真夜中ラジオに投稿したい

猿川西瓜

お題 真夜中

 ラジオのアンテナを立てて、部屋中を歩き回る。私はKissFM KOBEの番組「真夜中ラジオ『Yours』」を受信できる場所を探していた。

 神戸からの放送を大阪でもなんとか聴けるはずなのだが、私の家は電波の入りが悪く、苦戦した。受信するためのダイヤル目盛りがほんの1ミリでもずれると、たちまち「ザー」と音がして聞こえなくなる。うまく電波を捕まえてドンピシャだと、神戸からの音もクリアだ。


 深夜のKissFMでは、グレープバインというバンドの曲『白日』がよくかかっていた。これが『白日』という曲だとわかるには、ずいぶん時間がかかった。テレビの音楽ランキング番組でやっと知ることができた。それまでは、急いでセットしたカセットテープで録音して何度も聴いていた。そして、『白日』が流れたあと、ジングルがかかり、目当ての番組が始まる。


 真夜中ラジオ『Yours』は、古内東子とピチカート・ファイヴの曲ばかりかかるので、またか、とうんざりしていた。そして、深夜にいい感じになれる系音楽が流れた後は、投稿された物語を読み上げるコーナーが始まる。私はそのコーナーが一番の楽しみだった。

 面白いのも、つまんないのも、いっぱいあったが、当時は、ラジオの声を夜中に聴けているだけで良かった。投稿作の内容はあまり関係なかった。自分がラジオDJの女の人の声を一人で聴く。自分だけのために放送されているような。私だけが大阪で唯一受信しているような。

 こうしたみたいな感覚は、NHKラジオの夜中だかに、赤坂真理の『ヴァイブレータ』の朗読がずっと流れていた時も、そうだった。本能的衝動にかられて、その朗読番組を録音した。誰の作品か分からないので、朗読された文章を暗記して、本屋の小説を片っ端から目を通すことにした。それで、「あ」から探して、『ヴァイブレータ』であることを割り出した。もし彼女の名前が「あかさか」でなく、「わ」から始まっていたらどうなっていただろうかと思う。


 真夜中は、私にとって、大事な時間だった。

 私は女性なので、夜中に出歩くことはできない。男の人の書いたエッセイを読んでいると、時々、夜中に歩き回る描写が出てくる。どんな治安のいい田舎でも、例え岩手や山形でもそれはできない。


 ただ、一度だけ一人で外にでたことがある。夜桜をどうしても撮りたくて、大阪城に行ったのだ。

 大阪城公園は青いテントがたくさん張られていて、昼でもへんな匂いがした。玉造筋沿いの外堀まわりの森は女子供が歩ける場所ではなかった。こういった生活困難な人間を生み出すのは、行政が悪いのだけれども、だからといって、みんな良い人だから歩いても平気だよというものでもなかった。

 それでも、どうしても「大阪城と桜」の写真が取りたくて、夜中に自転車かっとばした。

 案の定、ジャンプしながら追いかけてくる男の人と出会い、命からがら逃げ帰った。ぴょーんぴょーんと飛びながら追いかけてくるので、女性の脚力で自転車を漕いでも、男の人のダッシュは追いつきかけてしまう。声がすぐ後ろまで来ていた時は、もうダメだと思った。写真一枚も撮る暇なく、帰宅してからシャワーをあびて、風呂場でガタガタ震えていた。


 だから、もう真夜中には一人で外に出られない。

 ただ、バーで働いている友達と一緒に外に出たことはある。

 そんな親しくなかったけれども、やたら絡んでくる。実家がすぐ近くなのに一人暮らししていて、正直メンがヘラってる子だった。


 今日の彼女はやけくそのように酒を飲んでいた。

 こんなに酒を飲む子だっただろうか?

 酒の勢いがあったせいで、いつの間にか私たち二人は大阪港まで来ていた。

 海を眺めながら、コンビニで買ったパンを頬張った。

 潮風が肌を切るように冷たい。海に落ちたら凍死するんじゃないかと思った。ポケットから熱々の缶コーヒーを取り出し、一口すすった。

 二人とも疲れ果てていた。パンを食べ終わって、コーヒーを飲み干して、夜中なのに大阪港の光のせいで灰色になって浮かぶ雲と海を見つめた。

 会話もなくなり、瞼も重くなってきて、ついウトウトし始めた。スズメとカラスの声がだんだん多くなる。もう朝だろうか。意識が落ちそうになって、軽くびくっ、としながら、また眠りに落ちていく。それを幾度も繰り返している内に、後ろの方から、キュッキュッ……と油切れで軋むような音が聴こえてきた。


 二人で同時に振り返ると、車椅子に座った人とそれを押す人が佇んでいた。車椅子に座っている人は、髪が長く、少女のようだった。それを押している人は、顔色の悪い、年配の女性だった。


「寒いですね」と、どちらかが、変な抑揚で声をかけてきた。

「そうですね……」と返事すると、車椅子の少女は、「アッ」と寒空を指さした。

「どうしたの?」と女性が少女の頭を撫でた。

「おなかすいた?」

「ア」

「そう、帰りましょうか、帰りましょうね」

 車椅子をぐっと押して、去っていこうとした女性は、急にピタリと止まった。

 こっちをじっと見て、「モーニングでもいかがですか」と話し掛けてきた。


「えっ、朝ごはんですか」

 私たち二人は顔を見合わせた。

「そう、モーニング、どうかしら」

 年配の女性は寒さのせいで鼻をしきりにすすっていた。

「あ、では、ご馳走になります」

 パンを食べたばかりなのに、友達はそう言った。私はびっくりして「い、行くんだ」と苦笑いした。

「そう」

 女性は車椅子を動かし始めた。睡魔と戦いながら、後ろからついていく事にした。

 

