


 一つ目の、気候変動。これは、大量生産大量消費による資源の枯渇が最もな原因だった。


 産業革命以降、人類は石炭・石油を始めとする化石燃料。天然ガスなどのガスエネルギー。豊かさを求めた人類は『自然よりも発展』のもと有限のエネルギーを発掘し使い続けてきた。


「これは5年前」


 部屋から持ってきたケースの箱を開け、赤黒いダーツの矢を取り出す。ヒュッと部屋の中へ向けて放てば、スパン、と勢いよく壁に貼られた写真に刺さった。


 石油が枯れ、ガスが湧きでなくなるのは案外早かったよ。掘っても。掘っても掘っても。石油が、エネルギーが湧き出ることはなかった。


 ぐるぐるぐるぐる。狂った歯車が止まらないように、一心不乱に石油を掘ろうと、『枯渇』という可能性を頭から追い出した人間は、決してその事実を見ようとはしなかった。なにかに取り憑かれたように人々は枯れた油田に向かってただ杭を打ち続けた。


 そうすることで自分の思考も繋ぎ止めてしまったのだろう。


 人類は膨大な量のエネルギーを湯水のように消費し続けてきた。そしてそのツケが津波の前の引き潮のように静かに、そしてたしかに回ってきた。


 海面上昇は未だ収まる気配を見せず、年々上昇傾向にある。さらに、二酸化炭素などの温室効果ガスの排出が和らぐ様子なんて微塵もなかった。工場は昼夜問わず稼働し続け、浄化する工程をとばされた空気が絶えず吐き出されている。まだ六月だというのに気温は。高いと思うか、まだ、低いと思うのか。


 延々と吐き出される灰色の煙はいつしか空全体を覆い、人体に害を与えるようになっていった。


「けほ、けほ……、ごほ」


 汚れた雲から広がるのは有毒な化学物質。息を吸えば咳が出て、目に触れるだけで視界が滲む。


 灰色の空。青空なんて、そんなものはおとぎ話の中にしか存在しない。


 しばらく外の空気に触れていたせいだろうか。ひどく息苦しかった。わたしはその場にうずくまり、呼吸を整える。手すりの隙間から地上の下が見えた。しれず乾いた笑い声が漏れた。


「……は、あはは。そういえば、いま私が住んでいるこのマンションも。海に沈んじゃった家の上に建てたんだよね」


 かの有名なイタリアの水上都市ベネチア。高潮により街が沈むあの光景が、今ここでも起こっている。魚の影も海藻もなにも見えない。漂うのはプラスチックの破片と、今日も どこかで流された排水だけ。七色に濁るその海にわたしは笑いかける。


「沈みゆく街に、人間は何を思った?」


 きっと何も思いやしないだろう。何かしら思うことがあったのならばこんなことになんてきっと、なりはしないのだから。反省も、後悔も。懺悔もきっとなにもない。


 そう、だから、終わらせる必要があるのだ。


 立ち上がると若干ふらついた。ベランダに置いたテーブルに手をつくと指先になにかがあたった。


 それはずいぶん古い日付の新聞だった。


【地球を捨てて宇宙へ行こう!】


 すぅと指を滑らせてその文字をなぞる。どこかの新聞記者が発行した新聞。馬鹿な政治家がばら撒いたこの言葉は国民に何を植え付けていったというのか。


 むだな希望か、無知な洗脳か、身勝手な責任転嫁か。


『地球?……ああ、そんなのダメになったら次に行けばいいんだよ。……ほら、そこの君も。使えなくなったものはどんどん捨てるだろう?それと一緒だよ』


 この国の総理の言葉だった。


『この国は資源に乏しく、土地も狭い!昔は海なんかの海洋資源を当てにしていたようだが、今じゃそれも、ねぇ?それにくらべえて、宇宙はどうだ!夢と希望が詰まっている。地球はもうおしまいだよ。さぁ、国民の皆々様っ!こんな汚い、使い道のない星なんか捨てて、空へと旅立ちましょう!』


 声高々に演説する馬鹿が滑稽だった。

 いらなくなったら、捨てればいいのだろうか。使えなくなれば、捨てて良いものなのだろうか。『地球』はそんなふうに扱って良いものだったのだろうか。


 これはこんな単純な問題だったの。


 なぜもっともっと、考えないのだろう。なぜ笑って言えるのだろう。


「地球をすてて宇宙へいこう?」


 ぎゅう、と手のひらに力が入った。なにを馬鹿なこと言っているのか。


 そうして条件は面白いほど達成されていったの。

 気候変動による生態系の崩壊と核戦争。それが招いた食糧難。核戦争による環境汚染。


 どこかの馬鹿な国が核兵器を使って戦争を起こした。上空から落とされた核爆弾はその国を焼き尽くした。街も文化も人も動物も自然も。何もかも。だが、悲劇はそこからだったのだ。爆発した際に大量の放射線物質が巻き散らかせありとあらゆるものを汚染していった。それに伴い、土壌が川が海が。


