スタンドアップ・ボーイズ! フィフスジャンプ

和泉茉樹

スタンドアップ・ボーイズ! フィフスジャンプ

     ◆


 物音で目が覚めた。

 寝台の上で寝返りを打った時、感触で自分が住居の方の私室で休んでいないことを思い出した。

 祖父が経営する整備工場シュミット社、その作業場の作られた仮眠室だ。

 起き上がった途端、くしゃみが出た。春が来たとはいえ、やや涼しい夜だ。体にかけていた毛布はすでにずり落ちて床まで垂れていた。

 しかし、何の音だ?

 こうしている今も、外で何かゴソゴソと音がする。猫が忍び込んだとか、ネズミが駆け回っているとか、そういう音じゃない。

 俺のくしゃみは聞こえなかったらしい。

 しかし、参ったな。母に仕込まれた格闘術は使えるし、仕事で体力だけは鍛えられているから、大抵の相手は問題にしないのだけど、厄介だ。泥棒を捕まえて、警察を呼び、事情を聞かれ、そんなことをしていたら明日は仕事にならない。

 かといって物を盗まれるのを放っておくわけにもいかない。

 仕方がない、と心を決めて、俺は静かに寝台を降りた。念のためにそばにあった予備の工具箱から、武器になりそうなバールのようなものを手に取った。逆に危険だろうか。やりすぎて相手が負傷したりするのも困るが、まぁ、バールのようなものの威圧感に期待するしかない。

 仮眠室のドアは手動なので、普段通り、全く静かに開いた。念入りに油をさしていた甲斐があるというものだ。

 作業場の音がピタリと止んだ。

 気づかれたかな。しかし真っ暗で、月明かりだけが頼りだ。

 いや、表の戸が開いて、その隙間から外のささやか光が差し込んでいる。

 音がしていた方へ、用心して整備途中の車を盾に回り込んでいく。

 それとなく伺うと、シルエットで侵入者が見えた。真っ黒い服を着ていて、輪郭がひどくはかりづらい。しかし目元には暗視ゴーグルをつけていて、それ以外が露出してるので、男だということと、そこそこの年齢だとわかった。

 一人だろうか。

 いや、この人は……。

「父さん?」

 声をかけると、男がびくりと肩を震わせ、暗視ゴーグルを外して顔を晒した。

「オリオン? オリオンか?」

 なるほど、露わになった顔は父のイカロス・シュミットその人だった。

 俺は安堵して車の影を出て、進み出た。父もすでに警戒を解いて、肩の力を抜いている。

「今、何時だと思っているわけ? 何しにきたの?」

 父はムッとしたようで、当てつけのように肩をすくめて見せた。

「実家に帰ってきたんだ、大目に見ろ」

「窃盗も大目に見ろとは言わないよね?」

「俺の個人的な所有物を回収に来たんだ」

 言われてみると、父が漁っていた工具箱は、俺の工具箱でもなければ、祖父の工具箱でもない。祖父の口から「触るな」と言明されている、父が置いていった工具箱だった。

 これが大型の荷箱で三つあり、片付けられることもなく作業場の隅に積まれたままになったのは、もう何年前かわからないほど昔だ。

 話は後だ、と父さんが暗視ゴーグルをかけ直そうとしたので、俺は壁際のスイッチで最小限の明かりをつけた。どうも、という返事。

 俺は近くの荷箱の一つに腰掛けて、父が次々と古びた工具を取り出しては、床へ並べていくのを見ていた。

「母さんとは会っている?」

 こちらからそう言うと、まあね、という返事があって驚いた。

「どこで会ったのか、想像できないけど?」

「スエア共和国の南部だな。街の名前は忘れた」

 スエア共和国?

 確か宗教に関係する内乱が続いている国で、実際には東西に分裂しているはずだ。

「どういう関係で会ったの?」

 仲睦まじい夫婦として会ったのか、という嫌味だったけど、返事は酷いものだった。

「あいつは俺が整備したスタンドアッパーをぶっ壊す傭兵、俺は傭兵がぶっ壊すスタンドアッパーをなんとか使えるようにする整備士。まぁ、そういう関係だ」

 敵味方に分かれているのかよ……。

 二足歩行ロボットのスタンドアッパーは、元々は兵器として開発されたが、短くない時間の中で一般にも根付き始めている。

 ここ、オルタミス共和国ハッキン州の州都では、一年を通じてスタンドアッパーを使った多種目競技会が行われている。これを、ハッキンゲーム、という。

 ただ、そうやって民間で使われるより以上に、スタンドアッパーはまだ兵器としての側面が強い。最新型のスタンドアッパーは、民生利用の機種に過ぎない。本当の最新型、先端技術の粋を集めたような機体は、戦場にある。

「まだ例のゲームには参加しているのか」

 父の方からそう訊ねてきたので、「いいや、最近はやっていない」と答える。

 俺がハッキンゲームに最後に参加してから、すでに八年ほどが過ぎている。最後は高校卒業の前後だったはずだ。

「お前の友達って奴もか?」

「ダルグスレーンのこと?」思わず笑いそうになってしまった。「あいつはまだだいぶ未練がありそうだね。でももう二人とも、学生じゃないし、仕事をそれなりにやらなくちゃ」

