真夜中の終着駅

T.KANEKO

真夜中の終着駅

 目が醒めると、そこは見たことの無い景色だった。目の前を横切る線路、向かいのプラットホーム、駅名が書かれたプレート。ぼんやりとしていて文字は見えないが、どこかの駅であることは間違いなかった。


 ただ一人取り残されたベンチ、何故ここにいるのか、記憶の糸を辿ってみる……


 ガード下の焼鳥屋、暖簾の下から沸き上がる白煙、香ばしいタレの薫り……

 断片的に甦ってくるスナップショットを繋ぎ合わせてみる。

 そうだ、新橋だ、新橋のガード下にある焼き鳥屋で、僕は酒を飲んでいた。

 隣に座っているのは……

 ポニーテールの女性、口元のホクロ、ハート型のピアス、それは去年のクリスマスにプレゼントしたもの、僕の彼女、ミナミだ。


 仕事のピークを越えたから、と彼女に言われ、食事をすることになり、お台場でディナーをした。汐留でスイーツを食べる事になり、もう少し飲みたいと彼女が言い出して、ガード下の焼き鳥屋へ向かった。時が流れるのを忘れて、僕達はたくさん笑い、たくさん話し、浴びるほど酒を飲んだ。

 終電が近づいている事に気付き、はしゃぎながら手を繋いで駅まで走った。


 そうだ最終電車に乗ったんだ……

 記憶と今の状況を繋ぎ合わせて、何が起きたのかを推理する。

 答えは簡単に導き出された。

 酒に酔った僕は寝過ごして、最寄駅を通り過ぎ、終着駅に辿り着いたのだろう、きっとそうに違いない。


 だとすると、ここは国府津駅だろうか…… 

 会社の同僚に聞いたことがある。国府津止まりの電車で寝過ごしてしまうと最悪だと。

 小田原駅まで行ければ駅前にはホテルだって、カラオケボックスだってあるが、国府津駅には何も無い、だから国府津行きの電車に乗ったら、絶対に寝過ごしては行けないと。

 どうやらその過ちを僕は犯してしまったらしい……


 駅のホームには乗客も駅員も誰も居ない。

 薄暗く灯る照明の下、どうやら僕だけがここに取り残されてしまったらしい。

 まずは駅から出なければ…… 

 そう思っていつも手にしている手提げカバンを探すが、何故かどこにも見当たらない。

 もしかして電車の中に?

 額に冷や汗が浮かんだ。

 スーツのポケットに手を入れる、ある筈のスマートフォンも見つからない。

 冷や汗が脂汗に変わった。


 まずはホームから出なければ……

 駅の外へ出れば、何とかなるだろう。

 そう思って改札を抜けた。

 駅員は全員帰ってしまったようで、この駅には僕以外、誰も居ないようだった。

 寝過ごした僕は、どれだけあのベンチに座っていたのだろう……


 新橋駅からの記憶の糸を辿ろうとしたが、そこからの記憶はプッツリと切れていて、何も思い出せなかった。

 きっと終着駅に着いて、乗務員に降りるよう促され、慌てて車内にカバンを置き去りにしてしまった。そんなところだと思う。


 駅舎の外に出てロータリーを見回した。不気味なほどに静かで、人はおろか、生き物の気配すら漂っていない。

 真夜中で寝静まっているせいか、民家の電気も消えていて、信号と街灯が明るく灯っているのが、逆に不思議に思えるほどだった。


 僕はあてもなく歩いた。

 異空間へ来てしまったかのような違和感を拭い去りたくて、どこかにいる筈の人を探した。しかし歩いても、歩いても、人は居ない。いくら夜中とは言え、国道に出れば車が走っている筈、そう思って歩いたが、車が通る気配もない。


 僕は潮風に誘われるように歩いた。

 暫く歩くと海岸に出た。

 空に浮かぶ満月がさざ波が立つ水面を明るく照らす。歩き疲れて、途方に暮れた僕は砂浜に腰をおろした。

 夜が明ければ、動き出す人が居るだろう。駅員も出社してくるに違いない。夜明けを待てば良いのだ、そう思って海を見つめ、時が過ぎてゆくのを見守る事にした。


 心地よい潮風が頬を撫でる。砂浜から温かな熱が伝わる。酔いが醒めきっていないぼんやりとした頭、程よい疲れ…… 目を閉じるとすーっと意識が遠のいていった。


 ふと目を開けると、見覚えのあるいつくもの顔が僕を覗き込んでいる。誰だろうかと頭を巡らす。記念写真で見たことのある父と母、それに祖父と祖母、満面の笑みを浮かべて近づく4人の顔……