 一見。何ら普遍のないものでも。

 その実。元の姿とは大きくかけ離れていることなどざらにある。


 ニ本目、三本目の矢をヒュッと放つ。一本目の矢の左右の隣。同じく色褪せた写真に突き刺さる。

 すると。


「「「おれたちに食料をよこせーーッッッッ!!!!」」」


 階下から群衆の叫び声が聞こえてきた。叫び声と言っても威勢がある理由でもない。地を這うような低い声が地獄の底からこの現世にやってきた悪鬼のような声だった。


「ああ、またね」


 フードを被り、裾切れたローブを身にまとった人々マンションの駐車場に詰め寄せている。


 今日は月に二度程度の配給の日だった。配給といっても良いものはけっしてもらえない。それにこの配給を貰うにはお金を払わなくてはならなかった。子供の拳ほどのしゃがいも三つで三万円。人の腕程度のさつまいも一本一万五千円。


 人々はこのわずかな食料を取り合った。


「押すんじゃねぇよ!これはおれんだッッ!!」

「うるっさいわね!こっちによこしなさいよっ」

「やめろバカ!!」


 黒く汚れたローブのせいで、上から見ると巨大なゴミがうごめいているように見えてしまう。こんな事態を引き起こしたのはお前たちだと言うのに、あっくまで被害者ヅラをさげている。


「醜い」


 嫌悪感が酷かった。軽蔑するような視線を上階から向けるが気づくものは誰もいない。


 自然はまるで我々を嘆き怒るように、この地球に異常気象という名の災害を与えた。風が吹けばホコリを吹き飛ばすかのようにゴミが飛び、雨が降ればそれは裁きの業火とでもいうような肌を焼け爛れらせるクスリが降る。


 くすくすくす。笑い声を漏らせば風がふわりと生臭い空気を運んできた。


 それは人々が出したゴミの臭いか。はたまたこの地球の出す腐敗臭か。


 皆既日食が始まるまであと10分。

 もう少し、話を続けるとしよう。

 もちろん、つきあってくれるよね?




 腐ったこの星は緑を育むことをしなくなった。


 配給により配られている食料は下流階級専用だ。政府が徹底管理し配給と称して配るあれは、ただの毒薬だ。彼らは命の選別を行っている。所得が低く、学のない。まぁ、かろうじて尻尾と毛皮のない猿ども下流階級の人間など、必要ないし、気にかけてもいないのだろう。


 何にせよ、あんなサプリ食事を口にできるだけ。わたしは恵まれているのかもしれない。最期にまともな食事を。食料を口にしたのはいつだったかなんて、聞かないでくれるだろうか。


「ママーー!皆既日食、もーすぐだよね!!」


 声が聞こえ、マンションの外に目を向けると、みすぼらしい親子が歩いていた。まだ幼い子どもがはしゃいでいる。骨と皮だけのその体を引きずるようにしながらもその顔には笑みが浮かんでいた。


「今日のやつ見たらさー、また次も見れるかなぁ?」


 何も知らない無知な子供。


「そうねぇ…………、きっと見れるわよ」


 母親はどうにか笑みを浮かべた。落ち窪み生気の失せた瞳は我が子すらも映していなかった。抜け落ちてスカスカになった口の中がただ事実を垣間見せていた。


「………もうすぐ、どうにかなるわ」


 何もしようとしない無気力な大人。


「きっと誰かが、どうにかしてくれるはずよ……」


 同調意識は美徳である。なんて誰が言い出したのか。自分の頭で考えることを放棄し、指示待ち人間になったものの末路が、彼女であり、この国に住む民であると言うならば、こんな皮肉はないだろう。


「次なんて無いよ。これが最後」


 くす、と笑いながらそう呟いたがきっと彼らには聞こえていないだろう。


 なぜって?


