猫の祝福とともにあらんことを

尾岡れき@猫部

猫の祝福とともにあらんことを


「猫の手も借りたいって言葉……あまり好きじゃないんだよね。上から目線っていうか。失礼って思う。どうせなら、猫の祝福なんてどうかな?」


 俺はそんな言葉を聞き、薄目を開ける。

 陽光に包まれて、春の匂いが広がる。花の香とともに、恋の匂いが鼻をひくつかせた。まぁ、ニンゲンどもがどう考えても別に知ったことじゃない。尻尾をパタンパタンと振りながら。でも、彼女の持論を聞くお相手は、うんうんと頷いて聞いている。


 肯定以上の感情が、俺の鼻をひくつかせる。うん、こういう感情ニオイ悪くない。




🐈‍




「あ、ルルちゃんだ」


 俺の名前を組以外で知っているヤツは少ない。ましてニンゲンであれば、なおさら。見上げるまでもなく、雪姫ゆき嬢がしゃがみ込んで、俺の頭を撫でてくれた。その絶妙な撫で具合に、思わず喉が鳴る。

 見ればお相手は、少し離れた所で、同級生とジャレあっていた。


 ――公衆の面前でイチャイチャするなよ。

 ――下河さんがこんなに可愛かっただなんて!

 ――もう少し早く気付いていたら!

 そんな無節操な声が飛び交うなか、雪姫嬢は愛しそうにに微笑む。妬んだところで行動を起こした者が幸せを勝ち取る。ただ、それだけの話だ。


「はい、ルルちゃん」


 ポケットから煮干しを取り出して、俺に差しのべた。

 ふむ。

 ちょっとだけ、視線を上に向ける。

 ふむふむ。

 前回は、黒だったが今日は白か。それはそれで清楚で良き――。


 そんなことを思っていると、俺の尾に激痛が走る。鳴き声も上げられないくらい悶絶していると、その後ろから黒猫が明らかに不機嫌な鳴き声をあげて、俺の煮干しを奪い去っていく。


「ティア、ちょっとひどくないか?」

「この節操なし、変態、バカ、死んじゃえ」

「……ご、誤解だし。ただ、俺は人間の風俗文化の研究を、だな」

「やっぱり、そういう目で見ていたんでしょ?」


 ギロッと睨まれが。そんなヨコシマな感情を持ち合わせているワケがなく。ただ本当にニンゲンの文化に興味があるだけなんだけどな。そう小さく呟くけど、おかんむりのティアに届くはずもなく。無慈悲にも、煮干しは雪姫嬢の手のひらから消えていったのだった。

 む、ね、ん。

 と、そんな俺を見下ろして、クスクス雪姫嬢は笑う。


「流石のルルちゃんも、彼女さんにはかなわない?」


 そう言いながら、俺にまた煮干しを差し出してくれる。俺はぽかんと雪姫嬢を見やる。


「ルルちゃんにはね、いつもありがとうって思っているよ? 辛い時にね、寄り添ってもらっているから」


 そう言いながら、お相手を見やる、雪姫嬢の視線は優しい。何より、花の香を連想させる感情が香る。オレはただ、傍にいただけ。そして、過去にそんな物語があった。ただ、それだけのことで。

 でも――。雪姫嬢は俺の背中を撫でる。本当にありがとう、そう囁いてくれる。


「ただね」


 つけ足すように。クスッと彼女はクスリと微笑んだ。


「スカートの中をのぞく、エッチにゃんこはバッテンだよ?」

 ちょんと、俺の鼻頭は指で弾かれた。




🐈‍






「居たっ!」


 さも嬉しそうに、女性の声が飛んできた。コン、コンと小気味よい音を響かせて。杖が鳴る。


「あんたは、本当にいつも同じ時間に待ってくれているんだねぇ。本当に優しい子だよ」


 俺は尻尾をパタンパタンと振る。俺がきまぐれに昼寝をしている時間に、婆さん。あんたが勝手にやってきただけだ。


「骨折した時は、どうなるかと思ったけどさ」


 コンコン、杖を鳴らす。


「この杖も今なら、なかなか格好良いって思えるようになったね」


 そりゃ何より。腰の骨を折って悲嘆に暮れていた婆さんの庭に忍び込んだのは、去年の秋。俺は猫なので、何を言っても届くはずがない。だけど――この婆さんは、何を思ったのか、公園で俺に会うことを目標にすることにした。


 秋から冬へ。そして春へ。

 コンコンと杖を鳴らして。

 トコトコと、小刻みに足音を鳴らして。


 春は、希望の匂いがする。何かが始まるような。何かを始めてしまいたくなるような、そんな匂いで満たされる。


「あんたは変な猫だよね。普通の猫は、人間に怯えて、すぐ逃げちゃうのにさ」


 なんで俺がニンゲン如きに怯えないといけないんだ? そもそも意味が分からない。


「寄り添ってもらうって良いもんだね。あんたのように、爺さんも寄り添ってくれたら、どれだけ安心できたか。まぁ、不器用な人だから、期待するだけ無駄だって分かっているし、もうあっちに旅立ったからね。望むだけ、それこそ無駄だけどさ」


 ふぅむ。俺は息を漏らす。

 かつん、かつんと杖を鳴らして。


 ぱたんぱたんと、尻尾を振って。

 俺は婆さんの方を見やる。隣に、その爺さんが寄り添っているんだけどな?


