つなぎ手

かなぶん

つなぎ手

 それはある夏の日のこと。

「なあ、知ってるか? この学校にも七不思議ってのがあってさ」

 暑い日が続いていたせいか、頭の沸いた友人がそんな話を持ち出してきた。


 真夜中の学校で屋上から飛び降りる人影を見たなら――

 数日以内にソイツは死ぬ、あるいは呪われる。


「アイツ……明日会ったら絶対殺してやる……!」

 物騒を吐きながら、恭哉きょうやが必死に伸ばす手の先には、学校の窓。

 どこかにありそうな怪談話をした後、真夜中に忍びこもうと誘ってきた友人を、いの一番に払った恭哉。それが何故、真夜中近くに学校の窓へ片っ端から手を伸ばしているのかと言えば、とあるモノを件の友人に盗られたせいだ。ただ盗られただけなら、真っ直ぐヤツの家に向かい、一発殴って取り返すぐらいで済む話なのだが、それを見越していたのか、はたまた自分の話に乗って貰えなかったのがそんなに悔しかったのか、友人は厄介なことにソレを学校のとある教室に隠したという。

 親切面で「学校の窓なら開けておいたぜっ!」と一文を付け加えて。

 悔やまれるのは、それがどこの窓か、反応するのも腹が立つと聞かなかったことよりも、ヤツの家が学校を挟んで逆方向にあることだろうか。

(あった!)

 思いつく限りの呪いの言葉を友人に投げつけていれば、ようやく見つけた侵入口。

 暑い夏だからこそ、見過ごされたであろう窓をそっと開け、なるべく音を立てないように気をつけて降り立つ。そうして余計な光が漏れないよう、手を翳しながら明かりをつけ、見慣れない室内を確認した。

 特別室なら最悪出入り口に鍵がかかっている可能性もあったが、どうやらどこかのクラスの教室らしい。それに安堵する間も惜しいと早速廊下へ出た。

 教室を出れば勝手知ったる高校だが、なるべく低い姿勢で移動する。

(こんな時間に来たことねぇけど、巡回とかあるなら面倒だな……)

 通常の心境であれば、怖いと思うようなしんと静まり返った夜の校舎だが、今の恭哉にとっては、生身の巡回者の方が恐ろしい。

 怒られることが、ではない。

 とっ捕まった挙げ句、目的も果たせず帰された後の明日が恐ろしいのだ。

 友人が盗み、とある教室に隠したモノは、友人たちの間であれば笑い話に、他の者に知られたなら、どれだけ違うと言っても聞き入れて貰えそうにない代物――


 暑い夏と暇にやられ、ノリで書いたラブレターなのだから。


 しかもご丁寧に、学年・フルネーム入り。

 付け加えるなら恭哉の書いたラブレターは、友人たちの中で一番出来が良く、「お前にそんな才能があるなんてな!」と持て囃されていた。それもあってか、捨てるのをすっかり忘れていたモノが、こんな状況を招くとは。ちなみに某友人の出来映えは、「……お前、よくコレで彼女できたな?」と言われるモノだった。

 そんなこんなで無事辿り着いた3階、ラブレターを隠したとされる教室。

 入る前に見上げたクラス番号は上級生である3年を示している。

 よりにもよって、その机の中に入れたという友人を再度心の中で罵り、殴り、呪ってから、一呼吸。

「……失礼します」

 妙な気後れを感じた恭哉は、小声でそう呟くとゆっくり教室を開け――

「っ!!?」

 驚いた。

 誰もいないはずの真夜中の学校。

 だというのに、月明かりが差し込む窓際に、一人の女生徒が立っている。

 背中まで届く長い髪とレトロなデザインの髪留め。

 青白い光を頼りに手にした紙を読む輪郭は美しく、澄んだ瞳を長い睫が飾る。

(う、噂の幽霊……って訳ないか)

 一瞬、これまですっかり忘れていた友人の怪談話が思い出されたが、女生徒が紺のブレザー姿であることに気づいて即座に否定する。

 経緯は忘れたが、この学校の指定制服は今年から紺のブレザーを採用していた。もちろん、用意できない場合は今まで通り、茶色のブレザーでも良いそうだが。

 ともかく、友人の話が本当だったとしても、今年変更になったブレザーを着用しているなら、少なくとも彼女が該当する怪談の主ということはないはずだ。恭哉が入学してこの方、屋上から飛び降りた生徒などいないのだから……。

 しかし、何かが引っかかる。

 疑問に思いつつ、もう一度女生徒を見た恭哉は、

「あっ!」

 思わず声を上げてしまった。

 当然のように女生徒が顔を上げ、こちらを見るのだが、恭哉の視線は彼女と交わされることなく、その手に持つ紙へ向けられていた。

 どこかで見たことのある便せんは、紛れもなく恭哉が書いたラブレター。

(よ、よりにもよって!!)