 もう私達にそんな時間は残されていないのだから。


 世界規模のパンデミックは起き、国際システムは機能しなくなった。永久凍土は溶けその中から未知のウイルスが湧き出た。物資も人手も何もかも足りないこの世の中で。誰も彼もが自分のことに必死になるその状態で、人類がどうにかできるはずもなかった。


「権力者は自分を守ることで精一杯だしけれど」


 食料不足により世界中で飢餓が起こり合成生物学は発展した。

 するとビュゴオオ、と強い風が突然吹いた。けたたましい鳴き声とともに人間が生み出したキメラがわたしの前に姿を現した。


「――っん!」

「キエエェェェェェェェッッッッ」


 彼らもまた。人類が発展するための土台。犠牲者に過ぎなかった。宙を旋回し地上にいる人間を次々に襲っては捕食していく。


 キメラは雑食だ。かつて、人類の食料として設計され、創り出された。けれどただの失敗作に過ぎなかった。食用として太古から飼育されてきた動物の特徴をかけ合わせ、より大きく、可食部が多いように設計したはずなのにその肉はとても食べられたものっじゃなかった。


 そのうち、バァンッと遠くから小型ミサイルが飛んできてキメラに直撃した。断末魔の悲鳴を上げながらもどうにか逃げようともがいている。


「キエェェ……、ギエェェェエッッ」


 人間によって生み出された彼は。人間の手によっていま屠られた。この世界は、今や人間も動物も、生きることさえままならない。叶わない。


 理不尽で、傲慢な人間の所業が悲劇を生み出していく。


 もう、皆既日食が始まる。


 こんなものを見たというのに同仕様もなく気持ちは高ぶってしまう。気持ちの良い高揚感となんとも言えない焦燥感が体を駆け巡る。ニンゲンに対しての感情など。もう、持ち合わせてはいない。あるのはそう。あなたへの愛情だけ。


