真夜中の宅配便
マクスウェルの仔猫
第1話 真夜中の宅配便
大晦日。
年越し迄のカウントダウンがテレビで、哲哉の住む部屋の隣室に、宅配便が配達に来た。
生憎と、隣室からの反応はない。
若そうでない、男性の声が聞こえる。
コンコン。
コンコンコン。
こんばんはぁ、宅配便でえす。
●
「なあ、哲哉。宅配便ってこんな時間に来るもんなのか?」
「わからんけど、年末で忙しかったからじゃないのか? ……あ、でもそんなサービスがあるって聞いたことあるな」
「マジかよ、後30分で新年だぜ?学生ん時バイトに宅配選ばんくて、正解だったわ」
「同感。しかも今日なんて荷物届けに来てもほぼいないよな。業者さん、お疲れさまです」
肩を竦める潤一郎に、頷く哲哉。現に哲哉の住むマンションは、仕事納めの29日前後から閑散としている。
今扉を叩かれている隣の部屋の住人は哲哉が前日に挨拶をしているので部屋にいるかもしれない、という位である。
「哲哉。それはそうと替え玉まだか? あとツユもマシマシで頼むわ」
「うちはラーメン屋じゃないし、蕎麦は湯掻かないと食えないだろうが! 次で3回目だぞ?!」
「蕎麦は、いいもんだ」
「へーへー、左様でございますか!」
哲哉と潤一郎は高校の同級生であった。
年末に暇を持て余していた潤一郎が、哲哉の部屋に遊びに来たのだ。
今はグダグダと二人で他愛もない話をしながら、年越しソバを食べつつテレビを眺めている所であった。
自然、退屈気味だった二人の興味は宅配業者に移っていった。
コンコン。
コンコンコン。
こんばんはぁ、宅配便でえす。
「ぶふっ!」
潤一郎が噴き出した。
「言っちゃ悪いけど、スゲえ間の抜けた喋り方じゃね?」
潤一郎の言葉に、哲哉も苦笑いする。
コンコン。
コンコンコン。
こんばんはぁ、宅配便でえす。
「くははっ……ヤベえ、ツボに入った!」
「……しっ!」
「ひー! 横っ腹が……どした?」
腹を抱えて苦悶する潤一郎に、真剣な顔をして人差し指を口に当てた哲哉。
察した潤一郎は、小声で哲哉に話しかける。
(どした、なんか気になんのか?)
(さっきから、名乗らずに同じ言葉しか言ってない。宅配系の会社は不審者と間違えられないように、どこかで社名を名乗る事をトークスクリプトに入れてるって聞いてる。それに、宅配便は訪問して居ない時には不在通知票とか入れるよな。何であんなに執拗なんだ?)
忙しい師走の中で、一つの配達先に時間をかけるその行為に、哲哉は首を捻らざるを得ない。
(居なきゃ不在票は分かるが、そのトークスク……水ってなんだ?)
(そのツッコミは、断固拒否する。あー、トークマニュアル。うちの会社にもある)
哲哉の勤める会社はコールセンターの拠点を全国に展開しており、哲哉も過去に1年ほど、コールセンターの
コールセンターで取り扱う業務は大体が宅配業者と連携を取っている。クレーム案件の中に似たようなケースがあったことを思い出したのだ。
(確かに、間隔があいているとはいえ、もう2~3分は呼びかけてるよな。まるで居るとわかっているみたい、に……?)
(……!)
潤一郎と哲哉は顔を見合わせて、息を呑む。
すると、その訪問者の動きが変わった。
ガチャ。
ガチャガチャ。
こんばんはぁ、宅配便でえす。
(おい! ドア開けようとしてねえか?!)
(ヤバい感じがしてきたな。これは隣の部屋の住人が出ないか、居ないことを祈るよ)
(警察、呼ぶか?)
