夜明けとともに ☆KAC202210☆

彩霞

夜明けとともに

 静かな夜だった。


 半年程前、「アラリアン」と「ルフマ」の国境付近で内戦が始まった。

 どこもかしこも、双方の爆撃のせいで建物も大地も損傷している。その中でも特に被害が大きく、激しい戦闘が続いているのが、アラリアン側にある「ミルト」という小さな町。その理由は、戦い自体ここから始まってしまったからだ。


 ミルトにはアラリアンとルフマの両方の神が祀られており、長年どちらの神が正当であるかとか、土地の所有権がルフマにあるという論争が続けられていた。


 それがつい先日、アラリアンの若者とルフマの初老の男の言い争いが始まり、後に初老の男が殺されたことがきっかけで戦いが始まってしまったのである。そして、周囲の国々からも戦いを止めるよう説得されているが、どちらの国の長は話を聞くことはなく、「ミルト」という町がどちらのものか決着をつけるまでは終わらないと思われた。


————————————


「イヴァン」

 暗闇の中、土管のなかで眠っている少年に声を掛けた者がいた。

「何?」


 イヴァンはすぐに目を覚まし、声の主を見たが暗くてよく分からない。だが、声からすると親友のサスムであることが分かる。


「あれ、寝てなかったの?」


 イヴァンの早い反応に、サスムは少し驚いていた。


「寝てたよ。でも、いつでもすぐに起きられるようにしているから」

「ふーん……。そっか」

「それで、何?」

「夜明けとともに出撃するって。準備が出来ているか、念のため確認しに来た」

「ああ……」


 そういうと、イヴァンは自分の両腕に嵌められている機械を意識した。彼の出撃に必要なものは、この腕くらいなものである。


「問題ない。何なら今でもいいくらいだ」

「ははっ、頼もしい奴」


 サスムはすぐに笑いを引っ込めて、静かに言った。


「気をつけてな。どうせ大人たちは、お前のことを戦争の道具としか思っていないんだ。だから、ちゃんと戻ってこいよ」


 親友の真剣な声に、イヴァンは頷いた。


「分かってる」


 サスムは暫く黙っていたが、最後に小さく頷くと「それじゃあ、報告しに行ってくる」と言ってイヴァンの元から離れていった。


(分かっている。俺は道具だ)


 イヴァンは土管の中から出ると、頼りない月明りの下で自分の腕を見た。そこには人間の肉ではない、硬質なものが取り付けられている。

 元々そうであったわけではない。彼はミルト出身で、その腕は内戦が続く故郷から逃れる際に爆撃で失ってしまったのだ。



 ——戦いさえなければ、こんなことにはならなかっただろうに。



 一人でいるときに、失った腕の代わりに取り付けられた機械義手を見ていると、否応なしにその言葉が心の中にぽろりと零れる。今はそれくらいで済んでるが、義手が装着されたばかりのときはもっと酷かった。見るたびに爆撃で怪我をしたときの凄まじい痛みと酷い憎悪が思い出され、感情のコントロールが効かない程に苛立っていたのである。そのたびに、傍にいた大人たちが彼を抱きしめて「大丈夫、大丈夫」と声を掛けてくれた。お陰で機械義手を見ても平気になったし、最近はこれからの未来を考えると救われる心地もしている。


 イヴァンが爆撃を受けた際、助けてくれたのがシュヴァルツという男だった。

 彼は「ゼフテン・ラシュアル」という、どの国のものでもない武力組織に所属している。それは、内戦や戦争が起こったときに独自の判断で介入する軍隊で、彼はその一員だった。


 イヴァンが負傷した当時、シュヴァルツは情報収集をするため丁度ミルトに潜入しており、偶然にも傍を通りかかった彼が怪我をしたイヴァンを助けてくれたのである。


 シュヴァルツは負傷したイヴァンを連れていくと、自分の組織の医療チームに診せてくれた。イヴァンはぼんやりとした意識の中で、「これで助かる……」と思ったが、傷が治るまでも血反吐を吐くほどの苦しみがあった。


 イヴァンはひと月の間、激しい痛みと下がらぬ熱でうなされていた。腕を失ったことが大きかったらしく、鎮痛剤を打ってもらっても効きが悪いのか鈍い痛みはずっとあった。起きているのが辛かったので、せめて眠っている間は痛みから逃れたかったが、浅い眠りの間は負傷したときの悪夢を繰り返し見る。どちらもイヴァンにとっては酷く苦しいものだった。


 唯一の救いは、その間毎日、シュヴァルツが見舞ってくれていたこと。

 仕事をしている身なので少年一人に構う暇など本当はないのだろうが、彼は時間を作ってはイヴァンの枕元の傍でじっとその様子を見守ってくれていた。時折、額に当ててある水の含んだタオルを変えたり、かさついた手でイヴァンの顔や腕の付け根を優しく撫でてくれる。


 それは腕だけでなく、家族を失ったイヴァンにとって、ささやかな心の拠り所であった。

 イヴァンの家族は、彼と一緒に爆発に巻き込まれた。無事でいて欲しいと願っていたが、どうなってしまったかは分からない。

 イヴァンは一度だけ、シュヴァルツの仲間に自分を助けたときの周囲の様子を聞いたことがある。するとその人は、言いにくそうにしながらも「シュヴァルツががれきの中で見つけられたのは君だけだったんだよ」と教えてくれた。

