第16話
記憶ではまだ確かに日は高く在って万物を平等に見下ろしていた筈だった。しかし男達が気付いた時には燃えていた太陽は立ちまち発生した黒々とした雲に阻まれ、その光を遺憾無く発揮する事はできなくなった。
太陽が厚い雲に隠されただけでなく一帯は急激に熱を失った。
『あ、あ…虎…とてつもない大きさだ…』
『白…いや金か?あれは…何という神々しさだ…』
白金に輝きながらゆらりと頭を上げ咆哮した。
耳を塞ぐ程怒号の様に周辺の山々にまで響き渡った。
白嵐は咆哮の後もグルグルと地鳴りの様な唸り声を上げている。
『あ、あの…』
『…食われる…っ』
白嵐の心の内は激しい怒りと、真逆の神としての理性が攻防し、その間に部屋の隅に転がった天空はそのまま立ち上がり主に駆け寄る。
怒りで我を失いかけた白嵐に語りかけた。
『白嵐様っ冷静に!冷静に願います』
男達には今日の夕飯にと捕まえた何とも知れぬ犬が大きな白金の虎に立ち向かっているように見えていた。
『あぁ、食われるぞ…』
『父ちゃん…白い獣ってもしかして、昔母ちゃんが言っていた西の神では…』
父親に抱きつき恐れながらこちらを見ている子供がつぶやいた。
父親は子を抱き守っている。
その姿に些か冷静さを取り戻した白嵐。
男達はそれに比べて情けなくも震えあがっていた。
『西の…西の神様。もし西の神様だったらお願いです土地が荒れて家族で村から出て旅をしました…出会った商人にこの場所に村を作れと言われ…その内母ちゃんと姉ちゃんが連れて行かれ…同じように集まった家族もそうだ。なのに土地も野菜も米も育たない…助けて下さい』
『………』
『作物さえできれば母ちゃん達は街に行かなくても良いんだ!作物ができる土地にして欲しい…ここは雨もない川も黄街まで行かねばありません…』
『………』
『白嵐様…あの商人には何かあります…』
『……村を勝手に作るとは…図々しいにも程がある』
主従の会話はそれ以外には対峙しているようであった。
子供はぶるぶると震えながら父親から離れ天空の元へ行きその首元にしがみついた
『この犬は捕まえた時転んだ私に気を取られて捕まったんです。不思議な瞳の色が美しいのに…食べないでください』
泣きじゃくっている。
『おい、天空。お前を我が食らうと思うておるようだ…しかも子が転んだのを気にしたとはなかなか情のある事だ』
『いえ、捕まる機会を窺っていただけです…それに人間とは変わった生き物で驚きはしていますよ。ついさっきまで私を腹に入れようと算段しておったのに…』
『なかなかに面白い生き物であろう?だが…可愛いではないか大の大人は震えておるに我に立ち向こうておる』
『……いえ特には…』
『相変わらず情のない奴だな…腹が空いて背に腹は変えられなかったのだ…。お前の瞳の光に気付くとはな。人間にも年齢や男女の別なくそう言った者はおるのだな』
『はぁ…』
『よし、一芝居打ってみよう…さっきの話だとあの男は置き去りにした紅の場所まで戻るやも知れぬ』
『……はい』
天空は首にしがみつく子に困惑しながら不思議と嫌な気持ちはしなかった。
白嵐はのそのそと歩き男達に近付く。
『…この地に勝手に村を作れと命じたはお前か?』
『!!!』
輝く大きな獣の言葉に皆は縮み上がった
『ひぃぃぃ』
『この、この商人に言われました。もう少し行けばまだ未開の土地だが良い村になりそうな場所があると…それでここに…』
『私もです』
『私もです。それで妻と娘は連れて行かれました…』
白嵐は商人を一睨みする
『や、ややや…ち、ちがいます…私も此処に人を集めよと命じられただけで……何も…』
『この土地は我が守る土地。許しもなく村を作る事はできぬぞ』
『はっ…ははぁっ』
商人は土下座をし何度も頭を地面に擦り付ける
『お、お許しください…私は元は南の国の商人ですがヘマをやって罰を受ける所を黄昏様に救われたのです。命を助ける代わりに人間の女子を連れて来いと…そう命じられてやっただけです…』
『なっ…で、では私達の妻や娘は…仕事があって連れて行かれたのではないのか?』
男達は騒ぎ始めた
『う、煩い煩い!私は関係ないのだ。黄昏様が悪い…西の神よ…黄街の黄昏様の責任です。お許しください…』
わざとらしく大袈裟に命乞いをする男に白嵐は呆れた。
