夜を探す旅人

にゃべ♪

その男は夜だけの国を探していた

 男は夜を探していた。正確には夜だけの国を探していた。世界には冬ばかりの国や夏ばかりの国がある。ならばどこかに夜だけの国、ずっと真夜中の国があるのだと男はそう考えていた。


「何故夜は朝にかき消されてしまうのだ」


 男はそうひとりごちた。そうして夜を探しに日の沈む方向に足を向ける。


 歩き続けていると、男の周りで魚のような闇が生まれて彼の頬をなでていく。そんな生まれたての無邪気な闇を、男は夢中になって追いかけた。足が闇に囚われても、気にせずに無理矢理に動かしていく。その先に夜の国があると信じて。


 男が辿り着いた風景。それはずっと街灯の続く道。まさに夜の景色だ。色を落とした風が甘い夢へと誘っている。そんな幻に導かれていくと、光の島が見えてくる。空に浮かぶ光のそれらは、まるで砂漠のオアシスのようだ。


「ああ、なんて美しい……」


 きらめく光に男が涙を流していると、足元の地面がゆらぎ始める。立っていられなくなった男が四つん這いになると、そのまま地面がふわりと浮かぶ。流れる闇に身を任せ、男は必死にしがみつく。

 寄せては返す夜の音。男を乗せた地面はそのまま闇に沈んでいく。


 沈む中で男は期待した。求めていたものがここにあるのではないかと。体の中に染み渡っていく闇の胞子。黒い花を咲かす風が、けれど男を避けていく。


「ああ、違う」


 闇が引くと、男はそこで前のめりに倒れていた。その場に溜まっていた生きている闇は、みんな黒猫になって蒸発していく。

 男はまぶたを上げる事が出来ないままに横たわる。思い出がカタカタと再生されていく。


 真夜中殺し。彼らは夜を殺す職人だ。毎日夜を殺しては朝日を目覚めさせている。かつては男もそうだった。夜を殺す日々の中、男は夜に近付き過ぎた。

 ある日男は闇の巨大魚に食べられて、そこで夜に深く感染する。夜に酔わされて、夜に心酔した。夜に何もかも満たされたのだ。


 結局魚は男を吐き出して海の夜に溶けていった。抜け殻になった男に、もう夜は殺せない。夜に捨てられた男は、もう夜を求めるしかなかった。

 真夜中の真ん中で時計を止めて、男は夜に静かに祈る。想いの届け先は永遠の夜。そこは夜の統べる世界。男の理想の中にある、深い深い夜の底。


 夜の主は白い月。黒猫達のマスターは淡く淡く世界を染める。分け隔てなく愛を注ぐその永遠の神性に、男は神話の再現を見る。

 人々が眠るその時間、夜行性の生き物がその本領を発揮する時間。見えないものが見えてくる。男はダンスに誘われて、我を忘れて宙を舞った。


 欠けたものを幻で埋めたから、男の目は夜しかまともに働かない。誰もが化け物を作り出す夜に、男は歌すら上手く歌えない。いつか辿り着いたなら、そこに男の居場所はあるだろうか。

 都会の夜は宝石箱で、男はそれを眺めるのが好きだった。遠くから眺めるだけでいい。触って火傷は御免だった。だから一度も近くで見た事はない。


 どこからかピアノの音が聞こえる。淋しい曲を奏でている。夜は機嫌良さそうに楽しい夢を降らしている。こんな日は決まって子供達は笑うんだ。

 真夜中は美しい。真夜中は素直で正直だ。男はそんな夜が大好きで、だから嘘ばかりの昼間が嫌いだった。希望を吹聴するまぶしさが苦手だった。


 夜に焦がれた男はいつも太陽から逃げている。夜への想いが心の中で熟成されて、いつしかその体から妄想の夜が漏れ出してしまう。毒を持つそれを排除するために、真夜中殺しが殺しに来る。


「ああ、彼らにも夜を教えよう。夜の素晴らしさを教授しよう」


 男は鉄塔に上って張って巡らされた電線に座り、ただ黙って殺しに来る元同僚達を待つ。夜は男に勇気を与えた。何でも出来るような気すらしていた。夜の啓示を胸に受け、星の言葉がその中で木霊する。


 夜の気配の向こうからカラスがこっそり降りてくる。真っ黒な夜の使者は、電線に座る男に向けて闇を吐いた。それを浴びた男の目は輝いて、しかし何も実像を結びはしない。男は誰にも気付かれないまま、ただただ夜を呼吸する。


 真夜中にガラクタ達が昔を思い出す頃、男の記憶の中にある夜の記憶を心の中に潜んでいた黒猫が根こそぎ食べ尽くしていく。最後に残ったのは、黒い太陽からの闇を浴びたもう忘れてしまった焼け焦げた思い出。

 黒猫すらもさじを投げてしまうくらいだから、だから男はもう手遅れなのだ。


 偽りの流れ星が海に落ちていく。悲しみが滲んで夜がひび割れる。男が思わず顔をそらすと、あの時の魚が男の前に現れた。懐かしの再会に男は喜び手を振った。


「やあ、ご機嫌かい」


 魚は何も言わずに、男を電線から突き落とす。落下する中で男の中から夜が蒸発していき、地面に激突するまでにすっかり乾いてしまった。その御蔭で真夜中殺し達は男を見つけられない。

 長く留まったため、男はまた夜の断末魔の声を聞いてしまう。闇を切り裂く鶏の声。男はよろよろと起き上がると、朝日が射す前にまた歩き出す。


「まだ、あきらめる訳には行かない」


 真夜中こそが男の安らぎ。真夜中こそが男のいるべき場所。何度も同じ景色を繰り返して、今日もまた夜を求めてさまよい歩く。真夜中ばかりのその場所へと。

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