君と同じバスに乗れなくても

天鳥そら

第1話君と同じバスに乗れなくても

 この木の下で一緒に過ごそう。


 春は桜を眺めながらごはんを食べよう。

 夏は緑の木陰の下で読書をしよう。

 秋は落ち葉を踏みながらつきない話をしよう。

 冬は聖夜に降りしきる雪のなか永遠を誓おう。


「うそつき」


 マツはマフラーをまきホッカイロを四個も衣服にはりつけて、ホットココアの缶で手をあたためていた。雪を見ようなどと言ってはいたが、この地域で十二月に雪が降ることはめったにない。


それでもマツは聖夜を桜の木の下で過ごした。恋人のミアとの約束だったからだ。


「サンタはいると思う?」


「サンタはいねーよ」


「マツは夢がないね。私はいると思うよ」


 こんな会話をしたのが四ヵ月前、落ち葉をクッションに二人で本を読んでいた。宮沢賢治の有名な作品『銀河鉄道の夜』だ。


 「結局、友人は死んじゃったんだよね。どこまでもどこまでも一緒に行きたかったのに行けなかったのよ。辛いなあ」


「そうか?道連れにされなくてよかったじゃんって、俺なら思うね」


「マツらしいね」


 くすくす笑うミアの頬にキスをするとすぐに静かになった。それからひたと見つめあって、永遠を誓うように手を握り合って唇をかさねた。




 「今年のクリスマスは雪が降るかな?降ったら白い聖夜、ホワイトクリスマスだよね」


 「雪が降ったら寒いだろうが。勘弁してくれよ」


 「マツったらまたそういうこと言う」


 「それなら、温泉とかさ。露天風呂で雪見とかの方がよくね?」


 「混浴で?」


 ミアの発言に真っ赤になったが、聖夜はこの木の下で一緒に過ごそうと約束をした。この会話がほんの二ヵ月前だ。




 「聖夜は一緒に過ごすんだろ。この寒いのに、この桜の木の下で一緒に」


 春であれば緑の野原が広がる丘の上だ。一本だけ大きな桜の木が立っている。全国的に有名じゃない。だけど、地元の住民にとっては手軽な桜スポットだった。


「やっぱり雪なんか降らねえよ。今までだって降ったことなかったじゃんか」


 スマホで調べるとこのあたりの地域の最低気温と天気がわかる。気温が低く雨が降る可能性はあるが、雪は降らないだろうということだった。


「春のお花見はどうしようか。ミア」


 星の見えない夜空に向かって問いかける。返事どころが風がそよとも吹かなかった。


「交通事故でそれっきりって、そりゃねえだろ」


 ホットココアの缶を握りつぶしそうな勢いで力を込める。一口も飲んでいなかった。マツは甘いのは苦手だ。ココアはミアの大好物だった。


 ひざを抱えて嗚咽を漏らしていると、あたりが急に明るくなった。手の甲にかすかにあたる。一体なんだろうと思って顔を上げると、目の前に桜の花びらが散っていた。


「おいおい。嘘だろう」


 慌てて見上げると見事な桜の花が広がっている。花びらはあとからあとから降りしきり、マツの目の前をさえぎってしまいそうだ。


「桜吹雪っていうより、桜の花びらの滝って感じだね」


 去年のお花見ではミアがそんなこを言っていた。桜の滝なら枝垂れ柳の方がぴったりだと茶々を入れたことを思いだす。


 桜吹雪の向こうでふたつの明かりがまっすぐマツの方へ向かってくる。最初は何なのかわからなかったが、車のヘッドライトだとすぐに気がついた。


「車っていうか、バス……かな」


 丘の上にバスの停留場があるわけではない。ここは業者でもない限り、車での立ち入りはできないはずだ。そもそも花が咲いていることからして、マツの理解を超えていた。


 徐々に近づいてくるバスを出迎えるようにして、マツは思わず立ち上がる。ヘッドライトがまぶしくて目を細める。エンジン音をたてて、マツのそばにとまった。バスの窓の中には橙色の明かりがついている。ひとも何人か乗っているようだった。