『もう良い。さっき話しておった妖女はどうした?』
『あぁ、昨日立ち寄った村に3人の姉弟が住んでおり、これまで立ち寄ったどの村にも居ぬ程類稀な美しき姉妹でしたので妹御が黄昏様の…あぁ、いや正確にはその奥方の趣味と申しますか。連れていけば喜ばれる謝礼も弾むので…あ、いや。それで目をつけたのですが…結局あの妖女めが邪魔立てし取り逃しました。あれはかなりの性根の悪い妖女でしょう。西の神よ。良いのですか?野放しにして。大変な事になりますよ?』
『ほう、そんなに悪い妖だったのか?』
『悪いというものではありません…あ、そうだ、これです。見て下さい。私の足に月季の棘で傷付け…痛くて未だに血が止まらぬのですよ』
『……』
『白嵐様、怒ってはなりませんよ』
天空の言葉に唸り声で返す白嵐
『しかし驚くほど芳しく美しかった…ですので別に姉の方でも黄昏様自身が可愛がるかと…黄昏様は女子の白い肌に真っ赤な血の滴を愛でる変わった趣味があるので…しかしまた余計な真似をして、私が鞭打つ老馬を庇うので腹に据えかねてその辺りに捨て置きました…生きていてもあの傷だ…最悪は鳥に啄まれておらぬかどうか。』
『……』
『妖女ゆえ死にはせぬでしょう。その辺りの草に隠して来ましたから。瀕死であるのは間違い無いかと…もしも黄街の黄昏様を掃討して下さるなら妖女めは私が捕まえて見せ物にでもしますよ』
『お前は救いようのない人間だな命を救って貰った黄昏なる者を今度は裏切るとは…まあ良い。最近魔が増えておる。お前の様な魔に取り憑かれた者も珍しくはないのかも知れぬな。だがもうこの私の守護下にある地では商売などさせぬぞ。それに村の外には何やらお前に客がおるようだ黄昏の手の者に監視でもされておるのか?相当な手練れのようだが…』
『なっ…た、確かに約束の日にちより遅れてはおりますがそんな…私を監視…』
『どうしますか?白嵐様…一度泳がせてみますか?』
天空の提案に白嵐は頷いた
『どうせ私に追われたとその黄昏に泣き付くのであろう?ならばそこに案内させるとするか』
『男よ、我ならばこんなところで油を売るより先ずは黄昏に会いに行き、この地で女子供を調達できぬようになったと黄街の河港から別の国での開拓を提案するがな…ちと頭を使うてみよ』
『み、見逃して頂けるのですか?!』
『愚かなお前たち人間1人どうという事はないが、血で我自身を穢す事はしたくない。排除できるなら排除で良い。だが、この者達の妻や娘を返すように働きかけよ。でないと黄街諸共一瞬の内に我が砂嵐で消してやるぞ』
最後は雄叫びの様な警告に男は震え上がった
『はっ…はいぃぃっ』
その頃紅露と六合は黄昏の邸に通され、迷路の様な楼閣をあちこち歩かされていた。
『六合様…あの…この邸はこんなに広かったのですか?』
『さぁ、しかし目に見える物が実際そうであるとは限りません…』
『??それは一体…』
『簡単に言えば一番年若に見える私が実は誰よりも長く生きている…その様な事です。邸の正面から見えていたものと中は全く違う奥行きがある。しかしてそれはこの世の全てに共通する…煌びやかに見えたこの邸も中は寒々しく混沌とした空気だ…』
『……』
紅露は混沌という空間、そしてその中に拭えない孤独に足元が冷たくなる感覚に陥った。
『そんな不安な顔をしなくとも大丈夫ですよ…私がいます』
六合はそっと紅露の手を握ると笑った
『……はい…大丈夫です。不思議な空間に少し怖くなりましたが。私がしっかりせぬと六合様を守れませんもの』
『はは…紅露は見た目に騙されてばかりだな』
『六合様…私を背に乗せて長い距離を走ったのですよ?それに私も百花仙子様の弟子の中では武芸とまではいきませんが闘いもできます』
『確かに美しい花にはおいそれと近付けない…それから淑やかに咲く花の根が猛毒である事もある。見た目に騙されて痛い目に遭う所だ。先程私が言った事と同じですよ』
無言の家人について歩く暗がりの回廊は冷たく紅露と六合の前に大きく口を開けた黄泉の国への入り口にも見えた
しかして六合の励ましで紅露は子供達を救い出す使命感が湧き出していた。
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