第6話 自分の親だけいつまでも最強
夏に父が亡くなり、一人になった母。
コロナも一段落してきたので、様子を見るために月に一回ペースで札幌に来るのを再開しようと決めてました。
先月は、長女も連れてきました。
今回は私一人。来月もその次も飛行機の予約を入れていました。
今回は3泊4日の予定で。
普通に母とご飯を一緒に作ったり、食べたり、買い物を頼まれ、
いつものように口げんかしたり、
そうして次にいつ来るかを伝えて帰る。
父が脳梗塞で入院したのは2年前。
父のお見舞いと一人暮らしになった母の様子を見に月一回帰省していました。
それが何年か続くのだと思っていました。
ずっと月に一回のペースで帰省していたけれど、
コロナがめちゃくちゃ増えて、父の面会は事前予約でモニター越しのみになりました。直接会えない父はもう遠い所に行ってしまった感じでした。
感染者が多い東京と北海道の行き来も高齢の母に知らないうちにコロナを感染させてしまったらと思うと、なかなか踏ん切りがつかすにいました。
なので、しばらく帰省が途切れていた時期がありました。
「同じように一人で暮らしていても、この世に父さん(父)が生きているのともういないのでは全然違う。心にぽっかり穴が開いたようだ。」
気丈を通し越して頑固一徹で弱音もはかない母が、
父が亡くなってからぽつぽつと語る言葉が、一人は寂しいと言ってるように聞こえました。
今回の帰省も、普通に顔を見に行く予定でした。
87歳で一人暮らしの母は、一人で買い物をして、掃除洗濯して、ご飯を食べて、振込も役所の手続きも、たまの受診も一人でしていました。
歯医者に行くのもつかれる。薬もらうのもくたびれる。買い物するときは雪で足元が滑るから危ないし。
少し出かけるとソファーで休み、腰が痛い、足が痛い、はあ、年を取り過ぎたと言っていました。
日常生活にヘルプが必要なことは明らかでしたが、
他人が入ると疲れる、自分で出来る、自分のやりたいようにしたい、
介護保険の認定も高齢者のサービスも頑として拒否です。
この先、おいおい自身の限界を悟って、その先は施設入所をと考えていました。
わが母ながら、あっぱれな意地っ張り、人の話は全然聞かないし、
自らの限界を感じるにはもう少し様子を見なくてはと思っていました。
きっとあと2,3年。
私も弟もそう思っていました。
弟はともかくも、
私は看護職。経歴の中でクリニックから在宅療養中の患者さんのお家に訪問看護で向かう仕事を7年やっていました。その間に介護保険が導入されて、ケアマネージャーの資格も取りました。
高齢者が在宅介護を受ける姿も見て来たし、
年齢を重ねて衰えていく姿も知っていました。
一人暮らしの高齢者のリスクもわかっていました。
自分の親になると客観視ができなくなって、
根拠のない楽観視をしていました。
何故だか自分の親だけいつまでも最強、そんな信念があったように思います。
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