楽しいときと苦しいとき。広い視野が必要です。


 こんにちは。柚子樹翠です。みなさん順調に

文筆活動は進んでいますでしょうか。


 小説を書き始めるといくつか、いえ、いくつ躓くポイントがありますよね。出だしどうしよう、この展開に持っていくためにどんな繋ぎ方をしよう、この人物がこういう感情になるためにはどんな出来事が必要だろう、などなど。

 あとキャラクターの名前どうしよう、とか。割と真面目に名前って問題になりませんか? 主人公の名前なんかはやっぱり字面がいいものとか耳に残るものにしがちですよね。大事な要素なのは間違いないです。我が子も同然に、気持ちを込めて名付けしてあげてください。


 ところで話に悩むときって、楽しいものと苦しいものの二種類ありませんか。

 物語は佳境に入り、ラストスパート、ここでいかに魅せられるかってときは、頭キリキリさせながらも自然と不敵な笑みが浮かんでくるみたいな状態になります。悩むことを心から楽しんでる感じ。物語の主人公気分です。たぶん私だけじゃないですよね。それを味わいたくて書いてるみたいなところすらあります。


 一方で、書いてる内に話がぶれて酷いものになったり話の矛盾に気づいたり、その内容でいいかどうか自分ではわからなくなったりすると、項垂れてひたすら苦しい気持ちになってしまいます。みなさんも経験おありでしょうか。

 私は後者のような状態に陥ったときは散歩に出て思考を整理したり好きな小説などを読んでモチベーションを上げたり、とにかく気持ちのリフレッシュをします。前回と似たフレーズを出しましたが、今回は行き詰まったときの打開策ですね。


 見慣れた景色でも改めて見ると新たな発見があるものです。塞いだ気持ちは広い空やさざめく緑樹、彩り鮮やかな花たちを眺めていると、すっと晴れていきます。

 私はそういう古風なリフレッシュ好きなんですけど、そこは現代風にアレンジして音楽聴くとかアニメを見るとかゲームに打ち込むとか、何でもありだと思います。余談ですが、私は二十代です。まあ小説書くタイプの人はきっと自然観察とか好きな人多いですよね。などと言いつつ、私は買い物好きなので実際は自然観察からショッピングリフリッシュに行きがちです。……ちょっと見栄を張りました。でも古風なリフレッシュが好きなのは本当です。


 脱線しましたが、やっぱり精神的に負荷がかかっているとどうしても視野が狭くなるものです。そこで「急がば回れ」ですね。リラックスして気力十分な状態で再び机に向かうと、視野が広がって思考の外にあった解決策に出会えるものです。ここまでは創作に限った話ではなく、他の悩み事に対しても言えるでしょう。


 より具体的な話作りの解決策で言うと、私はとにかく何でも紙に書き出してみることが多いです。例えば展開の仕方が入り組んで収拾つかなくなってきたとしたら、ノートやルーズリーフ、メモ帳どれでもいいのでいままで書いてきた内容を書き出し、まとめます。骨組みだけ抽出するみたいな、普通と逆で話からプロットを作るイメージです。

 1→2→3→4と並べてみて、3が話の流れを悪くしていたとわかるとか、2と4は一緒に並べたほうが良さそうとか、3→4では突飛だから加筆しようとか、あとはもう内容次第なんですけど、そうして簡単に書いて整理することで文章の出来映えを綺麗に仕立てることができます。

 それもいわば思考のリフレッシュですね。話の拡大と縮小、分解と並び替えが自在にできる人ほどより柔軟な発想ができる気がします。ちょっと数学的な思考かもしれないので、苦手な人は苦手かもしれません。上手い文章をひたすら読み込んでセンスを磨き、感覚で身につけることも可能だと思います。……天才肌タイプ?


 もちろん何でも理路整然としたものにしたほうがいいなんて話ではなく、内容によっては感情的で荒れていたほうがいいときもあるでしょう。ただ意識の問題として、自分で納得していない出来のものを読者に補完して読んでもらおうなんて甘えるのは絶対いけません。

 めちゃくちゃになった構成や文章、首をかしげる表現などがあれば、必ず「これで良し」と思えるまで修正しましょう。自分で納得できるものが最低ラインぐらいに思うべきです。伝えることの難しさを甘く見たらいけません。とことん苦しむべきです。

 ちょっと説教っぽくてすみませんが、それはいつも私が自分に強く言い聞かせてることなんですよね。何度も読み直して何度も修正して完成させます。これで大丈夫とそのときは思っても、あとから読み返すと「あ、これではだめだ」と気づかされるので、本当、言葉って複雑ですよね。


 良い小説を書くために広い視野を持つことはとてもとても大事なことだと思います。いまの話でもそうですし、物語の中でも「狂言回しが勝ちすぎてキャラクターに感情移入できなくなる」とか、「作者の個人的な考えが透けて見え嫌気がさす」とか、いろいろ注意しないといけないことがあります。多角的な視点、客観的な視点を持つことを常に意識したほうがいいでしょう。


 では実際問題、どのようにすれば広い視野を持てるかですね。これは非常に難問です。子供の視野が大人より狭いのと同じで、人によって性格が変わるのと同じで、みんな同じ広い視野を持つことは正直、できないのではないかなと思います。

 ですが視野を広げる方法はあります。


 一つ、本を読む。

 小説だけでなく、教養書や自己啓発本、エッセイなど、本にはあらゆる知識と思想が詰まっています。たくさんの本を読めばそれだけ幅広い見識を身につけることができます。


 一つ、人と話す。

 人一人の考えなんて絶対偏ります。せっかく世の中には一人として同じ人間はいないのですから、多くの人と話してみましょう。知ってみましょう。まったく違う考えを持っていますよね。一体どうしてそんなに違いが生まれるのか、本当不思議です。生まれか育ちか。子どもか若者かご高齢の方か。物語というのはいわば人の思考の結晶体ですから、人について知っていればいるほどその密度は高くなります。


 はい。シンプルで何の捻りもない方法でした。「あ、ですよね」って感じの。実際のところ上の二つが一番効果的でしょう。

 そればかりではなく、登山をする、スポーツをする、料理をする、星座占いを見る、など他のあらゆる取り組みで視野は広がります。何でもやってみましょう。不要な経験などありません。

 そういう様々な経験の積み重ねが思慮を深め、物語の厚みや行き詰まったときのひらめきに繋がってきます。


 なんて、まだまだ人生経験未熟な私が言えたことじゃないですけどね。私は大体全て足りてないので、偉そうなこと言えません。自分で書きながらぐさりぐさりと刺さってました。

 やはり経験値というのは大きな強みですね。私はどうしても経験が浅いので、その差を埋めるために何ができるか、いつも考えています。経験で劣る者は豊富な人に比べて、書く前段階の時点でもう不利なんです。だからといって敵わない道理もないと私は思ってます。私自身、昔は思いつけてもいまは思いつけそうにないプロットがありますから。子どもの方が発想が柔軟なとき、ありますよね。

 ただし人生経験の浅い人は、普通にしてたら自分の作品は浅くなるのだという自覚を持つ必要があるでしょう。「無知の知」ですね。足りないことを知らなければ補うことができません。

 改めて話作りって、大変ですね。


 ではでは、今回はこのあたりで。いかがでしたか。

 またよければ次回もよろしくお願いします。

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似非小説論 柚子樹翠 @yuzukimidori

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