「じゃあ、あの小僧もガスステーションを継ぐわけだ。お前がこの整備工場を継ぐように」

 思わぬ言葉に、身を乗り出してしまった。

「世代的に、次にここを経営するのは父さんだと思うけど?」

「俺はここに戻るつもりはない」

 たった今、戻っているじゃないか。

「俺はもっと刺激的で、新しいものに触れていたいんだよ。州都とはいえ、ハッキンは田舎だし、ハッキンゲームに出てくるスタンドアッパーは、はっきり言って時代遅れだ。こんなところにいれば俺の心は死んじまうね。心の翼が萎れちまうんだ」

 変に詩的なのかどうなのか判断できない表現を使っているが、要はここにはいたくない、というだけのこと。

「戦場なんて、悲惨なだけじゃない?」

 そう角度を変えて質問してみるが、そうに違いない、と真面目な横顔で父が頷く。

「お前には想像できないだろうが、戦場から帰ってくるスタンドアッパーは、綺麗なもんじゃない。土まみれ、泥まみれ、オイルまみれ、場合によっては血まみれだ。ただ俺はそれを見ると、直してやりたくなるんだ。もう一度、生き返らせるようにね」

「またそれで人が傷つくのに?」

「答えが出ない問いだ。そもそも戦争っていうのは、誰がやりたいと思っているんだろうな。誰のために、それをやるのか。何のために、それをやるのか。国のため、宗教のため、家族のため、友人のため、子のため。思想ため。野望のため。ひとつだけはっきりしていることは、巨大な集団が戦うと決め、引き金を引いた以上、撃つ側も撃たれて反撃する側も、どこかに答えを見つけないと何もできないということだ。理由ってのはさ、美しさも尊さもなく、崇高だろうが矮小だろうが、とにかく、こうだと決める。争いが終わらないのは、その理由と理由がマクロでもミクロでも、衝突するからだろう。虚しいことだが」

 目当ての工具が見つかったらしい、光にかざしながら動作を確認して、どこか影の濃い父が淡々と続ける。

「争いがない、というのは世界の在り方の理想だ。それが最も正しい。争いは奪うだけ奪い、壊すだけ壊す。だから俺はきっとどこかおかしいんだろうな。奪う道具、壊す道具を直しているんだから。理想から遠ざかり、理想に泥を塗る行為さ」

「そういう仕事、辞めたほうがいいよ」

 俺の言葉に、すっと父がこちらを向いた。

 明かりの中のその顔は、どこか青白く、死体のようにも見えた。

 一瞬、ここにいるのは実体のない父の亡霊で、本当の父は遠く離れた戦場で、爆弾か銃弾か何かで死んでしまったのではないか、と想像した。

 無意識に影を確認し、父には影があることを理解した。

 妄想。くだらない幻想だ。

 でも父は間違い無く、妄想でも幻想でもない、戦場に生きている。

「お前の母さんに、そう言ってやってくれ」

 父の言葉に、僕は口元を歪めるしかなかった。

「父さんが俺の言うことを聞かないように、母さんも俺の言うことを聞くわけがないよ」

「お前なぁ、自分の両親の間を取り持とうという気はないのか?」

「大人の事情は俺にはまだわからないな」

「大人になれ、オリオン。俺やディアナのようになれとは言わないがね」

 工具を元のケースに戻し始めた父は、まだ確かにそこにいる。

 でも床に並ぶものが全てあるべき場所へ収まったら、父もまた消えてしまうのだと確信があった。

「もし俺が経営者になったら」

 俺の方から念を押しておく。

「危ないと思ったらすぐに店を畳むよ。別にどこか余所の整備工場で働いてもいいわけだし」

「勝手にしろ。ここは俺の実家だが、俺の住まいでもなければ、生活の場でもない。田舎の、形だけの地方都市の寂れた整備工場が不滅だとは、さすがに思っちゃいないよ」

「それを聞いて安心した」

「しかしな」

 父が真面目な顔でこちらを見て、次に破顔する。

「閉める時は一応、俺を呼んでくれ」

「なんで?」

「ここにあるいくつかの大型工具がぜひ欲しい。他人に売ったり譲ったりするなよ。俺が買うし、貰い受けるから」

 やれやれ、調子ばかりいいんだから。

 ついに床に並べられた工具は消え、選ばれた幾つかが細長いケースに収められた。それを背負った父が「邪魔して悪かったな」と微笑む。

「次にいつ帰ってくるか、は聞いても無駄だろうね」

「その通り。気が向いたら、必要があれば帰ってくるさ。親父と、それとディアナと会うことがあったらよろしく伝えておいてくれ」

「母さんも年に何回かしか帰ってこないけど、覚えていたら伝えておく」

「それでいい。じゃあな、我が息子。達者でな」

 荷箱に座ったままの俺の頭に手を置いてから、父は大きな歩幅で作業場を出て行った。

 一人になって、しばらく外を見ていた。父が閉じていかなかった扉の隙間に、もうその姿はない。

 意味もなくため息を吐いて、電気の明かりを消した。そうしてから、扉を閉めておかなくちゃと思い直し、足を進める。

 扉を閉める時、外を見た。

 静かだ。

 世界はまだ夜の真ん中に沈み込んでいる。

 まるで父はここへ来なかったように感じられた。

 これは俺の見ている夢だろうか。

 朝まで時間はある。少し眠るとしよう。

 俺は力を込めて、扉を閉めた。



(了)

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