宇宙船は一滴より長く落ちていく

月下ミト

第1話

 海はひろいなおっきいな、と昔は歌われたが、宇宙に比べれば地球の一滴など渇きを癒す甘露になりえない。

 宇宙は広い。拡大し続けているという宇宙は先が見えず、しからば宙を放浪している我らも未来人からは無価値な蛮行と思われるだろう。


 けれど、あえて我らが此処に存在する理由を言うのならば、それは既存の枠組みを超越した別ベクトルへの挑戦と呼ぶべきであり、


「艦長、いい加減に現実逃避は止めましょうよ」

「む、なんだね乗組員A。私の思考を中断させないでもらいたい」


 コントロールルームの特別偉い場所に設置された艦長席、そこで優雅に座り瞑想していたのだが、この部下は不躾が過ぎる。

 叡智の輝きに溢れた宇宙、漂う我ら宇宙屑。この状況下で、のほほんと暮らすほど私は怠惰ではないのだ。


「君もあれだね、乗組員A。空気が読めないと言われるだろう」

「宇宙に空気無いですってダジャレは、艦長世代の鉄板ですよね。あと俺の名前はササキです」

「ほう、それはこの幼子に対する誉め言葉か。童の世代ならば最先端と、そういうことかね乗組員A」

「遺伝子改造と整形でロリを作ってる、齢90のババアが何言ってるんです。あと何年生きるつもりですか妖怪ですよ」

「あはっは。何を言うかこやつめ、貴様の糞便時のみバキューム設定を最大にして内臓を宇宙にまき散らすぞ」

「それ大昔の旅客機で言われた都市伝説なんでやっぱり艦長はロリババ……なんでもないです。今日も一段とコラーゲンが効いてますね」


 ああ言えばこう言う口の減らない男、それがこの乗組員A。多様性を求めてのキャラ採用だったが、失敗だろうか。

 まあ良い。溜息一つで意識を切り替え、再度探求の水底を目指す――。


「だから艦長、今はそれどころじゃないんですよ」

「……なんだと言うのかね。見ろ時計を、貴重な時間が失われたぞ」

「1分も進んでませんって。それより、この夜中が正念場なの、知ってるでしょう」


 ビシリと乗組員Aが指さす先の時計は、02時36分。真夜中だ。

 だが、私はその時間に、大いなる疑問を持つ。


「乗組員Aよ、時間とはなんだ。我らは宇宙にいる。一体全体、どこを指して時刻だと宣うのかね。夜中とは何だ、この空間では常に闇が抱擁してくれるではないか」

「その話、長いですか?」


「聞けい乗組員。母に『夜更かししちゃだめよ』なんて言われるのは幼子の頃だけだ。時刻の基準が地球ならば、我らは母なる星から旅立ったではないか。即ち時刻とは巣立ちの時を得た我らには無価値であり、それは夜中という安直な言葉を否定する新世代の価値観なのでないかと私はだな」


 熱くなりすぎたか。ジト目の乗組員を見遣り、咳払い。ゆるりと言葉を投げる。


「まあ、そもそもだ。我らには時間など考えるだけ無駄だよ。なんせ」

 チラリと、遠くを見る。宇宙船の前方、広がる深淵、その先を。



「この船はブラックホールに落ちている。絶大な重力により時間は際限なく伸び続け、この真夜中は永遠にも近いのだからな」



 地球を基準とした、相対的『時』空『計』測機、略して時計はガラクタとなった。47日前、運悪く小規模なブラックホールの重力圏に囚われてから。

 多くの船員は既に自死の道を選んだが、艦長である私と、口を殺さねば死なぬであろう乗組員Aだけが最後を見守っているのだ。


「君も難儀なやつだな、乗組員A。私に惚れたか? 悪いがロリコンは趣味ではないよ」

「人造物9割のロリに興味ありません。俺はただ、見てみたいだけです。引き伸ばされた時間と、空間と、俺の終わりはどうなのかって」

「案外ポエミーなのだな君は。どれ、ならば長い夜に乾杯でもするか」


 よっこらせっと椅子から跳ね降り、オペレーターの消えた座席へと向かう。そしてコンソールを指で叩いてやれば目的はするりと達せられる。

 空気の抜ける音が室内に響く。艦内輸送で荷物が届けられた証拠だ。


「あの艦長、なにしてんですか」

「ふむ。状態は悪くなさそうだな」

「言い直しましょうか。そのワインは何ですか」

「超重力は時間を伸ばすだろう? ならば耐圧管にワインを入れてブラックホールに近づければ長期熟成できるのでは、と思ってな」


 ポンッと間の抜けた音。隠しておいたグラスを取り出し、揺らめくルビーで満たせば小言など聞く必要はない。

 グラスを一つ乗組員へと差し出せば、返事は一つに決まっている。


「頂戴しますよ、艦長」

「それでいい。では乾杯だササキ。我らの旅と、時間と、暗闇に」


 小さく、グラスを合わせる音色。僅かに傾けて紅を喉へと流せば、深く甘い、闇色の味がした。

 隣を見れば、一息に飲んだのか顔を赤くした男が、溜息と共にこう言う。


「長い夜中になりそうですね」

 私もそれに頷き、もう一口ワインを飲んでから答えた。


「真夜中は朝より長い。そんなものさ」

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