 まだ。まだあなたは来ない。遅い。不安が身にまとうけれど、不思議と嫌な感じはしなかった。


 やがて。


 ガチャンッと音がして白衣を羽織ったあなたが入って来た。


「――遅くなって、すまない」


 息を切らせ僅かに眉を下げるあなたに私は優しく首を振る。


「もう始まっちゃうよ」


 そう声をかければ彼は大事そうにケースの中から砂時計を取り出した。ベランダのテーブルにその砂時計を置く。私もケースから砂時計を取り出し隣に置く。


 私は金。あなたは銀。


「そろそろだな」

「うん」


 私とあなたが互いの砂時計をひっくり返したその時。まるでタイミングを見計らっていたかのように皆既日食が始まった。


 時間は7


 ゆっくり。ゆっくり。太陽が月に喰われていく。

 それとは対象的に。数十年に一度の皆既日食に目もくれず、早く。速く。私達は愛を伝え合う。


 スッと。


 地平線の奥から。首都、東京から。電気が落ちていく。皆既日食をより一層、見るために。


 さらさらさらさら。砂時計の砂が落ちていく。


「もうどうすることも、できないの?」


 優しく頬を撫でられながら私は問う。


「これは……、終わりではない。始まりだ」


 あなたはそっと私の唇にキスを落とした。

 次第に。昼が夜へと移ろっていった。頭上にあった太陽は今はもう。半分ほどに欠けている。あなたに肩を抱かれながら二人揃って世界を見る。


 変わり果ててしまった。この地球を。


 路上にはゴミが溢れかえり。飢えた、獣のような人間が彷徨っている。遠くで。不気味なサイレンの音がなり始めた。


 ギュッと。あなたが、掴む肩にそっと手を添える。ポタッと。添えた手に何かが落ちた。


「……………………っ」


 それはあなたの涙だった。いや。あなたのこの地球を憂う心だったのかもしれない。



 もうすぐ。月が太陽を覆い隠す。


 もうすぐ。世界中の光が落ちる。


 もうすぐ。砂時計の砂が落ちる。



「……5、4」

 私はいう。

「……っ3、2」

 あなたが言う。


 ―――愛している


 わたしたちは再度優しく熱いキスを交わした。


 月が太陽を完全に覆い隠し、世界が闇に包まれた。昼は真夜中へと転じ、黒く暗い。夜が始まった。


 一切の光が届かないはずのその瞬間。人類の誰もがこの世界の神秘に。自らが起こしてきた過ちをまざまざと見せつけられているであろうその瞬間に。


 セカイは純白の眩い光に包まれた。


 激しい爆音とともにセカイが爆発し、蒸発した。



 もし。本当に神様がいて。その光景を目にしていたのなら。


 もし。その場に第三者が居たのであれば。きっと。こう言うだろう。



「――その光はまるで、地平線の彼方から現れる太陽のように。私達を優しく包み込んでいた、と」


 目の前の幼い命へ語りかける。


「『人類滅亡計画』。あれは終わりではない。始まりの計画だ」


「…………うーーーー?」


 コテンと首をかしげる様もとても愛らしかった。


『人類滅亡計画』


 数十年に一度の皆既日食が起こったあの日。あの日がこの計画の実行日だった。


 太陽が月に喰われてから、再びその姿を現すまで7分。


 あなたは完全に隠れた、昼が真夜中に転ずる瞬間に全世界で爆発が起こるように爆弾を設定していた。


「……………ぁ」


 強風が吹き私の帽子を吹き飛ばした。その風はもう、生臭い空気を運んではこなかった。その帽子をあなたはパシっとキャッチする。


「ほら。気をつけろ」


 差し出された白い帽子を受け取り「ありがとう」、と返す。


 地球ここはもう昔のような地球とこじゃない。


「自然の生命力は恐ろしい。妨げる邪魔者ニンゲンさえいなければこの地球セカイは悠久ともいえる時間のあいだ生命が生き続けるだろう」


 あの子をあやしながらあなたは言う。


「もう二度と。間違えてはならない………ッッ!」


 そよ風に靡く草花の上に置いた砂時計をそっと手に取りわたしは頬へ近づける。


「どうして…………、間違えてしまうのかな」


 そうひとりごちればあなたは悲しげに笑った。


 チクタクチクタク。秒針などないはずなのに。この砂時計は時を刻んでいる。


 終末の砂時計。



 あの爆発は人類の全てを蒸発させることを目的としていた。私達が今ここで生きていられるのは。ひとえにこの砂時計のおかげだろう。金の砂時計と銀の砂時計で1セット。同時にひっくり返すことで運命に抗うことができる。


 私達はあのときという運命に抗った。


 そして今。


 汚れきり荒廃しきったこの生命の星の再生を行っている。


 私達ニンゲンが間違えるたび。砂時計が、1セット。1セットと消えていく。

 かつて。420セットあった砂時計も。今では100セットしかない。



 そしていまも。終末に向けたカウントダウンは始まっている。



 ことはできなくても。ようにすることはできる。


 臭いものに蓋。とは、よく言ったもの。


「もう二度と目を逸らしてはいけないね」


 わたしがそう口にすれば、あなたは僅かに目を伏せ立ち上がった。


 ゆっくり。ゆっくりと。


 太陽が月に喰われるのよりもっと遅く。この星は再生をしている。


 もう間違えてはならない。なんど彼はあの子達に教えてきたのか。


「――イブ。さぁ、行こう」


 柔らかな風が通り抜け、終末世界に希望を運んでくる。


「………うん。行こう、アダム」


 私は一歩進みだした。腕の中にはあなたとの愛しい子が眠っている。まるでエスコートされるように優しく手を引かれれば、まだ大丈夫なんだと。確信もない安心感に包まれる。


「かわいいな、イブ」

「そうだね、アダム」


 でもねアダム。わたしは、もうどうだっていいよ。この地球セカイが汚れようが滅ぼうがわたしはなんだっていいの。アダム。わたしはあなただけがいればそれでいいの。


「だが、なぜ毎回共存できる道を示し続けているのに、結果が変わらないんだ」


 戸惑い呟く声が耳に届いた。


 あなたはまだ愚かな夢を見ている。わたしたちの可愛い子どもたちはいつか間違いに気づいて、いつか地球セカイと優しく生きていけるって。


「どうしてだろうね、それが人間ってものじゃないの?」


 わたしは内容のない言葉を返した。結果が変わらないのは当たり前だ。だって、こうやって何度もやり直すたび、わたしは人間たちに終末を迎えるよう囁いてきた。


『もっと生活が楽になる方法があるの、新しいエネルギーを掘ってみない?』


『他の人よりお金持ちになって、権力を持ってみましょうよ。あなたより無知で、弱く貧乏な人を奴隷にしてみたらどうかしら?』


『暮らしをラクに豊かにすることのなにが悪いの?他人のことを心配していたら幸せになんてなれないよ』


『国を大きく豊かにするのは代償を払わないとね。森だなんて放っておけば勝手に戻るわよ。人間様の所詮は道具でしょう?』


 地球セカイのために奔走するあなたと、そんなあなたを嗤いながら眺めるわたし。最高に良いショーだった。


 神が創ったアダム《あなた》とアダム《あなた》から創られたイブ《わたし》。わたしはあなたに従うだけの存在。


 でも、いやよ。聖人君子のあなたが嫌い。


 早く、あなたが絶望に染まる瞬間が見たい。早く、あなたを盛大に嗤ってあげたい。そうして早くわたしのところへ堕ちてきて欲しい。


 今から楽しみで仕方がない。砂時計はあと100セット。ああ、ゼロになる日が待ち遠しい。


 ――――ねぇ。

 ――――名前も知らないそこのアナタ。

 ――――アナタのセカイはまだ、大丈夫?


「次は間違えないようにしなきゃね、アダム」


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