 何もかもが台無しになる事実に固まっていれば、ふっと甘い声が笑う。

「貴方が、恭哉君?」

(終わった……)

 ようやくまともに見た女生徒は美人と言って良い部類だが、それよりも何よりも、手紙の書き手とバレたことが恥ずかしい。次に何を言うべきか、一度真っ白になった頭では何も浮かばず、恭哉の目だけが泳ぎに泳ぐ。

 そんな恭哉の心情を読んだ訳ではないだろうが、くすりと笑った女生徒は、恭哉の手紙を机にそっと置いて言う。

「ごめんなさい。床に落ちていたから拾ったんだけど、宛名がないから勝手に開けて、読んでしまって」

(あ……なんだ、この人じゃないのか……)

 誰の目にも触れない内に。そう急いでいたはずが、手紙の受取人が女生徒ではないと知り、何故か落胆する自分に戸惑う。

 とはいえ、否定するには絶好の機会。

 ――いや、違うんです。それは友人が勝手に机の中に入れてしまって。

 そう言おうと口を開きかけた矢先。

「でも、やっぱり宛名がないから、この手紙、私が貰ってもいい?」

「え?」

 華やぐ笑顔でそう言う女生徒に、恭哉の目が驚き見開かれる。

 しかしそれは、彼女の言葉の意味に、ではない。

 そう言う彼女が恭哉の手紙を胸に、開け放たれた窓に腰かけたから。

「ウソだろ、おいっ!!?」

 一気に駆け出し、手を伸ばす――だが。

 美しい微笑みを浮かべた女生徒は、恭哉の手を取るように似せた格好で軽く手を振りながら、深夜の校庭に背中から落ちていった。


* * *


 それはとある春の日のこと。

 卒業式を終えて、思い思いに帰る生徒たちの背をぼんやり眺めていた教師は、寄りかかった柵の隣に座る人影を知り、そちらへ目を向けた。

 黒く長い髪に澄んだ黒い瞳。紺色のブレザーの胸元には、卒業生がつける造花。

山河部やまかわべ先生、こんなところで何しているの?」

「特に何も」

「可愛い生徒たちの門出なのに見送りもしてあげないなんて」

「必要ないだろう。あの中には、ぼんくら教師を気にする生徒はいないし、俺も気にしている生徒はいやしないんだから」

「ふぅん?」

 素っ気なく返せば、女生徒は非難の割に大して興味のない声を上げた。

 これを軽く笑い、再び地上の生徒たちを見て言う。

「そうだな、鈴城すずしろが無事卒業できたら……そしたら、あそこに立ってやるよ。おめでとうってさ」

「何よ、それ」

 先ほどとは違い、むくれた声が返ってきて、山河部が低く笑った。

 そうして訪れるしばらくの沈黙、のち。

「今年も駄目だったか……」

「……うん」

 重い呟きに続く、重い頷き。

 空気まで暗くなるソレに山河部は大きくため息をつくと、ぼやく。

「ったく、どうしたら鈴城先輩・・を卒業させられるんだろうな」

「ふふ、その言い方だと、まるで私が留年しているみたいじゃない」

「そりゃあ俺にとっては、鈴城先輩は留年のプロですから」

「人聞きの悪いこと言わないで。私は一度だって留年していないもの。ただ、繰り返しているだけ。3年生を、何度もね」

「はいはい」

 カラリとした鈴城の口調に応じる山河部の声は素っ気ないが、内心は暗い。

 鈴城八代衣やよい――この高校の3年生を何度も繰り返している女生徒。

 そのことを知っているのは、山河部が知る限り、自分だけだ。

 彼女との出逢いは教師になる前のことで、当時山河部はこの高校の生徒だった。それから山河部が教師としてここに赴任するまでの間、それ以降もずっと、今なお鈴城は3年生を繰り返している。原因が何かは彼女にも分からないという。

 ただ、山河部には一つだけ、繰り返しの中で気づいたことがある。もしかしたらそれこそが、彼女を”卒業”させられる、唯一の方法ではないのかと。

 それは――

「さてと、それじゃあそろそろお別れね」

「…………」

 校門から学校までの範囲に、すでに卒業生の姿はない。

 これを見計らい、静かにそう告げた鈴城は、柵に腰かけた格好のまま後ろへ、屋上から地面へと、背中から滑り落ちていく。

 ――いつかの夜、生徒だった山河部が見たのと同じように。

「っ、きょ、恭哉君?」

 いつものように、卒業生の姿が学校から消えるのと同時に、その姿を春まで消すつもりだった鈴城は、山河部に手首を捕まれて目を丸くする。

「その消え方は止めてください――って、前に言っただろ?」

「あ、ごめんごめん」

 言って柵に座り直した鈴城は、照れたように頭を掻いた。

 次いで山河部の手に手を重ねると、まだ睨みつける山河部へ言う。

「じゃあ、改めて。またね、山河部先生。春になったらまた」

 ――会いましょう。

 溶けるようにそこから消える姿を最後まで見つめ、相手を失った手を握りしめる。

 鈴城が自分以外の誰にも気づかれず、3年生を繰り返している理由は分からない。

 だが、自分だけが鈴城を覚え続けている理由には、心当たりがあった。

 駆け寄っても掴めなかった手。止められなかったという恐怖。鈴城が飛び降りたとて、傷一つなく過ごせる身体と知ってもなお、二度と感じたくない後悔の念。

 鈴城への、心残り。

 推測の域を出ない話ではあるが、それこそが鈴城の”状態”を変えられるヒントではないかと思っている。後輩として、教師として話すようになった彼女には、あまりにも何もないから。

「頼む……誰でもいい。どうか、彼女の心残りになってくれ」

 自分がここにいられる内に。

 誰もいない屋上で、彼は誰かに願う。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

つなぎ手 かなぶん @kana_bunbun

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説