第17話
紅露と六合は黄昏という名の邸、迷路の様な楼閣をとにかくあちこち歩かされていた。
『疲れたかな?』
『いえ、大丈夫です』
紅露は深呼吸をしつつ背を伸ばし問いかけた六合に応えた。
これより半刻前の事。
屋敷の前で店じまいをしようとしていた店の者と接触し、思いの外警戒もされずあっさりと邸内へ案内された紅露はその迷路の様で複雑な回廊に歩を進めながら何度も振り返った。
進めども進めども同じ景色が続く。さながら大蛇の腹の中にでも迷い込んだようで不気味な雰囲気に飲まれていた。
しかし隣で歩く六合はというと全く不安気もなく妖にでも化かされたかと錯覚する紅露と対照的に余裕の様子であった。
『どうした?不安ですか?』
『あ、いえ…少し』
素直に口にする紅露に六合は微笑む。
『大丈夫』
『……』
六合の余裕に些か不安は取り除かれたが、しかして暫く歩けば又今きた道を確認せずにおれない心情に駆られる。
どこからともなく風が吹き紅露の前髪を揺らした。
『……風が…』
『ああ、今日は風が強いかも知れぬな…寒いなら羽織が確か奥の部屋に…』
無言で案内をしていた屋敷の者が口を開いた
『いえ、寒い事はありません…しかしもう日も落ちてきたので窓を閉めていかねばならないのではないですか?』
『はは、毎朝全ての窓を閉め、日の沈む頃、これから全ての窓を開けて回るのです。これが私の主な仕事と言えるほど骨の折る仕事出です。』
『……毎朝窓を閉める?そして宵に開放するなんて…』
『可笑しいでしょう?しかし我が主人は夜が心地よいそうで…まぁそういう風変わりも付き合うと慣れていくよ』
『……』
回廊は仄暗くそれでも目も慣れてきたあたりで周辺を見回す余裕が生まれた。それは、不安に陥るたびに励ます六合に頼もしさを感じ安心感に変貌した事に起因する。
よく見ると繊細な装飾が施されている。
見た事もない模様に異国の風情も見て取れた。
幾つもの扉を通過し、幾つもの階段を上がり又別の棟へ渡り、そうこうしていると案内人はようやく通り過ぎる事なく引き戸の前に立ち止まった。
そして男は六合へ向き直ると青白い手で戸を指し示した。
『さぁ、君はこの部屋で待ってくれるかね?それで君はえーと…君たちはどちらが歳が上なのだ?姉か妹か?それとも兄か弟か?』
立ち止まった紅露に意味深げに笑い問うた。
紅露はその笑みを目にし背が凍る様に感じる
『あ…私たちは…』
『私達は双子です…どちらが姉で兄か妹で弟かわからないのです…何しろそれを知る家族はとうに亡くなりましたから…』
言葉に詰まりこわばる紅露の肩を抱き六合はにこやかに答えた。
『な?紅!』
『あ、うん…』
『そうか。では紅とやらは私と別の棟へ…それぞれに話を聞く者が違うのでな…』
『……紅露。私の手を』
六合は手を差し出す。
『??』
おずとしながら開かれた手に掌を置くと六合は強く握りしめた。
『!?』
『護符の様なものだ…持っておいて…』
そう言うと六合は男に言われた戸を開き中へ消えた。
紅露は手を開くと艶のある馬の立髪があった。男に気付かれぬ様に胸元にそっと隠した。
『さて、我々も行くか…もう間もなく日も落ちる事だし丁度良い…』
男の呟きに積み重なる不安を拭えなかった。
古めかしい楼閣。格子窓から赤々とした光が一筋廊下を照らしていた。窓の外に目を向けると、地に沈む夕日が最期の揺めきをみせていた。
最後の瞬間、一瞬燃え上がりを見せる蝋燭の灯火の如く赤々と怪しくそして闇夜の漆黒に輝きながら地に飲み込まれていった。
『あぁ…日が完全に沈みましたな…』
男は呟く
『あ…あの…良かったんですか?もしご迷惑でしたら明日出直しもできますが…』
『いやいや昼間は店が忙しい。これくらいの時間帯が一番都合が良いんですよ』
『はぁ…』
男は歩を進める。
紅露はふと、男の背を見つめながら違和感に気付いた。
廊下に響く足音は紅露のものだけである。
日中忙しい大店が店じまいをした後、ただの1人も人間に出会わないのはおかしいと、紅露は思わず顔を上げる。
『どうしました?』
『!!』
すぐ目の前鼻先に男は迫っていた。
『い、いえ…他の店の人達はどこに…』
『ああ、皆食堂で夕食でしょう…私も全ての窓を開けた後食事です…』
『…そうですか私のせいで時間を取らせてしまったのですね』
『なぁに、気にしないでください。さぁ、ここですよ。お入り下さい』
男が立ち止まったのは他のどの戸よりも豪奢な重々しい扉である。
開かれた戸は木の軋む音がする。
『さぁ、中へ…手前であなたと同じ仕事を探しに来た女子の小部屋がありますので…奥の小部屋でお待ち下さい』
『わかりました』
『一番奥が黄昏様がおわす広間です。あなたは非常に運が良い…黄昏様直々に話を聞いて下さるそうです。なかなかない事ですよ?』
『……はい』
『あ、それから中は静かにお願いします。黄昏様は大変気難しいので…』
紅露は部屋へ一歩足を踏み入れると薄暗い廊下よりも更に暗い部屋の中を見回した。
目を凝らせばようやく部屋の形が分かる程度である。
そしてどう言うわけか着ていた衣が湿っている。
『衣が冷たい…この辺りは乾燥地帯なのに何故こんなに湿って…?』
思わず口に出してしまう。
木製の重々しい扉は紅露の希望を切断するかの如く静かに動き出しゆっくりと閉まっていく。
周りに気を取られている間に音もなくその重厚な扉は完全に紅露と下界を断ち切った。
完全に扉が閉まる間際隙間を抜ける空気がヒューと音を立て紅露は置かれた状況に気が付いた。
『え?扉が…閉まった…?』
背にしたはずの扉が振り向いても見えず急に孤独感に襲われ始める。
『……』
六合の立髪を仕舞った懐に無意識に手を押し当て、意を決すると一歩、また一歩と足を運んだ。
月季姫と白金の嵐 @himakyon3tuki
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