(そうだな、呼ぼう。尋常じゃない)
訪問者に願わくば立ち去ってほしいところだが、何かが起きてからじゃ遅い。哲哉はスマホに手を伸ばし、電話を掛けた。
「はい、こちら○○警察署です」
思った以上に通話音量が大きく響き、哲哉は慌ててスマホの音量を下げた。
事のあらましと住所を伝え、” 隣の部屋に宅配便を装った人間が来て、部屋に侵入しようとしている。強盗かもしれない ”と少し盛って話した。警察に早く来てほしいが為の苦肉の策である。
隣の部屋の住人が居ないか、気づかないで立ち去ってくれればいい。
もしくは、このまま居続けても、隣の部屋の住人が出てこずに警察が来れば、ヤバい奴なら警察の職質でボロが出て連れていかれるだろう……。
哲哉がそう思って電話を切った瞬間、潤一郎が哲哉の肩を小突いてきた。
哲哉が振り返ると、潤一郎の顔は焦っている。何か動きがあったのだろうか、と哲哉は耳を凝らした。
コンコン。
コンコンコン。
ガチャ。
ガチャガチャ。
こんばんはぁ、宅配便でえす。
居ますよねえ。
自分の部屋の玄関から、そんな声が聞こえてきたのだ。哲哉は困惑し、潤一郎に囁く。
(……どういう流れだ?)
(隣は結局出てこなかった。だが、お前が電話をし始めた後に隣を呼ぶ声が止まって……。どうする、出てみるか?)
不敵な表情の潤一郎が拳を、ゴキリ、と鳴らす。
(絶対に止めとけ、警察が来るまでこのまま待とう。鍵とドアロックは掛けてある、問題ない)
(なら安心だな。面だけでも拝んできてやんよ)
(おい……! 潤一郎! ドアは開けるなよ!)
哲哉の静止を聞く前に潤一郎は手をひらひらとかざしながら、音を立てずに玄関までスタスタと歩いて行く。
そんな潤一郎は少林寺拳法黒帯であり、同じく少林寺を学んだ哲哉より段位は高い。潤一郎の好奇心に哲哉はため息をついた。呆れつつも、『ま、少しなら問題ないだろう』とその背中を見つめる。
恐らく、ドアビューアーから相手の顔を確認するつもりだろう。部屋の間仕切りを開けた今の状況では、玄関の様子も一目瞭然である。潤一郎は、ドアビューアーから扉の向こうに目を凝らしているように見えた。
すると。
「………………!!!」
弾かれた様に潤一郎が体を反らし、座り込んだ。そして必死の形相でドアに背中を向け、四つん這いで哲哉に向かって手を伸ばしている。
(嘘だろ……?!)
そんな緊迫した状況に関わらず、哲哉は思わず呟いた。
潤一郎がこんな姿を見せる所を、哲哉は見たことがなかった。
例え、街や盛り場でいきなり喧嘩になりそうな時も、潤一郎は相手が誰であろうが何人いようが…という男である。
何が見えたのか。
何が起きたのか。
哲哉は足音を立てないようにして、玄関に近づく。そして、へたり込む潤一郎の近くに静かにしゃがみ込んだ。
潤一郎は首を横に振りつつガタガタと震えながら、ドアを指さしている。
哲哉は少し考えて、立ち上がった。
街中で、マンションの中で、エレベーターの中で。潤一郎が怯えるような相手と、知らず知らずに鉢合わせしたくはない。
コンコン。
コンコンコン。
こんばんはぁ、宅配便でえす。
早く出てきてくださいよお。
また、そんな声がした。
これは、絶対ヤバい奴だ。
哲哉は、フッ、と息を吐き、呼吸を整えてドアビューアーを覗き込む。
ドアビューアーを見ても、予想に反して何も見えてこず、真っ暗である。
" 指か何かで押さえてるのか? 潤一郎には何が見えたっていうんだ? "
哲哉は拍子抜けした。が、じっとそのまま、注意深くそのまま観察を続けた。顔や風貌は見ておきたかったのだ。ドアビューアーを覗き込みながら、そういえば警察がそろそろやってくるかもしれない、と考えていた次の瞬間。