 ニンゲン風に言えば――知らぬが仏。本来なら車椅子生活を余儀なくされたはずなのに。恋を通り越した、そんな感情に強く守られていたことを、婆さんは知らない。


 今日も甘い匂いがたちこめる。

 たまには、こんな匂いも悪くない。





🐈‍





 ベンチの上で寝ていたら、いつの間にかうとうとしていたらしい。目を開けると、隣にまたあの匂いがたちこめていた。


 ふむ。


 甘い匂いを覆い尽くす、淋しさ。切なさ。諦め。瞼を開ければ、雪姫嬢と同年代くらいの少女が、一枚の絵を見ながらため息をついていた。

 と、彼女と目が合う。


「あ、猫ちゃん。ごめんね……起こしちゃったね」


 やっぱり、彼女の目は絵に釘付けになって、そして感情ニオイがさらに強くなる。お世辞にも上手いとは言えない。小さな子どもが描くような――頭足人がそこには描かれていた。男の子と女の子だろうか。手と手を繋いでいるのが見てとれた。


「猫ちゃんもおかしいって思う?」


 俺は首を傾げる。ヘタクソだって思うが、可笑しいとは思わない。この絵にたちこめる感情は、本当に優しくて甘い。何より相手のことを想っている。そんな匂いが今も鼻腔を刺激する。


「……おかしいよね。子供の頃の約束を今でも、宝物のように抱きしめているの。でも『ずっと一緒』って言ってもらって。その約束があるから、今まで頑張ってこれたんだ」


 名前も知らない彼女はそう微笑む。でも、すぐにその表情は沈んでいく。


「釣り合っていないって思うよ。彼はモテるしね。私みたいな子に友達面されても迷惑だって分かっているし――」

「分かってんじゃん」


 おぞましい匂いが一瞬で立ち込めた。仁王立ちで立つ女子高生が、彼女の絵を奪った。くしゃっと丸めて、放り投げる。


「いつまで幼馴染面をしているつもり? 拓哉君の優しさに甘えるのも大概に――」


 最後まで聞かずに、俺は跳躍していた。この無法者を肉級で思いっきり叩く。流石の俺も雌に爪をたてるほど、堕ちちゃいない。ただ、と爪をのばす。これ以上、品性のない姿を見せるのなら、容赦する理由がなくなる。


 たっ。

 たっ。

 踏み出す。いつの間にかティアが隣に。と、一匹、一匹、猫達が歩みを進めていた。

 たっ。たっ。たた。たっ。猫が取り囲むように集まってきた。


「な、何なのよ?! わ、私は何もしてない、してないから!」


 そう言い捨てて、踵を返して逃げ出した。

 その刹那。

 風が舞う。


(まずい――)

 紙が宙を舞う。


「あっ――」


 手を伸ばすも当然届くはずがない。描かれた約束は無常にも、空を舞う。

 俺は、無意識に駆け出していた。


 一瞬だけ振り返る。どうせニンゲンに投げかけた所で、理解するはずがない。

 それでも、俺は彼女に投げかけた。


 ――待っていろ。絶対に取り戻すから。


 彼女は目をパチクリさせる。気にしている余裕はなんてなかった。風に舞い、転がっては飛んでいく【約束】を追いかける。


 猫だって、ニンゲンだって。誰だって――。なくしたくない想い出の一つや二つある。ただ、それだけの話だ。





 こんな時に春一番が吹かなくてもと舌打ちする。匂いが入り混じって、探すに探せない。


「クロ、いるか」

「へい、ルルの親分。ここに」


 木陰からもう一匹、猫が顔を見せ、頭と尾を伏せた。


「失せ物を探したい。探して欲しいのは――」

「もう、とっくに対応済みです。ファミリーを向かわせているので、ご安心くだせぇ」


 クロの物言いに目を丸くする。


「親分の気まぐれにお付き合いとなると、これぐらい日常茶飯事でっせ」

 にししと、クロはワルい笑顔を浮かべるのだった。





🐈‍





 散々、苦労して。俺もみんなもドロだらけだ。夕陽はすっかり、落ちかけていた。でも匂いは途絶えていない。と、ベンチに座っていた彼女が顔を上げた。


「なんで――」


 彼女の顔が凍りつく。そりゃ、そうだろう。彼があの絵を持っているのだから。

 俺は知っていた。彼がずっと、公園の外から彼女を見ていたことを。匂いを辿れば、その感情は一目瞭然で。


「どう、話しかけていいか分からなくて……前のように話せなくて。でも、この絵を持っていてくれたのが、嬉しくてさ。どう伝えて良いか分からないけど――」


 俺はただ、彼の目の前で絵を咥えて見せただけだ。


 ――ずっと、見ていたよね? 落ち込んだ子を慰めてあげるのって、男の子の役目なんじゃないかな?


 通りかかった雪姫嬢が、これは独り言と言わんばかりに、囁く。


 ――あんたは男だろ? だったらキメる時にキメたら良い。うちの爺さんの告白はストレートだったよ?


 杖をついた婆さんが、すれ違い間際に言う。後ろでその爺さんが顔を真っ赤にしているけどな?


 お互い、こんな匂いをさせているんだ。猫は祝福を届けた。あとは踏み出すも、踏み出さないのもお前ら次第だから――。


「あのさ、俺ずっと――」







 甘い匂いが、夕陽の落ちた公園で満ちて。

 葉桜になった桜が、また満開になったことすら、二人はまるで気付いていない。

 まだ薄くて、淡い。そんな匂い。でも溢れ出して止まらない想い。

 俺は深く息を吸い込んで、鼻をひくつかせる。桜の花びらがひらひらと舞って。甘くて、淡くて。そして何より暖かい。

 


 うん、この匂いも――悪くない。

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