 瞬きをすると、今度は小学校の校門が現れた。着飾った母親に手を繋がれて歩く僕。背中を押されてみんなの元へ送り出される。ランドセル、教室、黒板、教壇に立つ先生…… あれは小泉先生? 放課後、逆上がりが出来ない僕に付き添ってくれて、出来るようになるまで熱心に教えてくれた大好きな先生だった。


 再び瞬きをする。

 静まりかえった教室で鉛筆を走らせる僕。ピーンと張り詰めた空気、筆箱、消ゴム、マークシート…… 人生を左右する大事な1日、たしかこの後、失意のどん底に突き落とされる。


 そしてまた瞬きを……

 予備校、キャンパス、テニスサークル。学園祭、合同コンパ、卒業旅行……

 思い出のシーンが次から次へと蘇って来た。

 そして、職場で出合った女性、それはミナミ。一目惚れして、告白し、それを受け入れてくれた彼女。


 お台場での食事。汐留で食べたフルーツパフェ。そこで僕はポケットから取り出した指輪を渡す。瞳を潤ませて受けとる彼女。喜んだ彼女は、もう少し一緒に居たいと言い出して、行きつけの焼き鳥屋へ……


 終電が近づいているからと駅まで走り、ホームに駆け込んだ。酔ったミナミがフラフラとホームを歩く。そこへ千鳥足のサラリーマンがぶつかる……


 あっ!

 ホームから転落するミナミ……

 接近する電車。

 僕は慌てて線路へ飛び降り、ミナミを抱えあげた。ホームに居た人の助けを借りて、ミナミは救出された。

 僕もホームへよじ登ろうと思った……

 しかし……

 激しく鳴り響く警笛、目の前に迫り来る鉄の塊、僕の記憶はそこで途絶えた。


 僕はきっと死んだ……

 そうだ、僕は死んだんだ。

 きっと今ここで海を眺めている僕は、死んだ事を自覚していない僕の魂なんだ……

 そうか、僕は死んだのか。

 ミナミにプロポーズをして、彼女は僕の思いを受け止めてくれて、婚約指輪を掲げて、キラキラと輝かせ、目に涙を浮かべて喜んでくれたのに……

 僕はミナミのウエディングドレス姿を見ることは出来ないんだ。

 ミナミは僕の事を悲しんでいるのかな?

 もしも今日死ぬと分かっていたら、もっと伝えておきたい事があったのに。

 もしも今日死ぬと分かっていたら、もっとしっかりと抱き締めたかったのに。

 もしも今日死ぬと分かっていたら……

 もしも……

 もしも……

 もしも……

 だけど僕はもう何も出来ないんだ。


 悲しくて切なくて悔しくて、それが言葉にならない叫び声になって飛び出した。

 ウォォォォォ………


「ねぇ、大丈夫!? ねぇ…… ねぇ、ねぇ……」

 息が出来なくなるほど苦しくなって目が覚めた。

 目の前にはたくさんの人がいる。

 ガタガタと響く電車の音。

 ムッとする熱気。

 肩を揺さぶる女性の手。

 その薬指には僕が渡した婚約指輪が……


 ぼんやりとした視界が次第にクリアになっていき、今の自分を取り戻した。

 東海道線の車内。

 シートに座っている僕。

 奇異な視線を向けて来る乗客。


「大きな声を出すから、びっくりしたじゃん…… どんな夢を見ていたの?」

 不思議そうな顔を浮かべて僕を見つめる彼女。


「あぁ…… いや……」

 僕は恥ずかしそうに頭をかいた。


「次の駅で降りるよ」

 彼女は僕の顔を覗き込んで微笑んだ。

 僕はふぅーっと大きなため息をつく。

 恐ろしい夢だった。


 夢の中で何度も呟いていた、もしも……

  思っていることは今すぐにやるべきだ。

 電車から降りた僕は、いつもより強く彼女を抱き締めた。


 了







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