ミッドナイト・フェアリー・パーティー

双 平良

ミッドナイト・フェアリー・パーティー

 困ったぞ。何故こうなった。どうしたらいい? 困った。

 リアムは無い知識を総動員して、この状況の打開方法をひたすら考えていた。

「お茶のおかわりはいかがですか?」

「はははははい!いただきます!」

 心臓が飛び出しそうになるのを抑えながら、リアムは声をかけてきた人物を肩越しに見た。金髪碧眼の執事が優雅な所作で、リアムの前にある空のティーカップに新しいお茶を入れてくれた。

「ごゆっくり」

 執事は笑い、他の客席へと行ってしまった。白磁のカップに入った青紫のお茶からは甘い花の薫りがする。普通の会なら、気にせず飲むところだが、彼が参加しているのは、普通の会ではなかった。

 リアムは夜の森にいたはずが、気が付いたらここにいたのであった。それ以外が思い出せないでいた。リアムはそっと周囲を観察する

 執事が別の円卓で給仕している相手は、しゃべるハリネズミであった。同卓には翅の生えた小人、毛むくじゃらの獣、大きなバッタ、シルクハットをかぶったコマドリ。人ではない者たちが、飲食を囲み談笑している。さらに別卓では、緑帽の小人、馬の頭の人や身体の透けた女性などもいる。森に複数並べられたどの卓もたけなわである。花のランプが会を淡く照らす。

 時刻は真夜中だろう。天には黄色く大きな満月が浮かんでいる。リアムは、これが妖精の宴会だと、改めて実感した。

(出されたものを口にしては駄目なんだよな。 元の世界に帰れなくなるんだったか。 妖精の邪魔もしてはいけないんだったか)

 幼い頃、祖母から聞かされたおとぎ話フェアリーテイルが頭の中を回る。

(さっきは隙を見て、捨てたけど。次はどうしよう)

 茶を飲むふりをしながら、なんとか解決方法を探った。甘い香りが、彼に茶を飲ませようと誘うのを自制する。

 リアムの円卓には四名が着席していた。彼の右隣は空席。その隣には灰色の猫が、椅子の上に二本足で立ち、器用にお茶と菫クッキーを楽しんでいる。

(ちょっとかわいい)

 猫の右隣、リアムの正面にいるのは人間のようだったが、白磁の肌に長い銀髪を持った、白い翼が背に生えた天使に似た人物だった。彼女/彼は優雅に白ワインで喉を潤しており、右隣…リアムからは左隣に座る男と歓談をしている。

 男は、つむじから毛先にかけて、薄紅から深紅に染まった長い髪を黒いリボンでまとめた美丈夫だった。黒のシャツとジーンズにロングブーツを履き、灰色のロングコートを羽織っている。髪の間から覗く外耳を飾る黒曜石のピアスが赤髪に映える。

 男は赤ワインを飲んでいたが、芳醇な成熟香に紛れて鉄の臭いがした。それがどうにもリアムには気味が悪かった。

「ところで、君はさっきから何も飲んでいないのかい?」

 関わらないよう目を背けたところを、天使が話しかけてきたが、リアムは聞こえないふりをした。

「君だよ。君。ガブリエル殿の隣の君だ」

 天使は再び、大天使と同じ名をした男越しにはっきりとリアムを指名してきた。

「いや、オレは、その」

 答えに窮していると、天使は花のような笑みを浮かべた。

「新顔かな? 当地の妖精女王の宴は、酒も茶も一級品だ。飲まないと損だよ」

 優しく親し気な物言いに絆されそうになるが、彼はリアムに茶を飲めと言っている。

(断ったら、宴を邪魔したことになるのか?)