 一体なにが起きるのか。マツが固唾を飲んで見守っていると、バスの前扉が開きひとが飛び出してきた。


「マツ!久しぶり!」


 お気に入りのグレイのコートに真っ赤なマフラー。帽子はかぶっていなかったが、オフホワイトの手袋をはめたミアが立っていた。生前と変わらぬ姿のミアに、マツは夢を見ているんだと思った。


「まさか、聖夜にいるとは思わなかったよ。会えてうれしい。ちゃんとお別れできなかったからさ」


 はしゃぐミアを抱きしめて、マツはもう二度と離さないと誓った。ミアの息がマツの頬にかかる。髪の毛が耳をくすぐった。


「ミア、帰ろう。もう寒いから」


「そうだね。そうできたらいいね」


 マツに抱きしめられたまま、ミアは嬉しそうにささやく。一緒に帰るといわないミアに腹を立てた。


「ミア、それはないだろう?死んだらもう、俺のことはどうだっていいのか?向こうに行ったら悟っちゃって、俺のことは気にならなくなるのか?」


「そうなったら、私は幽霊だね。それもいいかもしれないね」


 マツの頬に涙がこぼれ落ちる。幽霊になってミアはずっと一緒にいる。それでもいいじゃないか。でも、それじゃあだめだ。


「わかった。俺がミアと一緒に行く。それならいいだろ?あのバスに乗ればいいんだろ?」


 ミアの乗っていたバスを眺める。前扉は開いたまま、降りたミアが戻ってくるのを待っているのだ。


「そうだね。そうできたらいいね」


「どこまでもどこまでも一緒に行こう」


「いつまでもいつまでも一緒にいたい。あの時、感じた気持ち変わってないよ」


「それなら……」


「わかるでしょう?マツ。私、カムパネルラの気持ちがわかる気がする」


「俺は、ジョバンニの気持ちなんかわからないよ」


 駄々をこねるようにミアの肩に顔をうずめる。もうひとりにしないでほしかった。


「マツの願い事はかなえられないけど、ひとつだけ魔法をかけてあげる」


「どんな魔法だよ」


「私を忘れる魔法。私のことを思い出にする魔法。そのために私はここにきたんだ」


 ミアがマツから離れると、不意をついてくちびるにキスをした。困惑するような表情を浮かべるマツにこれ以上ないほどの至福の表情を浮かべる。


「幸せになって幸せになって幸せになって。マツが幸せを感じるとき、私はマツのそばにいる」


 ミアは勝手だ。いつもいつも勝手に決めてしまう。マツの意見も意思もおかまいなしに。それがマツは嫌いじゃなかった。


「忘れないよ。思い出にもならない。永遠を誓ったじゃないか」


 ミアの腕をつかもうとすると、空をかいた。さっきまで確かにミアに触れることができていたのに、今ではそれができない。


「ずるいよ。ミア」


「ごめん。ごめんね。マツ、愛してる」


 桜の花びらが舞い散る。マツとミアの間に立ちふさがるように花びらが散った。いつまでもいつまでも永遠に散り続けているように思えた。



「きみ、きみ!」


 頬をぺちぺちとたたかれてマツは目を覚ました。目の前には人が数人、心配そうな顔でマツを見ている。


「こんなところでどうしたんだい?寝てたら危ないじゃないか?」


 マツの視界に銀世界が広がっていた。天気予報ははずれにはずれ、どうやらこの冬初めての積雪を観測したようだ。


「立てるかい?」


 こわばった手を握ったり開いたりして、かたまった体をほぐすようにして立ち上がった。思ったより体は冷えていないし、どちらかというとあったかく感じる。冷め切ったココアの缶が倒れ、やわらかい雪の上に茶色のしみをつくっていた。


「大丈夫そうだね?家まで帰れるかい?」


「はい。大丈夫です。ご迷惑おかけして申し訳ありませんでした」


 マツの様子に安心したように人だかりが散っていく。丘のあちらこちらでそり滑りをしている子供たちを見かけた。


 マツは桜の木を仰ぐ。もちろん一輪だって咲いてやいない。


「ミア、花見もしような」

 

 ミアの顔を思い浮かべながら、晴れやかな顔を桜の木に向けた。









 


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