 喫茶店は、まだ薄暗い朝なのに開いていた。モーニングは500円。木製のテーブルの上に、焼き立ての食パンとふわふわのスクランブルエッグとコーヒーが用意された。

 車椅子の少女は、少し乱暴にだけれども、パンを手に取って、むしゃむしゃ食べ始めた。

 「いい子ね、ありがとうね」女性もパンを口に入れた。

 「ア……」と少女は顔を両手でゴシゴシ拭った。

 「お母さん、ちょっと出てくるからね」

 女性はそう言うと、かきまぜたコーヒースプーンを置いて、2000円を置いて去っていった。コーヒーは一口だけ飲まれていた。

 夜になっても、女性は、帰ってこなかった。


 私はなぜかグレープバインのことを一日考えていた。私にとって長い時間、誰が作ったかわからない音楽を弾いていたバンド。

 友達は、少女の顔をずっと見ていた。食い入るように。


 コチ・コチ・コチ・コチ。喫茶店の隅で、マスターに許しを得て座り続ける。時計の針の音が、うるさい。

 少女はヨダレを垂らしながら、居眠りしていた。

 テレビのニュースでは、いわゆる『無敵の人』の話題で持ちきりだった。これから得るものもなく、利他も利己もできず、誰からも愛されず、自分を捨てる以外の捨てるもの全てをなくした人。だから、人をめちゃくちゃに殺して、世界を呪って死んでいく。

「一家五人を殺害」「今だ逃走中」

 容疑者の顔が、ものすごく友達に似ていた。私は「めっちゃ似てるね」といった。昨晩まで、自分の身体を壊すようにテキーラを瓶から直に飲んでいた友達の顔を見る。友達は寝ていた。

 少女は、「ア……」と静かに唸り声を上げ、眼を覚まし、涙をこぼしだした。


 風呂に入れてあげようと思い、友達の家に彼女を連れて行った。車いすはとても重たくて、二人がかりで運んでベランダに置いた。

 少女を抱っこしながら、ぬるい浴槽に浸けた。ボディスポンジで体を軽くこすって洗うと、彼女は反抗すらせず笑っていた。

 少女は、気持ちよさそうな顔をしている。それを見ていると、何故か安心して、眠くなってきた。

 湯に腕を浸けて、しばらくまどろんでしまった。友達は、さっきまでぐっすり眠っていたので、私より元気だった。


 体を拭いてあげて、タンスから出してきたパジャマを着せ、友達のベッドに少女の体を横たえさせた。

 「ア」と少女が、一冊の雑誌を指差す。漫画雑誌だった。

 ページを開いて、ゆっくり見せてやると、少女はそのまま眠っていった。


 次の朝、喫茶店にいっても、少女の母は戻って来なかった。

 昼になって、車椅子に乗せ、大阪港に連れていった。

 相変わらず空は灰色で、潮風は吹き荒んでいた。

 少女は大阪港を出発する観光船サンタマリア号に不器用な拍手を送っていた。

 

 その夜も、母親は帰らなかった。

 次の日の朝、友達はフライパンで目玉焼きを作っていた。

 少女の口に運んでやると、ちゃんと食べてくれた。


 その日の夕方、少女を抱っこして、夕陽の見える大阪港の堤防まで連れて行った。

 少女は顔を真っ赤にして喜んでいた。


 その夜、少女は、火がついた様に泣き出した。

 側に寄ると、いきなりはたかれた。少し爪が伸びていて、私の頬にあとが出来た。

 母親が居なくなったことに、ようやく気付いたのだろうか。

 そして、何故か友達も泣いていた。

 友達は、泣きつかれて寝入った少女に呟いた。


 「お母さんを探す旅に出ようか」

 

 そして次の朝早く、友達は少女を押して、外に出た。

 バス停の前に立ち止まって、「じゃあね」と私に言った。

 二人はバスに乗った。

 私は、白い息を吐きながら、バス停にとどまり、見送ることにした。

 車掌や乗客は車いすの客である彼女らに親切だった。

 「どこへ行こうか」と友達は少女に笑いかけた。


 バスに乗って二人は、夢洲に行くという。

 夢洲は、埋め立て地。大阪中のゴミがあつまった島だ。

「いくの?」

 私が言うと、

「ここは島国だから。どこの遠い国にもいけないもの」

 友達は、女の子とともに去って行った。

 バスは市内を一周して、ここに戻ってくるだろう。

 二人がそのバスから降りてくるかどうかはわからない。


 私は家に帰って、しばらく寝た。

 真夜中に起きて、ラジオを聴いた。

 「真夜中ラジオ『Yours』」はもうすぐ終わるらしいことを、DJの原田美樹が言っていた。その涙声につられてしまい、私も泣きそうになった。

 私は、コンビニで買ったコーヒーとパンを夜食にほおばった。


 大阪港での出来事を投稿しようかな。




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真夜中ラジオに投稿したい 猿川西瓜 @cube3d

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