微睡みが来ない夜

温故知新

微睡みが来ない夜

「はぁ、眠れない......」



目を開けて仰向けになると、社宅として借りた一人暮らし用の部屋の天井に向かって呟いた。


大学を卒業し、社会人として立派に働き始めてから早4ヶ月。

会社の都合で入社早々に地元からかなり離れた場所に勤務することになり、そのお陰で人生で初めての一人暮らしをしているけれど、何時からか眠れない日が続くようになった。


最初の1ヶ月は、公私共に初めて尽くしで戸惑うことばかりだったけれども、勤務先の上司や先輩達が親切に色々なことを教えて下さり、入社前に抱いていた不安も徐々に無くなっていった。

今思えば、入社当初はかなり順風満帆だったと思う。

『ここでなら、頑張れるかもしれない!』と本気で思っていたくらいだったし、あの頃は3食欠かさずご飯を食べることも出来たし、決まった時間に毎晩ぐっすり眠ることも出来た。


そう、最初の1ヶ月は......


入社して1ヶ月が経った途端、上司や先輩方から厳しい声が飛んで来るようになった。


何か仕事をやり遂げる度に「どうしてこんなことが出来ないの!?」「何で、この程度のことが分からないの!?」「なぜ分からなかったら誰かに聞くことをしなかったの!?」と怒られることが多くなった。


最初は『自分がまだまだ未熟だから』と悔やみながら、怒られたことをメモして次へ活かそうと前向きに考えていた。


だから、次はミスをしないように分からなかったら自分で聞きに行くようにしたのだが、先輩方からは「今、忙しいから誰かに聞いて!」「そんなの自分で考えて!」と言われ、上司からも「あんた、社会人なんだから周りに頼らず、まずは自分で考えることをしてみたら?」と言われた。


『右も左も分からない新入社員に考えろって......』と内心不安になりながらも、メモや先輩達の動きを見て、何とか自分1人でやり遂げた途端、先輩達や上司が揃って怒鳴られた。

「「何であなた1人でやったの!?」」と。


そんな先輩方や上司に怒られる日々が日常茶飯事になった頃には、私は仕事に行くことが憂鬱になっていた。





「よっ、ノロマ。おはよう」



本来は個々でやる机の拭き掃除を、 就業時間1時間前に出勤した私が、1人で先輩方や上司が出勤する前に全員分の机を拭き終えると、出勤してきた先輩が挨拶してきた。



「おはようございます」

「おはよう、マヌケ。今日も俺達の足を引っ張ってくれよ」

「はっ、はぁ......」



いつの間にか自分の名前は呼ばれなくなり、代わりに違う呼び名で自分のことを呼ぶようになった先輩方や上司に挨拶をするとゴミ集めをする。

どの仕事をしてもダメダメ今の私は、就業時間中に自分の仕事をしたら、当たり前のように先輩方や上司に怒られるので、就業時間中はお茶汲みやゴミ捨てなどの雑務を積極的にこなしている。

そして、昼休みになると必ず先輩方から「昼休み明けまでに済ませて!」と仕事を押し付けられるので、私は昼休みが終わる前に何とか済ませる。

押し付けられた仕事が終わると昼休みが明けるので、そのまま午後の仕事をする。

前に上司に「昼休憩中に仕事を任せられた仕事をこなしたら、お昼ご飯を食べる時間が無くなるので、せめて10分だけお昼を食べる時間が欲しいです」と相談したら「それは、あなたが自主的にやってることでしょ!? あなたたの我儘で仕事の輪を乱さないで!」と言われたので、それから昼抜きで仕事をするようになった。

そして、定時になると先輩方や上司が皆さん揃って帰るのでそれを見送る。

皆さんを見送った後、ようやく自分の仕事が出来るので、終電間際まで思う存分仕事を進めた。

それでも終わらなかった分は、持ち帰ってしたり、休日出勤をしたりしている。



「あぁ、こんな日々が始まってから眠れなくなったんだった」



そんな今更なことを思い出すと、体を横にして近くにあったスマホを手に取って画面を開いた。


暗闇でスマホを開くと、もっと眠れなくなるらしいが、今の自分にとっては関係ない。


画面を開くと、液晶画面には『午前3時』の文字が光っていた。



「はぁ、やっぱりいつもの時間だったか」



小さく溜息をつき、画面を閉じて元の場所に戻すと、近くにあった白い封筒を手に取って天井に向かって翳した。


これって、母が紹介してくれた心療内科を受診した時に、薬と一緒に貰ったやつだ。


私が母に「最近、仕事中に怒られると涙が止まらなくなって、その度に『大人が泣くなんて恥ずかしい!』って更に怒られる」とか「最近、よく眠れないし食欲が無いんだよね」という話をしたら、「あんたそれ、今すぐ心療内科に相談しなさい!」って強く勧められたんだよね。



「確か、先生曰く『これを会社に出せば休める』って言ってたはず。本当かどうかは分からないけど、物は試しでやってみようかな」



翌日、心療内科の先生に言われた通りに白い封筒を上司に提出すると、白い封筒は上司の手で真っ2つに引き裂かれ、上司に言われるがまま辞表と退職届に必要事項を書かされると、その日のうちに退職した。



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