 心の鼓動が機関車のように動く。

(すこし舐めるぐらいなら……)

 意を決し、リアムがカップに口をつけた時だった。

「駄目だよ。一滴でも口をつけたら、帰れなくなるよ」

 不穏な言葉と共に、黒い革手袋に覆われた手がカップを取り上げた。手は空席だった席から伸びてきた。いつの間に来たのか。茶色の上下スーツに紫のネクタイをした青年が座っていた。長めの薄茶の前髪と眼鏡の奥で、新緑色の瞳が煌めく。その肩には何故か黒猫を乗せていた。

「おう、遅かったな。ローレンス」

 ガブリエルがワインを飲み干して、片手をあげて挨拶をした。二人は知り合いのようだ。

「すまない。仕事で遅れてしまった」

「月桂樹の魔法使い殿か。ガブリエル殿に勝る珍客だな」

 天使が興味深げに述べる。ローレンスと呼ばれた魔法使いは、天使を気にも留めず、リアムに話しかけてきた。

「貴方は何故この会に?」

「そんなことはどうでもいいでしょう」

 リアムが応じる隙を埋めるように天使が口をはさむ。

「気が付いたらここに……」

「覚えていないのかい?」

「確か、探し物をしていて、森に……」

「覚えてないなら、大したことではないだろう」

「何を探していたの?」

 魔法使いが優しい口調で問い、リアムがそれに応じる度に、天使の声が割って入ってきた。

 天使の言う通り、どうでもよい質問のような気がしたが、質問は続く。

 そうしているうちに、リアムはあることを一つ思い出した。

「そうだ。エレンと喧嘩をしたんだ」

「何故?」

「彼女に渡す予定だった婚約指輪を森で落としてしまって……」

「酷い男だな!」

「朝までに見つけてこなければ、婚約破棄だと怒らせてしまって……。そうだ、だから森に戻ったんだ。落としたなら、昼に通った森の道に違いないと思ったんだ!」

「質問をやめろ!魔法使い!そいつに

 鮮明になってきた記憶に、リアムは目を見開いた。

 どうして忘れていたのか。泣く婚約者に平手打ちされた頬が赤くなり痛い。

 指輪は見つからないかもしれない。けど、探さなければ、誠意ではない。妖精の輪に引っかかるようなドジな自分なのに。それを承知で結婚の意志を示してくれた彼女を、これ以上がっかりさせたくなかった。

「俺、帰らないとっ!!」

 リアムが慌てて立ち上がったその時だった。どさりと何かが足元に落ちた。

「え?」

 落ちたのはリアムが椅子の背に置いていた腰鞄だった。忘れていた鞄の中身が飛び出た途端、騒然となった。

「こいつ、人間だ!」

「どうしてここに?!」

勿忘草わすれなぐさを持っているわ!」

「逃げろっ!」

 同卓の灰色猫が叫ぶと、木々が一斉に踊り、葉や草、花びらが散り飛んだ。

「え?なに?」

 風が落ち着くと、賑やかだった宴席は静まり返っていた。広場には円卓と椅子と数名だけが残っている。

「おや、お開きのようですね」

 執事はからりと言い、奥の席に残ったアゲハ蝶の翅を持った女性の給仕を続けた。

「もっと飲みたかったんだが」

「ガブリエルは飲みすぎよ」

 魔法使いの肩の上の黒猫が呆れている。さすがにもうリアムは驚かなかった。

「勿忘草は妖精が嫌いな植物の一つだね。それはどこで?」

「指輪を探している時に見つけたんだ。エレンの好きな花だから」

 リアムは、蔓で束ねた勿忘草の束を拾い上げる。青い小花が揺れると途端に帰りたくなった。

「指輪の方が大事だって言うのに、のんきだな」

 鉄の匂いがする男がからかう。

「それなら彼女に感謝しないとね。今夜は帰って、明るい時刻に探した方が良い。失せ物探しの呪いを教えてあげよう」

「ありがとうございます。明日、出直します」

 魔法使いの言葉には、必ず見つかるような気持ちにさせる何かがあった。

「待て。そいつをどこに連れて行く。それは私の食糧ものだぞ!」

 ほっとしたのもつかの間、天使が怒鳴った。

 振り向くと、天使が怒り狂った鬼の形相でこちらを睨みつけていた。それを見て、リアムは天使の正体を知った。

「悪魔っ?!」

 酸と硫黄の臭いが立ち込め、リアムが身を引こうとした瞬間、魔法使いが黒く長い杖の先を悪魔の鼻先に向けていた。竜を象った柄が緑に淡く光る。同時に、反対側から鉄の匂いかする男が、身の丈ほどの戦斧の刃を悪魔の首元にぴたりとつけていた。

