ちょっとだけ仲が良かった友達が、親友になるんだ。
雨垣つつみ
四題噺 洗ってないフライパン・タバコの後は?・化粧水・隣人の訪問
同級生が隣に住んでいる。引っ越しの挨拶をした時は、まだ、僕たちが最寄りの都立に通い始める前だったから、同い年か、としか思わなかった。
学校に通い始めると、道が同じということもあって、軽い話をするようになった。
同級生は川端君と言った。僕は内田だから、ちょっとした文学の話も口にのぼった。川端康成の瑞々しい文章とか、内田百閒のユーモアとかに、言葉は尽きなかった。
僕は、本を読む方ではないから、大まかに知っている知識をもとに、川端君に話を合わせていた。
そういう会話を重ねるうちに、僕たちは帰り道、マックでおやつビッグマックを食べながら、予習や復習を共にした。
風邪をひいた時は、ノートを取ってコピーを渡したり、休んでいた分の授業の解説をした。
僕たちが住んでいる家というのは隣り合わせの一戸建てで、高井戸にあった。
高校時代は母親の帰りが遅い川端君を家に呼んで、夕食を食べたりしていた。
川端君が好きな女の子と、僕が好きな女の子はかぶることがなく、川端君の好きな教科(数学)と僕の好きな教科(英語)も相互補完関係にあった。
僕と川端君が仲がいいことは、高校では周知の事実になり、その輪の中にいろんな人が関わってくれた。感じのいい女の子とか、リーダーシップのある級長とかが、気軽に僕たちに声をかけてくれた。明るくて開けた関係の僕らは、一年生の時から高三まで、クラスは別になることはあっても、交友を続けた。
受験志望校はバラバラだった。
川端君は関西の国立を目指していて、僕は東京の私立だった。塾のとる講座もバラバラで、高三の時は、高校で話すくらいで、しばらくは夜ごはんを川端君が食べにくることもなくなった。
高校に川端君が出てこなくなった時、もうその時にはノートを取ってコピーを渡すということもしなくなって、心配だったけど、彼の家のインターフォンを鳴らすことはなかった。
しばらくの間メッセージ上の連絡もなく、僕は意を決して、電話をかけてみた。応答はなかった。
一度呼び鈴を鳴らしてみたけれど、それも応答はなかった。
先生に相談したら、先生も心配していたらしく、僕が何度か連絡を試みているにもかかわらず、応答がないのを不審がっているみたいだった。
僕と先生は時間を合わせて外に出て、僕が彼の家まで案内した。インターフォンには返事がなかった。
先生は、用意していた川端君の親御さんの電話にかけた。応答はなかった。
警察と一緒に扉を開けた。鍵はかかっていなかった。
「川端行成君ですね」
先生も僕も頷いた。遊びに行った時に、川端君の部屋は把握していた。警察官が先に部屋を開ける。どの部屋を開けても人の気配はしないのに、澱んだ空気だけが息を詰まらせた。
僕が川端君の部屋で電話をかけると、川端君のスマホが鳴った。それを警察官に渡す。パスコードを横で見て覚えていたから、僕は川端君のスマホを開けた。
そうか、川端君はいないんだ。なんとなくそれがわかった。「隣の家にいますので」と言って一人階下に降りた。
焦げ目のついたフライパンが、何も音を立てることなく、シンクに沈んでいた。
それは、日本で毎年何千人と起こる、失踪事件の一つになった。事件とか、その事件性とかいうより、川端君がいなくなってしまったことがとても悲しかった。ここ二年の友情、同じクラスでの会話、勉強会、帰り道を最後まで一緒にするという奇遇。
隣家はにはいつの間にか、別の家族が住んでいた。僕が大学三年生になる頃だった。
タバコを吸いに外に出ると、高確率で隣家のお姉さんが同じくタバコを吸いに外に出ている。お姉さんはお金持ちの叔父さんが買った隣家に居候しているらしい。結構稼いでいるみたいで、たまに、ケーキとかチョコレートとかをわざわざくれたりする。三十くらいに見えるけど、もしかしたらもっと年配かもしれない。片手でスマホをいじりながら、タバコを咥えている姿は見惚れてしまいそうだった。大学から帰って、食事をして勉強して、十時くらいに外に出る。
「やあ」
こちらも見ずに、お姉さんは僕に声をかけた。まるで猫に声をかけるみたいに、気軽で気安かった。
どうしてそこにいるのか、そこにいるのは、そこにいるはずなのは、川端君ではないのかと、何度も自問した。
「オイルが切れたんだ。火を貸してくれないか?」
僕はライターに火をつけて、お姉さんが咥えたタバコに火をやった。まるでキスをしているみたいだと思った。
雨の日も傘を差して、タバコを吸っていた。その人が嫌いだった。
サークルでタバコ休憩を取ると、ヤニカスとの非難を浴びる。好きで吸っているわけじゃない。自分に対する鎮魂なのだ。傷ついているんだ。
サークルの、有力な人材の一人、コミュ力の塊が、チョコレートを配っていた。
「内田さんは飴とガムとチョコだったらどれですか?」
飴。
「はい。この飴美味しいんですよ。ガムって言われたら在庫がなかったので困りました」
ありがとう。
「いえいえ、どういたしまして」
音楽を作るサークルで、動画を編集するのが僕の仕事だった。後輩を指導して、しばらくしたら引退する。
同期の男子が、同期の女子に化粧水について指南を受けていた。
「内田君もどう?」
と言われて、なんとなくアマゾンのページを開いて、言われるがまま化粧水を買った。
「タバコは肌に悪いから、肌荒れになっちゃうよ、ウマウマ」
その女の子の部屋で二次会。お手洗いに行って手を洗ったら、その化粧水が、洗面所に置いてあった。
その子はみんなを部屋に入れてから、おもむろに洗ってないフライパンを洗い始めた。
フライパン。あの、川端君の家で洗われずに置いてあったフライパンを思い出して、息が詰まった。
タバコ吸ってくる、と言って席を立った。コミュ力の塊が僕の背中を追いかけてついてきた。タバコを吸うのには邪魔だった。でも邪険に扱うことはできなかったから、タバコを一本渡して火をつけた。自分のタバコにも火をつけた。
そうだったのか、僕がタバコを吸うのは、川端君への鎮魂だったのか。なぜか、タバコを吸ってしまうよ。
「内田君、タバコ好きですね」
「見えないでしょ」
「もったいないと思う」
「なんで?」
「孤独に見えるから」
「孤独なんだ、友達を失ったから」
血のあと一つ残さずに、消えたから。
しばらくしてまた隣人が変わった。引越し代を節約するために、軽トラを借りてきて自前での引っ越し。とても小さな子がいる家庭だった。
ちょうど僕が大学院を卒業して、就職し、家を離れる時で、その家族の在りようを、知れたわけじゃなかった。
僕は小さなマンションの三階に居を構え、隣人に挨拶して回った。僕の大好きなチョコレートを袋に包んで。
洗ってないフライパンが、自分の部屋のシンクに沈んでいるのを見た時、立ちすくんでしまった。川端君はどこに行ったんだろう? どこかにいるのだろうか? 今の僕のように、たった一人でいるのだろうか? 生きているのかな。固唾を飲んでフライパンを洗った。
ちょっとだけ仲が良かった友達が、親友になるんだ。 雨垣つつみ @ShamonYamachi
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