第3話
那覇。つまりは沖縄だ。
僕は沖縄へ行ったことがない。せっかくならば、可能な限り遠い、知らない所へ。
「沖縄行きの飛行機、乗れますか」
航空会社のカウンターへ向かい、声をかける。綺麗に化粧をし、前髪をぴっちりと撫で付けた女性がパソコンの画面をのぞき込む。
「本日ですか」
「はい」
「何時のフライトでしょうか」
「一番、早い飛行機でいいです」
学生ですか、との問いにいいえ、一般です──と答える。料金は高くなってしまうが、学校をサボったことへの言い訳をしたくなかった。
運賃はびっくりするほど高かった。もっと料金の安い航空会社がないかどうか調べるべきだったと一瞬で後悔が襲ってきたが、高いからやめますとは今更口にできなかった。
預け入れの荷物がなければ、二十分前までに搭乗手続きを終えてください──簡単な説明に静かに頷き、僕はそそくさとその場を離れた。
女性は忙しいらしく、僕の不審さなど気にもとめていないようだった。おそらく何らかの事情で平日の昼に飛行機に乗る若者なんて珍しくもないのかもしれない。
チケットを売って貰えたのだから、これでひとまずは危険物を持っていない限りは飛行機に搭乗することが可能になったわけだ。
時刻はとうに九時半を過ぎている。当然始業式は始まっているだろうが、僕がいないからといって、学校に何も変化はないだろう。
購入したのは十一時半の便だ。出発まではまだ時間がある。
普段着のような服に、小さなアタッシュケースだけを持った男性がビジネスクラスのカウンターに立った。
一体彼は何の仕事をしている人なのだろう──と思ったけれど、観察したところで僕に何かが分かるはずもなく、静かにその場を離れる。
回転寿司やそば屋が立ち並ぶ飲食店エリアを抜け、見かけたコンビニに入り、ミネラルウォーターと惣菜パンを買う。
明確な行き先のない片道切符を購入し、手持ち資金の一割以上を既に失ってしまった。あまり贅沢はできないぞ──と脳の中で警鐘が鳴る。
落ち着ける場所を探して人気のない方へと移動していくと、展望エリアに辿り着いた。
滑走路を眺める事ができるベンチがあり、そこに座り込んで遅い朝食を食べることにした。ビニールの袋を開けると、酵母なのか、コンビニのパンの独特な香りが鼻を抜けていった。
ガラスの向こう側にはグレーのアスファルトと空、そして海が広がっている。
あたりに人影はなく、飛行機がゆったりと動いているだけだ。確かに人間がそこにいるはずなのに、まるでミニチュアの世界に迷い込んでしまったかのような不安がある。
あまり静かな所にいるのも良くない。パンを全て飲み込み、さっさと搭乗ゲートに向かってしまおう。
手荷物検査を抜け、何も不審なものは持っていないはずなのに、もしこの探知機に引っかかってしまって、身分の証明を求められたらどうしようと、手がそわそわと落ち着かなく動く。
──飛行機のハッチが閉まったとアナウンスがある。まもなく離陸だ──今から離陸します、なんて無粋なアナウンスはない。ただ静かに、機体はゆっくりと進んでいく。
鼓動が早くなっていくのを感じる。乗り慣れない飛行機に、男の子らしくわくわくしているのか、それとも、もう後戻りできないことへの恐怖か?
ぐん、と重力に逆らいながら僕の身体は斜め前へ上昇していく。パイロットの仕事はさぞや楽しいのだろうな。
だって親がパイロットだからその跡を継ぎましたとか、親に「あなたはパイロットになりなさい」なんて強制された人の話なんて聞いた事がない。
飛行機はとまらない。あっと言う間に滑走路が遠くなり、背景の一部になっていく。東京が小さくなり、灰色のもやのように、曖昧なものになっていく。
──ひとまずは、もう、あの人には僕を捕まえる事はできない。
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