「彼をここに誘ったのはお前だね」

「大方、指輪もお前が盗んだな」

二人が淡々と言うと、悪魔は蛇に睨まれた蛙の如き声を上げた。

「女王に頼まれたのか」

 ちらりと悪魔が場の奥で茶を嗜む女性を見る。

「お前が場を荒らすから、ローレンス魔法使いに依頼が来たんだ」

「僕一人では手に負えない案件だったから、助手付きでね」

「魔法使い風情に吸血鬼如きが!」

「失せな!」

 言うが早いか、鉄の匂いがする男……吸血鬼が戦斧を悪魔の首に容赦なく切り込んだ。魔法使いが創る魔法陣が、悪魔の身体に巻き付く。

 ずしゅり。

 頭が切れた。

 胴体が地面に倒れると、切れた頭はするりと空を飛び、蝙蝠の翼を持った黒い角の生えた醜い小人へと変化した。これが悪魔の本当の姿だった。

 悪魔は素早く夜空へと逃げ出した。

「逃がしませんよ」

 叫ぶと執事が悪魔を追って跳んだ。執事は、常人とは思えぬ跳躍を見せると、大きな狼の姿に転じていた。

「くそ、極東の飼い犬がっ!」

 捨て台詞もそのままに人狼の大きな手が悪魔をたたき落す。そして、逃がさぬように地面に押し付けた。

 プチッ。

 蚊をつぶした時の音を、千倍にしたほどの音が鳴った。

『あ』

 三人の男の声が重なる。

 人狼が手を地から離すと、タールがべちゃりと付着しているだけだった。

「逃げたな。ロベルト、お前……」

 吸血鬼が、ロベルトと言う名の人狼執事を睨んだ。

「すみません。つい勢いで」

 人型に戻った人狼はしゅんとしている。項垂れた耳と尻尾が見えるようだった。

「これに懲りたなら、当分はここには来ないだろうね」

「一応、依頼完了じゃないかしら。陛下もいらっしゃらないし」

 魔法使いの考察に続けて、黒猫は言う。

 奥に座していたのが妖精女王だったのだろう。

 静まり返った森を見渡す。夜空には来た時と変わらぬ高さに満月がぶら下っている。リアムはやっと息をつけた気がした。

「おつかれさま。ガブリエルもロベルトも今日は助かったよ」

「お役に立てたなら、なりよりです」

 丁寧にお辞儀をする人狼に対して、吸血鬼はまだ飲み足りないだの暴れたりないだの不満を言っていたが、最後は人狼に引きずられて、二人は森の奥へと消えて行った。

「貴方も災難に遭ったね」

「いえ、助けてくださって、ありがとうございます」

「貴方の運がよかっただけだよ」

 ふわりと笑い、魔法使いは失せ物探しの呪いが書かれた紙を彼に渡した。

「では、僕もこれで失礼するよ」

 黒猫を肩に乗せた魔法使いは、両手で軽く杖を握ると、トンと地を突く音と共に、一瞬でその場から去っていった。



 翌朝、リアムが魔法使いが残した呪い紙を片手に森を再び探すと、婚約指輪はあっさりと見つかった。場所は、昨夜リアムが招かれた円卓の真下あたりであった。

 リアムはほっと息をつき、昨晩の宴を思い出して周囲を見回した。

 広場には宴の名残は何一つ見当たらなかった。しかし、指輪の周りには、いくつもの輝く白い茸が円を成し、フェアリーリング妖精の輪を作っていた。

 リアムはそっと指輪を拾い上げると、静かに妖精の森を後にした。

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