首折り男の狂詩曲(ラプソディー)1-0/11

流々(るる)

日付は変わり、火曜日

 走り過ぎていくタイヤの奏でる音が変わった。雨が降り始めたようだ。

 高架下にある細長い公園の隅に建てられた、このブルーシートで作られたに雨は当たらない。それでも響いてくる音や風の匂いが知らせてくれる。

 薄汚れたえんじ色のダウンを着たまま毛布にくるまっていた老人が体を起こした。

 ここで暮らす者たちはときに縛られない。夜が明ければ起きて、陽が沈めば寝る者もいれば、その逆もある。

 老人は自作の戸を開けて外へ出た。外灯がぼんやりとベンチを照らしている。

 そのまま植え込みの脇を抜けていく。その先には公衆トイレがあった。


 トイレから戻ると、ソナムは机に向かった。寄宿舎の消灯まであと一時間もない。やりかけの宿題を終わらせなくては、とペンを持つ。

 王族であろうと庶民の生活を経験することは大切だ。父である国王の意向でソナムは二年前から、この寄宿舎で生活をしていた。寂しいこともあるが、その反面、自由なときを得ることもできる。

 つい数日前までいた日本のことを思い出した。いまは日付が変わった頃だろう。

 あのときのピアノ演奏はスマホに録画してある。オオヤブは元気だろうか。

 ソナムは部屋の窓から暗い空を見上げた。


 月も見えない空からは弱い雨が落ちている。明るく光る外灯のまわりを落ちていくときだけ、雨はしずくとなって姿を現した。

 窓から通りを眺めていた北条はカーテンを閉めた。ラグマットの上に腰を下ろす。ガラス製のローテーブルには缶ビールが置かれていた。

 缶を傾けて喉を鳴らすと、壁際のラックに手を伸ばした。並んでいたCDに添えた指が止まる。少し迷ってから一枚を取り出してCDプレイヤーにセットし、黒いヘッドホンを頭につけた。


 演奏が終わるとヘッドホンを外して譜面立ての横へ置いた。

 きれいに片付けられたワンルームの部屋をアップライト型の電子ピアノが占領している。壁のフックには警備員の制服がハンガーに掛けてあった。

 ピアノの音色が出るキーボードと異なり、この電子ピアノはペダルがあるだけではなく、打鍵の感触まで再現しているのを彼は気に入っていた。

 ネル生地のクロスで鍵盤を拭くと、カバーを引き出して蓋を閉じる。

 立ち上がって服を脱ぎ、ユニットバスへ向かった。


 シャワーを終えて洗面台の前で化粧水をつける。

 頭に巻いていたタオルを外すと、彼女は上半身を前に倒して髪を拭き始めた。ダークブラウンの髪をタオルで挟み、両手で押さえつけるように水分を取っていく。

 濡れたままの髪を肩まで垂らし、キッチンへ向かうと冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを取り出した。

 ベッドのサイドボードから乳液の瓶を手に取る。

 姿見鏡の前に立ち、体に巻いていたバスタオルを外した。


 縦長の鏡にはたくましい胸の筋肉が映っていた。サイドボードの小さなスタンドだけが部屋をぼんやりと照らしている。

 大藪おおやぶは短パンだけを身につけて立ったまま、両手を頭の後ろで組むようにしていた。その手にはダンベルが握られている。

 小さく息を吐くと曲げていた肘をゆっくりと伸ばしながら頭上へダンベルを差し出した。

 それを繰り返す彼の呼吸だけが部屋に響く。

 雨はまだやみそうにない。

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