きょろ。
きょろ。
ぎょろり。
小刻みに動く黒目と目が、合った。
哲哉の喉から、ひゅうっ、と音が漏れた。
潤一郎と同じ様に弾かれた様に体を反らし、座り込んだ。
ガチャ。
ガチャガチャ。
こんばんはあ、宅配便でえす。
早く、開けてくださいよう。
哲哉は全て理解した。
潤一郎がへたり込んだ理由を。
相手の異常性を。
相手はドアの向こうから、ドアビューアーに目をぴったりとくっつけて、ずっと覗き込んでいたのだ。
ただひたすらに、何かを狙い。
ただひたすらに、同じ様な言動を繰り返す。
ただ、ひたすらに。
何かを、しようと。
哲哉と潤一郎は、部屋の奥に這いずって逃げた。早く警察が来ることをひたすらに願いながら、震え続ける。
コンコン。
コンコンコン。
ガチャガチャ。
ガチャガチャガチャ。
こんばんはあ、宅配便でえす。
なんで出てきてくれないんですかあ。
居ますよねえ。
コンコン。
ガチャガチャ。
哲哉は堪らず、耳を塞いだ。
早く、警察来てくれ。
それだけを一身に念じながら。
●
警察がやってきたのは、それからしばらくしての事だった。
特に騒ぎにもならず、男は連れていかれた。が、哲哉と潤一郎は、扉越しに何度も何度も男が居ない事を確認をした上で、やっとドアのカギを開けた。それほどに、相手を恐れていた。
もし哲哉と潤一郎が相手の男と会ったならば、絶叫と共に逃げ出すか、渾身の力で殴りつけるか、という事が起きたかもしれない。
哲哉や潤一郎が後で聞いた所によると、男は持っていたカバンに、刃物やロープ、ガムテープや結束バンド、催涙ガス等を詰めに詰めていた。
哲哉と潤一郎は結局、除夜の鐘を聞く事も、初日の出を見に行く事も出来ずに、警察署で元旦を過ごす羽目になったのだった。
●
その男は、哲哉の隣の部屋の男性に、恨みを持っていた。その男の名は、仮に
ただ、隣の男性は公共機関の人間でも関係者でも何でもなかった。
Oが妻子と最後に会う前に、妻がその男性と一緒にいるのを見かけた。
その男性は、Oの家の近隣の空き地にマンションを建築する会社の関係者で、近隣に名刺と粗品をもって挨拶に来た。
ただ、それだけのこと。
しかしOは隣の男性のせいで妻子と引き離されたと思い込み、彼の元に匿われていると信じ切り、名刺をもとに男性の事を調べ続けた。
それで大晦日、Oは夕方に男性がマンションに出入りする所を確認し、いったん自宅に戻ってから男性の部屋を訪れたのだった。隣の男性は幸運にも夕方からずっと出掛けていた、というのは救いであった。
そして、哲哉達がどうしても気になっていた事。
何故、Oが哲哉の部屋に訪れたのか。警察は、Oの証言は支離滅裂で証言は取れなかったが、Oは隣の部屋で男性が帰宅する迄待つつもりだったのかもしれない、と言葉を濁した。
哲哉達はその答えに、何も言えなかった。
もし、好奇心でドアを開けていたら。
あの時、鍵を掛けていなかったら。
もしかしたら、哲哉と潤一郎の命は。
哲哉達はその可能性に恐怖しつつ、警察署を後にしたのだった。
●
結局、哲哉は事件から一月も開けずに、引っ越しをした。
そして、哲哉と潤一郎はしばらくの間、顔を合わす度に、「人間って、怖えなあ」と言葉を交わすのが習慣となった。
あの時の怖さを、教訓を忘れないように。
真夜中の宅配便 マクスウェルの仔猫 @majikaru1124
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