 それがどんなことを意味するのか、イヴァンは半分分かっている。しかしもう半分に希望を込めて、出来るだけ考えないようにした。


 その後、体調が状態が良くなり、何とか体を起こすことが出来るようになったイヴァンに、シュヴァルツは問うた。


「お前、俺たちと戦う気はあるか?」


 ちょっとそこまで付き合ってくれるか、くらいの軽いノリで言うシュヴァルツに、イヴァンは荒んだ目で睨みつけるように彼を見た。命の恩人にそんなことをするのは失礼だと分かってはいるが、「戦い」のことを軽々しく言うのには流石に腹が立った。もし戦争が起きなければ家族はバラバラにならなかったし、両腕を失うこともなかったのだから。


「……あんたたちと一緒に戦って、ミルトは助かるのか?」


 小さくて掠れた声だが、腹の奥から悔しさのような、憎悪のようなものが混じっている。普通なら怯みそうなものだが、シュヴァルツは至って変わらず、あっさりと答えた。


「さぁ。それはどうだろうな」

「何だよ、それ……!」


 暴れたい気持ちを抑えるように呟くイヴァンに、シュヴァルツは淡々と言った。


「俺たちはどちらの国の肩も持たない。戦い自体無意味だと思っているからだ。出来るだけ死者を出さないように、どちらの武力も無効化させる。そして力づくでの戦いを止めさせ、両者を対話の席に着かせること」


「これ以上の戦いを止めさせることができるのか……?」


「ああ。それが俺たちの目的だからな」


 イヴァンの問いに、シュヴァルツは堂々と答えた。自信があるのだろう。


「もしお前にやりたいことがあるなら止めはしない。どうする?」


 イヴァンは俯いて考えた。どうしたらいいだろうか。

 しかし今の自分に、やりたいことなどなどなかった。

 破壊された町。いなくなった家族。当たり前にあった日常がないのに、どうやってやりたいことをやろうと思えるのか。それに親がいないイヴァンは、どこにも行くことは出来ない。せいぜい施設の中で匿われ、自由のない檻のような場所で一生過ごすだけだろう。


(そう考えたら……)


 そう。そう考えたら、イヴァンがやることは一つ。戦争を止めさせること。

 戦いを止めさせられるのであれば何でもいいと思った。これ以上、町の人や家、文化的な遺産など、ミルトの町にあったもの、そしてそこで生きて来た人々の居場所を失わないようにするためなら何でもやろうと思った。それが戦場の中に飛び込み、戦うことになるのだとしても——。


「分かった。だったら、共に戦う」


 その答えに、シュヴァルツは不敵に、しかしどこか嬉しそうに笑う。


「そうか。じゃあ、今日からお前は俺たちの仲間だな!」


 するとシュヴァルツは彼の頭を軽く撫でた。その手は温かく大きく、イヴァンの胸の中に温かいものがぶわりと広がった。

 イヴァンは涙が出そうになるのを堪える。それと同時に、自分が失いたくないのはこの人との繋がりなのだということに気づいてしまった。


「はい……」


 こうして、イヴァンは「ゼフテン・ラシュアル」の一員となり、腕には新しい機械の腕が取り付けられた。その後、彼は戦場で再会した親友のサスムを組織に引き込み、現在は同じ上司の元で働いている。


 ただサスムは心配性で、戦いに身を投じるイヴァンを案じ、「お前は道具のように扱われているから気を付けろ」と口を酸っぱくして言う。もちろん、彼の言うことも分かってはいる。


 理由は、イヴァンの腕に取り付けられた機械の義手が特殊であるせいだろう。この腕に触れられた戦車や戦闘機は、。そしてそれが、「ゼフテン・ラシュアル」の最も優れた兵器でもあるのだ。


 それを考えると、シュヴァルツがイヴァンを助けたのも都合が良かったからなのではないかと思うこともある。腕を失くし、機械義手を付けられる見込みがあったからこそ、イヴァンを助けたのだろう、と。


 しかし今のイヴァンにとって、自分が戦場に立つことの意味は何でもよかった。戦場に立ち、圧倒的な力を持つことによって、両者の戦う意欲を徹底的に削ぐ。それが、戦いを望まぬイヴァンの願いだからだ。


(夜明けとともに……)


 ミルトの地へ向かう。

 きっと記憶にある姿形を留めていないのだろう。そう思うと、苦しくなる。

 そして戦いを止めると言いながら、自分も人を殺めることになるのだろう。それも同じ国の人も構わずに。


(でも、犠牲者を最小限に抑えるためにもこうするしかない……)


 イヴァンは、自分に言い聞かせ、ぐっと拳を握った。


 人はどうして、戦うのだろう。

 お互いのことを尊重し合い、生きて行くことはできないのだろうか。

 もし、それが出来たらこんな無意味な戦いをしなくて済んだだろうに。


 そんなことを思いながら、イヴァンは土管に戻ると、再び浅い眠りにつくのだった。


(完) 

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